放課後になると、昼から降り始めた雨は、土砂降りと言っていいほどに強くなった。校門前の歩道で傘を指して立っていると、まるで上から殴られているかのように傘がドンドンと音を立てながら揺れ、柄を持つ手に振動が伝わってくる。アスファルトに撥ねた水滴が、靴下の布にしみついて皮膚に貼り付く感触があった。

 美名はスマホを取り出して時刻を確認した。午後四時を二分過ぎたところだった。雨合羽を着て自転車で下校するクラスメートが、「またね」と言いながら美名の前を通り過ぎて行く。

 傘で狭くなってる視界のすみの車道に、自動車のタイヤが現れて止まった。美名は傘を上げて見ると、唯介が運転する国産車のセダン車だった。運転席から助手席をはさんで、唯介が車内から美名に何かを言っている。

 美名は傘をたたんで軽く振り、助手席に乗り込んだ。

「お待たせ。濡れた?」唯介が言った。

「うん、少しだけ」

 車内はゆるく暖房が入っていて、暖かかった。乗車前に掃いきれなかった傘の水滴が、制服のスカートに伝染するように浸み込んでいく。

「晩御飯の材料買いたいんだけど、スーパーに寄ってもいい?」

「あ、うん」

 目の前の青信号が、フロントガラスに付着した水滴がいびつなレンズとして働き、ピーナッツみたいな形に歪んでいる。それを左右に揺れるワイパーが拭き取るように擦って、もとの円形の光に戻った。

「今晩、何か食べたいものある?」

「いや、別に……」と美名は曖昧に答えた。

「それじゃ、冷蔵庫にハンバーグしたときの合い挽き肉がまだ残ってたから、ミートソースのパスタでもいい?」

「うん」

「じゃあパスタと、今日はたしか鶏モモ肉が安売りだったから、簡単にガーリックソテーにでもしよう」

 交差点の真ん中で、右折のタイミングを図っているときに唯介が、

「今朝、美名ちゃんが学校出てから一時間後くらいに、お母さん夜勤から帰ってきたよ」と言った。

 今朝、バスのなかから見た母の姿を思い出して、何とも言えない複雑な感情が湧き上がってくる。

「あ……、そう。夜勤なのに、早かったんだね」ととぼけるように言った。

「でも、なんかまだ重要な用事があるからって、お風呂に入って5時間くらい寝たら、昼過ぎにまたどっか行っちゃった。今晩も夜勤みたいだから、帰ってくるのは明日の朝だね、きっと」

 ここ数日、美名もろくに母と顔を合わせていない。真子が夕食を自宅で摂る日は徐々に減っていき、今では週に一回あるかないか、と言ったところだった。食事はきっと不倫相手とどこかで食べているのだろう。

 唯介が運転する車は、郊外の広い駐車場のある、赤い看板の食品スーパーに入った。

 スーパーの来客もこういう日は雨を避けるため極力、出入口の近くに駐車したいと思ってるせいか、駐車場のなかで団子のように自動車が密集している。唯介も同じようにしようと試みてはいたが、まったく空きがないため、諦めて少し離れた場所に車を停めた。

「買い物、一緒に行く?」と言いながら、唯介は親指で窓の外を指した。

「ううん、いい。ここで待ってる」

「それじゃ、なるべく早く戻ってくるから。エンジン付けたまんまにしとこうか。暖房いる?」

「ううん、だいじょうぶ」

 唯介は外に出ると、雨を防ぐかのように両手を頭の上に乗せながら走って行った。

 教科書が入ってるバッグからスマホを取り出して画面を表示すると、莉乃からメッセージが一件届いていた。アプリを起動してみると、「園田北斗にアカウント教えといたから。たぶんそのうち何か言ってくるんじゃない?」と絵文字付きで15分ほど前に送信されていたメッセージがあった。

 ”うん。でも何か送ってきたとして、何て返事すればいいんだろう?”と返事をすると、すぐに既読になった。

 続いて、ふたりのあいだでメッセージのやり取りが何度か続いた。

 ”なんでもいいんじゃない?気軽にやりなよ”

 ”わたし男の子とあんまりやりとりしたことないから、わかんない”

 ”テレビとかマンガとか、ほかにも怪談とか、なんでもいいから好きなようにすればいのよ”

 ”怪談って……”

 ”もういい年なんだから、彼氏のひとりやふたりいてもいいでしょ?”

 ”莉乃はどうなのよ”

 ”わたしは運命の人と出会うまで待ってる”

 ”何よそれ”

 ”でも真面目な話、園田が告白してきたら美名どうするの?”

 そのメッセージを受信した後、美名はしばらく画面に見入った。しばらく考えた後、

 ”たぶんお断りすると思う”

 と返信した。

 そのメッセージが既読になった後、少し画面を見つめていたが、莉乃から返信はない。スマホをバッグのなかにしまった。

 美名はおもむろに左手を伸ばして、助手席すぐ前の、ダッシュボード下のグローブボックスを開けた。

 中には、車検証などが入ったクリアファイルがある。それを取り出してみると、その奥にはシャープペンシルくらいの注射器とともに、小さいジップロックの透明なビニルの小袋があった。そのビニル袋のなかには、まるで窓際に溜まったホコリのような、白い粉がわずかに入っている。それが良からぬクスリであることは、確認するまでもない。

 車検証を戻して、グローブボックスを閉める。そして、深くて長いため息を漏らした。

 助手席のシートに体重の全てを預け、目を閉じる。そして、その姿勢のまま何も考えられずにいると、15分あまりが過ぎたころに不意に自動車の後部座席が開いた。驚いた美名は身体を起こして、シートから背中を離した。

 首をひねって後ろを向くと、買い物を終えた唯介が、透明の買い物袋をうしろのシートに置いていた。

 すぐに唯介は運転席に乗り込んで来て、手についた水をシャツで拭いながら、

「うわー。すごい雨だな。おまたせ。だいぶ濡れちゃった。おやつに、プリン買ってきたから、家帰ったら食べようか」と言った。

 美名は父の顔を上目遣いで覗き見た。いつもと変わらない。

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