焦り
「まずは、目からだな」
そう言ってにっこりと笑った
「人の目でしか物を見ない癖を正さねば。人の目がなければ自然と神力を使い、遠くまで見渡すことができる。そのまま、まずはこの部屋の中を見てみなさい」
いや、目隠ししておいて見てみろって、無茶でしょう。言いかけた言葉を何とか飲み込んで、自分の周りに何があったか考える。
「記憶をたどるのではなく、見るのだ。其方の周りには、誰がいる?」
紫陽さんの低い声が頭に響き、右手の甲に痛みが走った。何か、細いものでぶたれた。
さっきまでの柔らかい空気は消えている。今側にいるのは、厳しい修行を積んできた神官。私は、この人がこれまで身に着けたものをたった七日程度で教わろうとしているんだ。その重みが、改めて私の中に広がる。
「
「朝陽?」
どこから聞こえてくるのかわからない柔らかい声に、少し緊張がほぐれてきた。朝陽に集中する。朝陽は確か、壁に寄りかかって座っていたはず。
さっきいた場所に意識を向けるが、朝陽はもうそこにはいない。見えないけど、同じ場所にいないことはわかる。じゃぁ、どこ? 朝陽、朝陽、と口の中で呟いてみる。
正面、少し離れた所にぼんやりと朝陽の気配を感じた。いつの間に移動したのか、風鬼さんは土間にいる。右隣は珠樹から紫陽さんに変わり、珠樹は私のすぐ後ろに下がっている。気配は感じるけれど、やっぱり見えない。
「見えませんが、気配は少しわかります。ここに、紫陽さん。後ろに、珠樹」
手を伸ばして、紫陽さんと珠樹の袖をつかみ、立ち上がる。板の間に何もないことはわかっているのに、目が見えないと歩くのが怖い。ゆっくり、ゆっくりと歩みを進める。
「朝陽が、ここ」
手を伸ばし、朝陽の着物の袖を掴む。うん、思った位置にちゃんといた。後は、風鬼さん。土間に降りるのは少し怖いけど、『土間にいます』って言っても許してはもらえないよね。
ゆっくり、ゆっくりと歩き出す。風鬼さんは、さっきの場所から動かずに待っていてくれているみたい。すり足で段差を見つけ、側にあった草履を履く。草履を履くと足の裏の感覚が鈍くなるのか、余計に不安定になったけど、仕方ない。一歩一歩近づいて。
「風鬼さん」
私よりも少し小さな身体に抱き着いた。これで、全員。
「初めてにしては、上出来だ」
紫陽さんが手を叩いてくれたのがわかる。よかった。何とかなったみたい。
「まぁ、緑龍からの助けがあってのことだがな。では、今度はそのまま私の側まで来てみなさい。緑龍、少し、気配を消して」
紫陽さんの指示で朝陽が細い息を洩らした。同時に、朝陽の気配が掻き消える。朝陽の気配がないと、途端に他の気配もわからなくなり、柔らかかった世界は急に不安と恐怖の闇に変わり、息苦しささえ感じる。早鐘のように激しく鳴る胸を抑え、ゆっくりと風鬼さんから離れた。来た場所へ戻ればいいだけなのに、自分が来た方向がわからない。闇が怖い。
「落ち着いて」
耳元で風鬼さんの小さな声がした。見えなくても、側にいてくれる。
ゆっくりと息を吸い込んで、知らずにうつむいていた顔を上げる。さっき、朝陽を探したときのように、頭の中に紫陽さんを浮かべると、ぼんやりとだけど紫陽さんの姿が浮かんだ。いつのまにか土間に下りている。入口の、側。そろそろと歩き出すと、それに合わせて紫陽さんも動く。
え?待って!動かれたら、追いつけない。紫陽さんは音もなく素早く移動していく。気配がわかったからと言っても目をふさがれた私には、到底ついていける速度ではない。土間をそろそろと歩き回る私を、面白がるかのように紫陽さんは逃げていく。小さいころに珠樹と姉様とやった目隠し鬼を思い出すが、そんな生易しいものじゃない……。
必死に追い回すうちに、草履に足を取られ思い切り転んだ。
痛くて、情けなくて、惨めで、涙がにじむ。
「宝珠が常に目に見える、同じ場所にあると思うか」
紫陽さんの冷たい声。わかっている。神力で隠されている宝珠を探し出すのだから、目に見えるものにばかり頼ってはいけない。暗闇では動けないなどは、甘えだ。
このまま紫陽さんの後を追い回してもつかまらないことは、私にもわかる。それなら……。
私がゆっくりと後を追うことで少しずつ遠ざかる紫陽さん。遠ざかる気配に集中すれば、私を避けるように動く。その先が、見えた。
後を追うように紫陽さんを追いかけ、その先に動くであろう場所に近付き、紫陽さんの袖口をつかんだ。つかまえ、た。
「紫陽、さん」
大して動いてなどいないのに、神経を集中したせいか目が見えなかったせいか私の身体は疲弊し、情けないぐらいに肩が勢いよく上下する。
「……驚いたな」
穏やかで静かな声が、私の耳に心地よく響く。驚いてくれました?私も驚いています。だから、ちょっとこの目隠し取って、休憩しましょう?
