愚痴

 TRSの視察は業務とは無関係だったので伊刈は午後から休暇をとって一人で出かけた。同行取材を希望していたJHKの本郷は取材先のドイツでトラブルに見舞われて帰国が遅れて参加できなくなった。

 鶴見線で何駅か目の臨海工業地帯のどまんなかにTRS川崎工場があった。道が不案内だったので伊刈は駅からタクシーで向かった。製鐵所の正門は駅のすぐ側だったが、そこから五分も走ったのでタクシーでよかったと思った。

 鉄鋼不況のときに再開発が計画された区域で、周囲にはさまざまなハイテク企業や環境企業が立地していた。だが空地もまだ目立った。鳴り物入りで始まった製鉄所の再開発は日本経済低迷の長期化で中途半端な結果になっていたのだ。しかも皮肉なことに中国やブラジルなど新興工業国の経済成長で、鉄の国際価格が回復したため、むしろ製鉄所の敷地が足らなくなっていた。

 製鉄所の構内は迷路のようだった。巨大な配管を何度も潜り、何度も角を曲がると、TRSの真新しい工場が見えてきた。事務棟と工場棟が一体になったシンプルな建物だった。普段は工場にいない三善社長と技術部門責任者の西邑専務がわざわざ伊刈の案内役のために待っていた。この二人がTRSの創業者だった。

 タクシーを降りると社長室に隣接した応接室に案内された。応接室といっても余剰のスペースに応接セットをむりやり押し込んだ事務的な部屋だった。女性事務員がコーヒーを淹れて持ってきた。一口飲むなりブルーマウンテンだとわかった。伊刈がコーヒー通だと聞いて奮発したというわけではなく、三善自身の好みらしかった。彼くらいの年齢だと高級コーヒーの代名詞はブルマンだと信じている者が多い。でもエスプレッソがブームになってからは、苦味の強いアジアのコーヒーの人気が高まっていた。伊刈も自宅ではマンデリンやチモールを飲んでいた。

 「工場と事務所が一体なのにとても静かな事務所ですね」伊刈は開口一番に言った。

 「わかりますか」三善が嬉しそうに答えた。「実は防音材にはお金をかけたんです。隔壁にも外壁にもこれ以上ないくらい防音材を使っています」

 「それにしても静かですよ。まるで操業していないみたいです。振動も全くありませんね。基礎にもお金がかかってるんじゃないですか」

 「ありがとうございます。早速ですができれば当社の紹介ビデオをご覧頂きたいんですが」

 「先に工場を拝見します。時間もあまりないですし百聞は一見に如かずですから」時計を見ると既に午後三時を過ぎていた。

 「なるほどわかりました。それではヘルメットをご用意いたします」

 西邑は用意しておいた視察者用のヘルメットと軍手を伊刈の前においた。伊刈はヘルメットだけつけ軍手は置いて立ち上がった。

 「臭いがないですね。容リ施設には生ゴミ臭があるところも多いのに」伊刈は入荷ヤードにつまれた使用済みペットボトルのベール(圧縮梱包物)を見ながら言った。

 「うちは自治体がきれいに選別したペットボトルだけを扱っているんです。その分高く買っていますからね」

 隣の建屋に移ると、ボトルからラベルを剥がす装置、赤外線の塩化ビニル分離装置、磁力や電気力で金属を除去する装置、そして遠心分離機、アルカリ洗浄槽、乾燥機などが複雑に組み合わされた巨大なプラントが目の目に現れた。

 「うちのアルカリ洗浄プラントは自主開発なんです。バージンのPET(ポリエチレンテレフタレート)と遜色のない高品質を実現しています」

 三善社長が自慢するプラントは完全オートメーション施設だった。ベールから解砕されたペットボトルがベルトコンベヤーに載せられ、複雑な経路をたどっていくうちに、ラベルとキャップ、塩化物や金属も除去され、苛性ソーダ溶液で飲料の滓が洗浄され、真っ白なフレーク状に粉砕されて出荷用のフレコンバッグへと落ちてくるのだ。除去された不純物もそれぞれに再資源化が可能で、廃棄物として捨てるものは千分の一も出ない。

 製鐵所の環境部長から脱サラ起業しただけあって何もかも理想を追求した工場だと伊刈は思った。だが理想の追求は当然高コストになる。おそらく大安商会の馬代表がここを見たら「これだから日本のリサイクルダメよ」と一蹴したことだろう。

