白雪姫は毒林檎がお好きな模様

宮下龍美

第1章 白雪姫

第1話

 手元に残った一枚のカードを睨む。道化師は笑顔の仮面を纏っているが、それは僕にとって嘲笑以外の何ものでもないのだ。見ていたら段々と腹が立ってきたので、取り敢えず破り捨てておいた。大丈夫、ジョーカーはもう一枚ある。その行いを誰も咎めないのは、僕に同情してくれているからだろうか。


「っしゃあ! ギリギリセーフ!」


 目の前で大袈裟に喜んで見せる親友──三枝秋斗さえぐさあきとの姿は、いつもの僕ならば一緒になって喜んで上げていただろうが、残念なことにこればっかりは喜べない。

 部室にて行われたババ抜きなるゲーム。その最下位の者に与えられた罰ゲームは、笑い話では済まないからだ。


「待て、やり直しを要求する」

「ダメだよ」


 無様にも足掻こうとするが、降ってきたソプラノの声にそれを遮られた。僕と三枝の間に立つ神楽坂紅葉かぐらざかもみじ先輩は、柔らかい印象を与える目元を鋭くして僕を睨む。美人が怒ると怖いと言うが、今の先輩はまさしく僕にとって恐怖の象徴のような存在になっていた。いつもは部室の癒しなのに。どうしてこうなった。


「文芸部恒例のババ抜き対決。二年生男子により行われるそれは、負けた者が修学旅行の時に意中の女子生徒へ告白する。意気揚々と受けたのは君でしょう、夏目智樹なつめともき君」

「そうですけど······」


 いやはや全くもってその通りなんだけど。まさか負けるなんて思っても無かったし、そもそも二人だけのババ抜きで罰ゲームをマジで履行するとも思っていなかった。

 三人しかいない部室。三人しかいない部活。そんな場所で、二年生のみを対象にした罰ゲーム有りのババ抜き。先輩以外の部員は僕と三枝のみ。つまりは二人だけのババ抜きと言う、駆け引きもクソもないゲームで、僕は罰ゲームを受けるハメになってしまったと言うことだ。


「青春を少しでも謳歌してもらおうと言う先輩方の厚意の末に出来た伝統なのよ? それを蔑ろにするわけにはいかないじゃない」

「そうは言ってもですね。三枝は兎も角、僕には好きな相手なんていないわけでして」

「そうなの?」


 不思議そうに首を傾げ、セミロングの髪をふわりと揺らす。

 別に好きな女子がいないこと自体、そう珍しいことではないだろう。最近の彼女持ちの男なんて、大体が向こうから告白されたから取り敢えず付き合ってみた、とか。なんか行けそうなだったから、とか。そんなんばっかに決まってる。

 まともに恋愛して女子と付き合うなんて、昨今では時代遅れも甚だしいのではなかろうか。まあこの見方には、多分に偏見が含まれてはいるのだが。


「智樹は枯れてるからなぁ」

「おいそこ、風評被害はやめてくれ」


 ケラケラと笑って見せる三枝は随分と気楽そうだ。それもそうか。なにせ罰ゲームを受ける必要がなくなったのだから。

 高校生男子に取って、告白とは非常にハードルの高いイベントだ。自意識が過剰に膨らんできた、所謂お年頃の男子は非常にデリケートな生き物なのである。

 告白した翌日は周囲の人間から後ろ指刺されないかと不安になるし、そもそも告白する相手に向かってなんと言ったらいいのかさえ思い浮かばない。生まれてこのかた、恋愛なんてまともにしたことのない僕には理解しがたいイベントでもある。


「ならこうしましょう」


 パン、と手を打って、良いことを閃いたと言わんばかりの笑顔を見せる神楽坂先輩。普段であればその笑顔に癒しの波動が含まれているのだが。嫌な予感しかしないが、取り敢えず聞く体勢に入る。嫌な予感しかしないが。


「夏目君には、わたしの選んだ女子生徒に告白してもらうことにします」

「告白するのは決定なんですね」

「安心してね。ちゃんと可愛い子を選ぶから」

「問題はそこじゃないんですけど」


 誰にしようかなー、なんて鼻歌交じりで考えている神楽坂先輩には、どうやら僕の声は届いていないらしい。向かいに座る親友に助けを求めようとも思ったが、間違いなく先輩の味方になると思われるので辞めた。