「では、もう一度」
低い声に、重い空気がのしかかる。まぁ、そんなすぐに休めるほど甘くはないですよね。わかっています。
「雪花、もう一度私の側へ」
呼吸を整えることに集中したせいで、紫陽さんの気配を完全に見失っていた。慌てて紫陽さんの気配に集中するが……。
気配が、増えている?
間違いじゃない。三か所から、紫陽さんの気配を感じる。私が疲れているから? でも、朝陽も珠樹も風鬼さんの気配もちゃんと感じるのに、紫陽さんの気配だけが三つ。
「どうした?」
「早く」
「こちらへ」
声も、別々の場所から聞こえてくる。これは、私がおかしいわけじゃない。どうなっているのかはわからないけど、人間が三人に増えるはずなんてない。本物は、一人。三か所にある紫陽さんの気配に、少しぐらい違うところがあるはず。それを見つけられれば、本物がわかるかも。
「どうした?」
「早く」
「こちらへ」
ああ、もう。話しかけないで。私、自慢じゃありませんけど目がいいんです。すぐに人を見つけられる立派な目を持っていますから、これまで人の気配なんか一度も気にせずに生きてきたんです。目が見えなくなったこともないし、目を閉じて人を探そうなんて考えたこともない。必死でやっているんだから、邪魔しないで! って、言いたい……。
何も言えず、紫陽さんの言葉に耳をふさぐこともできず、必死で部屋の中の気配を探る。でも、どれだけ気配を探っても、三か所からは寸分違わず同じ気配。
どれが、本物?それとも、全部?
「紫陽さん!」
「「「ああ」」」
同じタイミング、同じ声で三か所からの返答。ああ、なんだか頭の中がグルグルする。気持ち、悪い。でも、やらなくちゃ。
まずは、深呼吸。落ち着こう。三か所から来る紫陽さんの気配は、全く同じ。神官は、自身の神力をお札に分け与えることができるって、さっき言っていた。分け与えた神力は、きっと同じ気配になるはず。でも、分け与えたのが紙なら、私が近づいても逃げない気配は、紫陽さんじゃない、はず。仮説をたてて、まずは、一歩。一番側にあった気配に近付く。私が近づいた分だけ、下がる気配。これが、本物? さっきと同じように一歩ずつ近づき先を読もうとしたが、全く先が読めない。ふわりふわりと、からかうように逃げていく。とっさに近くにあったもう一つの気配に向かうが、それも同じように逃げていく。ああ、本物以外も動けるんだ。それなら、どうやって見分けたらいいのだろう。何か違いはないかと、三つある気配をそれぞれ追ってみるが、どれもふわりふわりと逃げていく。違いなんて、わからない。もう、これ全部偽物なんじゃない? そう思った瞬間、何かがストン、と胸の中に落ちた。
そうだ。この中に、紫陽さんは居ない。強い気配に惑わされたけど、違う。
朝陽は、紫陽さんに言われた瞬間気配を消した。紫陽さんも自分の思い通りに気配を消せるのであれば、この強い気配に隠れているはず。部屋中に意識を広げる。はっきりとわかるのは、紫陽さんの三つの気配と、珠樹の気配。朝陽と風鬼さんは、探せない。でも、部屋の中の空気が動いている。一か所だけ、空気の流れが不自然に変わっているのを感じる。きっとそこにいる。からかうように私の周りをまわる紫陽さんもどきを無視して、風の流れが止まる場所へと向かう。暗闇に慣れたせいか、歩き回って足が部屋の構造を覚えたのか、これまでよりもずっと早く歩ける。土間から上がり、おそらく最初に私が座っていた場所。そこで、差し出した手に触れたのは、紫陽さんの着物。
