第3話
「ふむ、無事揃ったか。天魔将軍四人、誰一人として欠けずにこうして顔を合わせられるというのは非常に喜ばしいものよ」
禍々しい玉座から掛けられる声を、顔を伏せながら受け止めるヴィルヘルムら四人。謁見の際は、魔王が許可するまでその頭を上げてはならないという決まりの為である。
魔人族はプライドが高い者が多いが、同時に完全実力至上主義の世界である。例え自身の子息だろうと、力が無ければ一切の優遇はされない。血統だとか、友情だとかが欠片も反映されないシビアな暗黙のルールがあるのだ。
その為、全ての魔人を統括する魔王という存在は、それ即ち全ての魔人の頂点に立っているという証でもある。
「おっと、我とした事が忘れておった。もう顔を上げて良いぞ。今日も我の愛らしい尊顔を拝める事に感謝して、その幸せを噛みしめると良い」
……そう。例え彼女が童女の如き小さな体躯だったとしても、だ。
「流石魔王様です。いつもお美しい風貌ですが、今日は何だか一段と凛々しくお見えですよ」
「お、分かってしまうか? 今日の朝はなんと、コーヒーに砂糖を入れず飲んでみたからな! その自信がこの身から溢れ出てしまったのだろう! ハーッハッハッハ!」
無駄に玉座が高く作られている為、地面に付かない足をプラプラとさせながら、手に持ったロリポップをチロチロと舐める様のどこが凛々しく見えるのだろうか。
大体の者はそう思うだろうが、魔王に心酔しているアルミサエルからすれば疑問にも思わない事である。
「……アレのどこが凛々しいんだ……?」
我慢出来ずそれを口にしてしまったのはヴェルゼル。当然の感覚を持つ者として、その疑問は大いに頷ける事だろう。
だが、壁に耳あり障子に目あり、口は災いの元という諺もある。どれだけ小さな独り言だろうと、それを誰かが聞いていないという保証は無いのだ。
「おっと、手が滑ってしまった」
魔王の白々しい呟きとともに放たれたのは、魔力で編まれた鮮血の長槍。目にも留まらぬ速さでヴェルゼルの顔面向けて射出される。
だが、そこは流石の天魔将軍。危機を感じた本能に従い首を傾けると、その真横を長槍の穂先が掠めていき、背後の壁に大きなクレーターを作った。
少しだけ削れた耳の先から、一雫の血液がタラリと流れる。一歩間違えれば死んでいたという事実に、さしもの豪胆さを備えたヴェルゼルと言えども額から冷や汗が流れ出た。
「あ、危ねェ……」
自身の生に思わず安堵するヴェルゼル。いくら幼く見えたとしても、その中に圧倒的な実力を秘めているのが魔王である。
並み居る天魔将軍、そして先代の魔王すら片腕で蹴散らし、完全なる下克上によって誕生した、史上最強と名高い魔人族の少女。それが第十一代現魔王、ハーグルス・レムルス・バーンパレス。あらゆる極大魔法を欠伸混じりで操り、空間すらも捻じ曲げる至高の魔術使いでもあった。
因みにヴィルヘルムは蹴散らされた内には入っていない。彼は完全なる魔王直々のスカウトを受けて天魔将軍になっている為だ。最も、彼がそのスカウトを受けた覚えは無いが。
不機嫌そうに咥えていたロリポップをパキリと噛み砕く魔王ハーグルス。口調や態度は尊大な大人そのものだが、思考や行動は見た目のままである。
そのため機嫌の浮き沈みは激しく、それでいて謝罪の際には大人として彼女を立てなければならない為、その機嫌を直すのは非常に面倒臭い。
普段ならばアルミサエルの誉め言葉(勿論彼女にとっては本音)から話が始まる為、終始機嫌良く進むのだが今回はそうは行かない。失言によって機嫌を損ねさせてしまったヴェルゼルに非難の視線が飛ぶ。
「(お、俺かよ!? いや確かにやったの俺なんだけどさぁ……)え、えっと魔王様……本日は、そのー、非常に天気も良く……」
「今日は曇りじゃぞ《暴虐》の。全く、下手なおべっかを使うくらいなら、初めから黙っていれば良いものを……」
うぐ、と言葉に詰まるヴェルゼル。焦りのあまり大した敬語も使えなかった彼女からすれば返す言葉もない。
「まあ良いわ。今日はそんな与太話をする為に集まってもらった訳ではない。早速本題に入るぞ」
だが今日の議題は無駄に引き延ばす訳にはいかないのか、至極珍しいことに彼女が不機嫌なまま話が始まった。
「最近勇者共の動きが活発になっているのは知っているな? つい先程も輩が我が国境を越えようと殴り込みをかけて来たとな。ま、それに関してはそこなヴィルヘルムがきっかりと仕事を果たしてくれたようじゃな! 流石に我が見初めた男、実に良い!」
感謝の言葉一つ告げず、静かに頭を下げるヴィルヘルム。だがハーグルスの中ではそういったキャラだと認識されているのか、それに関して一切の不満が飛び出すことは無かった。