 どうやら、観念して罰ゲームを受けるしかないようだ。そう覚悟を決めて、先輩の言葉を待っていたのだが、次の瞬間にその覚悟は霧散することとなってしまう。


「よし、決めた! 夏目君の相手は······」


 そこで一旦言葉を区切り、溜めを作る先輩。三枝が口でドラムロールを演出してるのがなんとも言えないうざさを醸し出している。取り敢えず三枝は後で殴る。

 そしてニッコリと笑顔を浮かべた先輩は、


「二年三組の白雪桜しらゆきさくらちゃんです!」


 校内で誰もが知る有名人の名前を口にしたのだった。





 白雪桜と言う女子生徒の名は、この蘆屋高校に通う生徒なら、誰もが一度は聞いたことがあるだろう。

 黒く艶やかな長い髪、雪のように白い肌、モデルのようなスタイルの良さに、男女問わず誰もが振り返るような学内一の美少女。それだけでなく、定期考査の順位はたった一度以外は一位をキープしており、去年の僕たちの入学式においては、新入生代表として挨拶までこなした。

 その結果ついたあだ名は『白雪姫』

 しかし、彼女が学内で有名な理由はそれだけに留まらず。彼女の名を全校生徒に知らしめたのは、その毒舌だろう。

 学年を問わず告白される白雪桜は毎度のごとく、オーバーキル過ぎる毒舌で男子生徒をバッタバッタと真っ二つに切り裂く。それがトラウマになってしまっている者もいれば、新たな性癖に目覚めてしまった者も続出している。

 そして幸か不幸か、有名人である白雪桜と、僕は少なからず関わりを持っていた。


「朝からあなたの顔を見ることになるなんて最悪。これで今日のお昼ご飯が不味くなってしまうわ」

「朝から君の毒舌を受けてしまうとは最悪だ。これで今朝食べた朝食の味が思い出せなくなる」


 そんな学校一の美少女と鉢合わせてしまったのは、部室で僕の罰ゲームが確定した翌日の昇降口でのことだった。

 白雪は昇降口の扉を背に立っており、上履きに履き替える為に腰を曲げていた僕を睨むように見下していた。彼女を下から見上げるなんて中々ない機会ではあるし、そんなアングルから美少女の姿を目に収めるのは非常に眼福ではあるのだが、今更彼女に見惚れるなんてことはない。なにせ、口から出るのは僕を罵倒するためだけに紡がれる言葉なのだから。


「おはよう、白雪。今日も相変わらず不機嫌だな」

「おはよう、夏目。そういうあなたは、今日も相変わらずやる気のなさそうな顔の作りをしているわね。見ている私の生気まで吸われてしまいそう」

「僕は吸血鬼かなにかか。そう言うならさっさと教室に行けよ」


 僕の言葉になにか返すわけでもなく、彼女は長い髪を靡かせて素直に教室へと向かった。

 はあ、と思わずため息が漏れてしまう。早朝から早速白雪と出くわしてしまうのは、運がいいのか悪いのか。


 結局、昨日は神楽坂先輩に無理矢理罰ゲームの履行を確定されてしまい、そのまま部活終了、解散となった。今にして思えば、果たしてあのババ抜き自体が本当に毎年恒例の伝統行事なのかどうかも微妙なところだ。だって毎年恒例と言う事は、神楽坂先輩は去年同じことをしているはずであり、しかし文芸部は僕と三枝が入部するまでは、神楽坂先輩ただ一人だけだったはずなのだから。


 眠気やらなにやらで重い足を引きずりながら、二年三組の教室へとたどり着く。

 修学旅行は二年の二学期、11月頃に行われる。それまで残り半年近く。その期間を神楽坂先輩を説得するのに使うか、本気で告白するために白雪にアプローチするか。難易度で言えばどちらも同じくらい難しい。ハードコアスペランカーよりも難しい。白雪はあの通りだし、神楽坂先輩は一度決めたことは絶対に撤回しない謎の頑固さがある。


 どうしたもんかな、と考えながら、教室に入って自分の席に着く。ザッと教室を見渡すと、窓際の一番後ろの席に白雪は座っていた。誰かと話すわけでもなく、文庫本を開いて活字を目で追っている。これが彼女のいつもの姿。教室で僕以外の誰かと話しているところなんて見たこともない。僕だって、教室で彼女と話したことがあるのは片手で数えて足りるほどだ。それすらも一年の頃の話だけど。

 持ってきた教科書を机の中へとしまっていると、昨日僕を負かせた憎い男が近寄ってきた。


「よお兄弟。一夜明けた今の心境はどうだよ」

「君は来世で必ず不幸になると思え」

「そいつは怖い」


 我が親友はケラケラと笑いながら、さっきまで僕が見ていた先、白雪の方へと視線を移す。


「今日も今日とて、見事な孤高っぷりだなぁ。まるで芸術品だ」

「芸術品ってのは強ち間違ってないかもね。美しすぎて誰にも触れられない。触れることを許されない。出来ることは遠目に見るだけで、ともすればそれすらも罪になるかもしれない」