 時間が押してしまったので工場の紹介ビデオはDVDに焼いて渡すことにして、三善と西邑は伊刈を鶴見の韓国料理店に案内した。

 「このあたりにはこんな店しかないものですからね」三善らしくない謙遜の言葉で簡単な食事会が始まった。場末の料理店らしくテレビがつけっぱなしで、ちょうどボクシングの試合を放送していた。何かと話題をかもしている三兄弟の長兄の試合だった、

 「三善さんは商社からの脱サラなんだそうですね」伊刈が話題を創業談に向けた。

 「お恥ずかしいかぎりです。西邑と二人で脱サラして始めた会社なんですが、創業資金がなくて二年間は金策の毎日でしたよ。思い描いたとおりのプラントを建設するには十億円どうしても必要でした。でも時代はどんどん変わりますから二年間の出遅れは大きかったです」

 「脱サラのきかっけはなんですか」

 「これからは環境の時代だからプラスチックリサイクル事業に本格進出したいと、西邑と二人一年がかりで仕上げた企画書が重役会で否決されましてね。それなら自分たちでやると意気込んで会社を飛び出したわけです」

 「正解でしたね」

 「どうでしょうか。正直複雑な思いですね。実は否決された企画書が私が辞めた後に復活しましてね。やると決まれば向こうは資金が潤沢ですから、こっちが金策に手間取るうちに先に操業されてしまいましてね」

 「つまりライバルになってしまったんですか」

 「リサイクルの方式が違いますから直接のライバルとは思いませんが、容リ協(日本容器包装リサイクル協会)のPETの入札では競合していますね」

 「むしろ望むところじゃないですか」

 「公正な競走ならいいんですが実績のないベンチャーは入札でもいろいろ差別を受けておりましてね。最初は噂にすぎないと思っていたのですが、実はこの間、協会の理事をやっている方が持っていた落札結果の一覧表を偶然入手しましてね。それを見たらうちより高い価格なのに落札している業者があったんです」

 「それがほんとなら入札妨害罪ですね」

 「そこまでは申しません。価格以外にいろいろ条件がありまして、それが公表されておりませんのでね。でもどうなっているものやら、たいへん不透明です。国内の入札が厳しい上に最近は輸出にも玉を取られておりますよ。伊刈さん、来年はうちの会社はもうないかもしれないですよ」三善社長は本音をもらし始めた。

 「そのあたりをJHKの特集で取り上げるんですね」

 「なかなか本郷さんは鋭い方ですね。伊刈さんがアドバイザーなら当然ですか」

 「そんな立場じゃありませんよ」

 「今ではもうペットボトルの半分は中国に流れているので協会の入札にかかるのは残りの半分しかありません。中国系の商社がいい値で買いつけるので品質の悪い方の半分が国内に残るんです。しかも国内では今さらのように新規参入の業者が増えているので売り手市場になってしまい、価格がどんどん上がっています。新しい業者ほどプラント価格が安くなっているので、入札価格を高くできるんで有利ですよ。ここだけの話なんですが、最古参の業者には優先的な割り当てもあるみたいなんです。だけどうちは古参でもないし新参でもない中途半端な位置ですからね。うちみたいな会社がなんの恩典もなくて一番苦しいです。ただですね、入札が不透明じゃないかって協会に抗議したところ、裏を知られてると恐れたんじゃないですか。来年からは落札価格が公表されることになりました」

 「それじゃ古参業者の優遇はもうできなくなるわけですね」

 「それはどうでしょうかねえ。いろいろやりようはあるでしょう。この件でうちは協会の恨みを買ってしまいました。今年の入札はなんとかなりましたが、もしも来年落札できなかったら輸出向けの荷を高い価格で買わないといけない。それもできないようなら工場は閉鎖ですよ。だけど伊刈さん、苦しいのはうちだけじゃない。今年の入札に負けて閉鎖される工場がいくつもあるんですよ」

 「リサイクルも順風満帆じゃないんですね」

 「ほんとにそうですよ。入札で負けるのはしょうがないですが、中国人にまで足元を見られなければならないなんて、もう情けないかぎりですよ」三善の愚痴は止まらなかった。

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