しかし、本来ならこの態度で不敬に問われて、先程のように槍が飛んできてもおかしくは無い。一体、何故こうまで魔王に気に入られているのだろうか。
出会う過程で確かに諸々あったと言えども、一国の主にここまで気に入られるようなことをした覚えは無い。少なくとも、ヴィルヘルムにとっては。
「ま、それ以外にも多々勇者による問題が発生している事も把握している。どれもこれも大体は各々の範疇で解決出来る物ではあるのだが……一つだけ、看過しがたい問題があってのぉ」
欠けたロリポップをプラプラと弄びつつ、憂うような表情を浮かべるハーグルス。
「先程東の国境……丁度エピフ山の辺りだな。あの場を徘徊していた魔物が死亡しているのが発見された。ま、それだけならただの魔物同士のいざこざで済むんだが……問題は特定の部位が切り取られていたという事にある」
実力至上主義である以上、お互いの優劣を決める為相手と殺しあうというのは、魔族においてそう珍しいことでは無い。勿論そこに残虐な気性が混じることは少ない為、本当に相手を殺す段階まで行くことはそうそう無いが、不慮の事故でそうなってしまうという事は少なからずある。
その為、魔物の死体がある程度では話題にもならないのだが、問題なのはその特定の部位が切り取られているという点だ。
普通に殺すだけならそのような事はしない。やるとすれば余程猟奇的な殺人犯か……もしくは人間か。
討伐証明として必要になる為であるが、一度勇者を吹き飛ばした時、持ち物からゴブリンの耳と思しき物体がゴロゴロといくつも転がり落ちてきた時はさしものヴィルヘルムも眉根をひそめる程度には嫌悪を覚えた。
狩りをして生計を立てていた身としては、殺すだけ殺して体の一部だけを持っていくという行為にいささか不快感を思わずにはいられないのだ。
いくら魔物が人類と敵対しているからといって、態々相手方の森に出向いて殺戮の限りを尽くす。どんな時でも命への敬意を忘れなかったヴィルヘルムにとって、そういった勇者達の行為は唾棄すべきものであった。
「エピフ山と言えば私の領地……申し訳ありません魔王様。私が不甲斐ないばかりに」
「そう畏まるなアルミサエル。元はと言えばあのマグマを超えられないと踏んだ我のミスだ。全く、脆弱なヒトの癖に悪知恵だけは働くものよ」
エピフ山は魔王領において一、二を争う霊峰である。山肌険しい荒涼とした土地に、火口から溢れ出した溶岩が道を塞ぐように横たわるという過酷な環境の為、滅多に近づく者はいない。
だがそこが盲点だったのだろう。魔物の殺害を行なったのが勇者達だった場合だが、監視の目が甘い所を付かれたのだ。
「重ねて申し訳ありません。総力を挙げて私が捜索を……」
「いや、奴らが何処まで踏み込んでいるか分からん。奴らに動きを見せない為にも、お主には留まって貰わねばならん」
いかに童女然とした姿形をしていようと、そして新たなロリポップを口に咥えていようと、その頭脳は一級品。史上最強との称号は、ただ強いだけで与えられる物ではないのだ。
「だが奴らの事は確実に仕留めなければならないーー故にヴィルヘルムよ。この件にはお主に出張ってもらいたい」
「……(アイエエエエ俺!? ナンデ!? お仕事ナンデ!?)」
内心で騒ぎまくるヴィルヘルムだが、天魔将軍の中で最も勇者を撃退しているのは彼である。対勇者様に作られた最終兵器なのではないかとまことしやかに囁かれている噂があるとか無いとか。
だが、そんな事情はつゆ知らず。基本的に無精である彼は、唐突の出張命令に鉄面皮の下で戸惑う。
「お、ヴィルヘルムか。今回も《瞬刻》で片付けてくれるんだな?」
「ヴェルゼル、魔王様の前で下らない冗談は止めなさい……ヴィルヘルム、私の尻拭いをさせてしまうのは心苦しいですが、是非ともよろしくお願いしますね」
「いーなー、ノーチラスもヴィルと一緒に行きたーい」
「(いやいやいや、なんでもう俺が行く展開になってるの? 一言も認めてないよ? てか行きたいなら代わりに行ってくださいお願いします)」
必死に言い訳を連ねるヴィルヘルムだが、残念ながら一言も漏れていない為周囲には何も伝わっていない。沈黙は金と言うが、主張がないというのも悪癖の一つである。
「うむ、反対は無いようだな。ではヴィルヘルムよ、お主の手腕楽しみにしているぞ!」
「……………………分かった」
長い、長い沈黙。空気に逆らえなかった彼は、その後にようやく絞り出すような声で承諾した。
なお、絞り出すような声といっても側から聞けば普段の声量と変わらなかった為、彼の葛藤は一切魔王には伝わらなかった。
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