「いつ、気が付いた?」
「紫陽さんの気配が全て動くから、私が感じている気配は全て偽物なんじゃないかって。でも、本物の紫陽さんの気配はわからないから、部屋の中の空気の動きを読みました。部屋の中で空気が動かないのは、珠樹の気配のする場所と、もう一か所だけだった。朝陽と風鬼さんの存在は、空気を流すことができるんじゃないかと。勘ですけど」
「勘、か。神力を使う上で、とても大切なことだ」
穏やかに笑って、やっと目隠しを取ってくれた。視界が明るくなった途端、気が緩んだのか立っていられなくなった。その場にへたり込んで動けない私に、珠樹が座布団を並べてくれた。
「少し、横になっていろ」
それ、許されるかなぁ?重たい瞼をこじ開けて紫陽さんを見れば、布団代わりだろうか、着物を貸してくれた。
「明日からは、
「はい」
座布団とはいえ、布団だ。ずっと山の中で野宿をしていた身には、すごくすごく贅沢に感じる。慣れない力を使って疲れ切っていたこともあり、横になると自然に瞼はふさがっていった。朝陽が、紫陽さんと何か話していたのが気にはなったけど……。
聞き耳を立てることすらできず、あっという間に闇に落ちた。
早く眠ったせいか、まだ暗いうちに目が覚めた。聞きなれた珠樹の寝息に、小さいが絶え間ない雨音。部屋の壁に寄りかかり眠る朝陽。半年持たない、と言った朝陽。いつも穏やかに笑っているけど、きっと相当に無理をさせているだろう。私が神力の使い方を覚えるまで、少しでも休めるといいのだけど。
「朝陽、ごめんねぇ」
してもらうばかりで、何も返せていない。黒龍様も朝陽も、なぜこうまでして人を守ろうとしてくれるのだろう。『人ならざる者』が、ここまで守ってくれているのに、国を守るべき帝が、どうして民を犠牲になどするのだろう。
「雪花、集中!」
厳しい言葉と同時に細い枝が私の手を打つ。神力の扱いを教わり始めてから、四日目になるが、まだ私には目に映らないものを見ることは出来ない。紫陽さんは、どんなに遠くでも目を閉じてそこに咲く花、川の流れを感じることができる。私には、できない。
打たれた手よりも、できないことがつらい。できないことを厳しく叱る紫陽さんよりも、焦らずとも良いと甘やかしてくれる朝陽の言葉が胸に刺さる。涙を流すのは卑怯だと思っているのに、あふれてくる。心を強く持たないと紅河に付け込まれると、何度も言われるが到底強くはなれそうにない。できないことばかりのまま、時間が過ぎる。
「雪花、大丈夫か?」
「なにが?」
「なにがって……。かなり、きついだろう?」
「私の出来が悪いから」
心配そうな珠樹に、なぜか苛立つ。珠樹は悪くない。わかっているのに、抑えられない。
「出来ないことばかり見ていると、出来ることまで見えなくなるぞ」
「珠樹にはわからない。私がこのままじゃ、黒龍様は救えない。龍庭の春も、朝陽の命も、全部……」
八つ当たりだ。わかっているのに、言葉があふれて止まらない。助けて。珠樹に背負わせたくなんてないのに、止まらない。
「……何にも出来ないのに、余計な事言った。悪かった」
頭を下げて家に入っていく背中。小さな頃から見ていた背中が、切なく、冷たく、悲しい。ごめん、珠樹。ごめん。
謝罪も不安も、言葉にならずに涙に変わった。
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