「そこまで行ったら、芸術品どころじゃねぇな。国宝ものだ」


 なにが楽しいのか、ククッと喉を鳴らす音が前から聞こえる。こっちは全く楽しくないと言うのに。


「どうせなら、君が負ければ良かったんだ。ならその場で先輩に告白できる口実が出来ただろう?」

「バカお前、俺は手堅く行くタイプなんだよ。そんなノリと勢いだけで告白なんて出来るか」

「ノリと勢いだけで人に告白させようとしてるやつがよく言うぜ」


 三枝は神楽坂先輩に恋心を抱いているらしい。らしい、と言うのも、恋愛経験0の僕には、その恋心と言うものがどのようなものなのかイマイチ理解できていないからだ。

 そのうち分かる日が来る、とは三枝の言葉だが、果たして本当にそんな日が来るのかどうかは甚だ疑問である。


 閑話休題。三枝秋斗が神楽坂先輩に恋をしたのは至ってシンプル。一目惚れだ。

 人数不足で廃部の危機に瀕していた文芸部。その部員を集めるために校内を徘徊していた神楽坂先輩に一目惚れし、僕までも巻き込んで文芸部に入部。規定の人数である3人に到達した文芸部は廃部を逃れた、と言うわけである。

 そう考えると、やはり今の僕の状況の諸悪の根源は目の前の軽薄そうな男であるのは火を見るよりも明らか。


「なんだよ智樹。俺を睨んでも、お前の告白は覆らないぞ?」

「そんなことは分かってる」

「まあ、玉砕覚悟で頑張ることだな。もしくは修学旅行までにポイント稼いで、マジでお姫様の恋人になっちまうか、だ」


 どうやら睨むだけでなく、この男の存在そのものを抹消しなければならない可能性が出て来たらしい。他人事だと思って、と呟こうとするが、冷静に考えなくても三枝にとっては文字通り他人事だ。その言葉をぶつける意味もないだろう。


「僕が白雪の恋人とか無理だろ。逆に聞くけど、あいつと僕が付き合ってるとこなんて想像出来るか?」

「ま、出来ねぇわな。お前が誰かと付き合うってのが一番想像できない」


 言いながらケラケラと笑う三枝に、僕は溜息を一つ返す。聞いたのは僕だけど、ここまで笑いながら否定されると悲しくなってしまう。


「夏目」

「うおっ」


 不意に背後から名前を呼ばれ、思わず肩をピクリと震わせる。聞き慣れたとは言えないけれど、何度も聞いてきたその声を聞けば、振り向かずとも誰かは分かった。


「おうおう、どうしたよ白雪さん」


 僕の向かいに座っている親友は、相変わらず軽薄そうな笑みを浮かべながらも、物怖じせずに話しかける。

 振り返った先には、予想通りと言うか、三枝の言った通りと言うか、なんにせよそこには白雪桜が立っていた。さっきまでは席に座っていたはずなのに、少し目を離した隙に近づかれるとは。瞬間移動でも使えるのか、こいつは。

 白雪桜がクラス内で誰かに話しかけている。その珍しい光景に、クラスメイト達の喧騒が止む。会話内容を聞かれてるみたいで恥ずかしいので、是非ともお友達とのお喋りを続行してほしい。


「あなたに用はないから黙って頂戴。私が呼んだのはこの男よ」

「相変わらず智樹とは仲がよろしいようで」

「殺すわよ」


 鋭い眼光が三枝を射抜くも、彼はやっぱりその顔に笑みを貼り付けたままで、肩を竦めて大人しく引っ込んだ。僕だったら怖くてちびってるかもしれない。


「それで、僕に何か用事でも?」

「昼休み、図書室に来なさい」

「随分横暴だな。因みに拒否権は?」

「あると思っているの? ならあなたの頭はハッピーセットね。精神科に行くことをオススメするわ」

「分かったよ。ハッピーセットらしくおまけのおもちゃも持って行こう」

「いらないわよ、そんなの」


 会話が終わると、白雪は直ぐに席へと戻っていった。そして再び教室内は喧騒に包まれる。


「お前、白雪姫になんかしたの?」

「さてね。身に覚えがあったら、さっさと自供しているさ。本人よりも前に君に」

「そりゃそうか」


 白雪は確か図書委員だ。だから彼女が昼休みに図書室にいること自体は不思議なことではない。しかし、そこに誰かを、ましてや同級生の男子生徒を呼び出すなんてのは、前例のない事態。

 もう一度彼女の席に視線を向けるが、白雪はもう読書に戻っていて、周囲に意識を向ける気配はない。

 担任教師が教室に入ってくるまで頭を悩ませていたが、結局彼女の真意は分からずじまいだった。

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