二十三

「どうやら、3階の各部屋に近くなると、反応が強くなるようね。ちょっと2階はどうなのか、行ってみよう」

 理佐は305号室のドアの横にある、ふだんはほとんど使われない非常階段を降り始めた。一歩一歩下るごとに、みるみる数値は下がり始め、2階と3階の踊り場を過ぎたあたりで「0.00」になり、警告音も止んだ。

 そして、狭い非常階段でUターンして3階に向かって登り始めると、数値は急激に上昇し始め、305号室の手前でまた999.99になった。

 レイガーカウンターの電源を切ると、三人は黙って顔を見合わせた。

「とりあえず、外に行こうか」理佐が言った。


 理佐の車に乗せてもらって、マンションから1キロほど離れたところにある、個室が取れる喫茶店に三人で行った。

「ふたりとも、アイスコーヒーでいい?」と理佐が言ったので、

「あ、はい」

「ありがとうございます」と美名と莉乃が続けて応えた。

「何か食べたかったら、遠慮せずに注文してもいいよ」メニューを広げて理佐が言った。

 しかし、食欲など全くなかった。

 フリルの付いたエプロンを着たウエイトレスにアイスコーヒーを注文すると、3分もかからないうちに運ばれてきた。

「ごゆっくりどうぞ」と言いながら、笑顔のウエイトレスが頭を下げた。

 喫茶店のなかには、小さな音量でクラシック音楽が流れている。

「牧場莉乃ちゃん、だったわよね」理佐が莉乃の名前を確認するように言った。

「はい」

 初対面であるせいか、莉乃はいつもと違って丁寧な口調になっている。

「莉乃ちゃんはわたしたちよりこういうの詳しいみたいだから、ズバリ聞いちゃうけど、うちには霊がいるの?」

「えっと……、そうですね。そういうことになると思います」

 美名は理佐と視線を合わせた。理佐はこれまで一度も見せたことがないような、懐疑と恐怖が混ざったような表情をしている。

「ってことは、最近起こり始めたポルターガイスト現象っていうのだったっけ? 変な音が鳴ったり、物が勝手に動いたりするの、それはその霊の仕業ってこと?」

「断定はできませんが、この状況だとそう考えるのがたぶん妥当です」

 理佐は、うーんと唸り声をあげて、アイスコーヒーにガムシロップを入れて、ストローでかき混ぜた。氷がコップにぶつかって、カランカランと音を立てる。

「なんで、いきなりこんなことになったのかしら……? しかも3階だけで。これまで何もなかったのに」

「それは、ちょっとわかりません。でも時間差を置いて覚醒する霊もあるみたいですから」

「時間差って言っても、あのマンションが建ってからもう10年以上になるし、そんなことあるのかしら」

「可能性はある、としか言いようがないです。何かがきっかけで、霊の意識が活性化し始めたのかも……」

「うーん……、その霊ってのがどこの誰だか知らないけど、ずいぶん迷惑なやつよね。まさか、こんなことを大真面目に話さなきゃいけなくなるとは、思いもしなかったわ。でも、わたしも美名ちゃんも吉田さんも、へんな怪奇現象に見舞われてるわけだし、状況証拠から、とにかくこれまでのマンションとは何かが違ってきた、と考えるしかないわね」

 理佐は車のキーについた金属製のキーホルダーを手でいじり始めた。

「でも、霊だからと言っても、必ず悪い霊障をもたらすとは限りませんから。なかには、いい霊もいるので」

 莉乃がそうは言ったものの、美名と理佐にとっては何の慰めにもなりそうになかった。いくら気味が悪くても、ともかく当面はあのマンションで暮らす以外の選択肢はない。

「お祓いとか、できないの?」と美名が莉乃に尋ねた。

「できないこともないけど……、素人が見よう見真似でやると、返って逆効果になることが多いから、プロに頼まないと。でも、プロと言っても、そのへんの世俗化した神社とかお寺じゃまったく効果がないから、専門家の霊能力者に頼むのがいいと思う」

「莉乃ちゃん、凄腕の霊能力者に知り合いいない?」と理佐が前のめりになって莉乃に訊いた。

「いえ……、いないです。ごめんなさい。雑誌に載ってるような、その筋では有名な人はけっこういるんですけど、みんな遠くに住んでたりで、なかなか難しいと思います」

「そっか。今はまだ、変な物音がしたり、勝手に動いたりするくらいだから、気色悪いくらいですむけど、具体的に何か悪いことが起こり始めたら、どこかの霊能者にお祓いを頼むことも、真剣に考えなくちゃいけないかもしれないわね」

 そのまま喫茶店のなかで、1時間を超えて今後の対策などを議論してみたが、明確になっていることがほとんどない以上、どうしようもないという結論にしかならなかった。

 とりあえず3階の住人で情報を共有することだけは早急にしなければならないということで意見は一致して、解散することになった。

 その後、家に帰る気がまったくしない美名は、莉乃に頼んで一緒にいてもらい、ふたりで商店街のゲームセンターに行ったり本屋に行ったりして時間を潰したが、美名も莉乃も楽しむことはできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る