表紙返本
伊刈は夏川を連れて出勤途中の永田社長と錦糸町駅で落ち合うことになった。あらかじめ永田紙業がどんな会社か調べておいた。すると業界第三位の老舗の古紙問屋だということがわかった。その社長が自ら会ってくれるというのがちょっと意外な気がした。古紙業界は歴史の古い業界だが、需給が安定していることから二次問屋数社が仕切る寡占業界になっていた。中国の古紙需要が旺盛なために価格は上昇基調で利益も出ている業界だった。永田は高畠専務を伴って錦糸町駅で伊刈を待っていた。出勤途中ということだったが指定された時刻は十一時だった。
会ってみると予想違わず五代目社長の永田は業界の事情に通じた紳士だった。車を使わず電車通勤しているのが意外な感じだった。駅ビルの中の適当な喫茶店を選んでボックス席に座ると、伊刈は挨拶もそこそこに雑誌の表紙の写真をいくつか示して廃棄ルートがわからないか尋ねた。現物も持ってきていたが、飲食店の店内なのでゴミを出すのは他の客の手前はばかられた。
「ああこれは表紙返本だ」永田は証拠を見るなり同行していた高畠と顔を見合わせた。
「どういうことですか」
「出版物は期限が過ぎると取次ぎを経由して版元、つまり出版社に返本されるのはご存知ですね」
「ええわかります」
「でも雑誌は版元に戻してもしょうがないので、何冊返本になったか数えたら取次から古紙問屋に回るんですよ」
「取次はトーハンと日販しかないんですよね」
「そうですよ。だから返本される雑誌もこの二社に全部集まる」
「すごい量ですよね」
「しょうがないな、そういうムダなシステムだから。ただ地方の販売網はさすがに返本の運送料を節約したいので表紙だけ外して返本するんですよ」
「表紙だけ外して返すんですね。なんかもうちょっと電子データとかでできないんですか」
「確かに今どき現物を数えるってのは時代遅れの気もしますけど、それが一番確実でしょう。現物がないとごまかされちゃいますよ。雑誌の売り上げは出荷した数から返本した数を差し引いて計算するんです。表紙だけでも返本しないと売上代金を請求されてしまいます」
「雑誌ってどれくらいの部数出してるんですか」
「駅中やコンビニまで全国津々浦々に配ってる雑誌だったら三十万部くらいですかね。主だった本屋に置いてある雑誌だったら最低五万部くらいかな。でも半分以上返本になっちゃうことも多いですよ。版元が発表してる発行部数は返本を考慮していないので実売よりかなり多めになってますよ。よほどの話題の記事がないと売り切れになる雑誌なんてないですからね」
「紙のムダってことですか」
「うちはそれが仕事ではあるんだけど売れ残った雑誌の廃棄量は莫大で資源のムダの最たるものですね。紙のムダだけじゃないですよ。規制緩和のせいで最近の雑誌には付録が多いでしょう。パソコン雑誌のCDとかファッション雑誌の小物とか使いもしない付録がいっぱいついてて何万点もムダに作ってムダに捨ててるんです。トートバッグとかね、開封もしないで捨てちゃう人が多いと思いますよ。昔は付録があまり大きくてはいけないという規制があったんですが、それがなくなってから付録のほうが大きい料理雑誌とかもありますよ」
「ああ、ありますね」
「あれもほとんど余っちゃうんだよね」
「表紙返本がどうして流出したかわかりますか」
「うんそうねえ。取次ぎの二社が特約している古紙問屋がそれぞれあるんですよ」
「雑誌の返本を扱っている古紙問屋は二社しかないんですか」
「そういうことだね。だから残念ながらうちは扱えないってことです」
「今回発見したのが二社のうちのどっちかってことは特定できますか」それまで無言だった夏川が身を乗り出すようにして聞いた。
「うんまあできないこともないね。取次ぎによって東京に強いところと地方に強いところがあるからね。あと扱ってる版元もいくらか違いがあるしね」
「表紙返本てことはもともとは地方から来たわけですから地方に強い取次ぎですか」
「まあそうとばかりは言えないと思うけど、地元に製紙工場があるところじゃないかね。古紙が値上がりしてるんで返本しないで地元で売ったほうがいいでしょう」
「なるほどつまり地方の売れ残りの雑誌の表紙返本てことですね。しかも製紙工場が地元にあるかもしれない」
「まあ、そういうことだね」
表紙返本とは目からうろこの情報だった。
「もう一つご意見をお伺いしたい証拠があるんです」
「いいよ何でも聞いてよ。こういう話はなかなか聞けなくて楽しいよ」永田は余裕の表情だった。
伊刈は京常鉄道の廃切符の写真を示して廃棄ルートがわからないか聞いた。
「これが古紙問屋に来てるって言うの」永田は写真を手に取りながら眉をひそめた。「これは製紙工場に取ってもらうのは難しい品物ですね。磁気があるでしょう。このままでは古紙に再生することはできないですよ」
「京常鉄道はトイレットペーパーにしていると説明しています。」
「技術的には磁気粉を分離する方法は確立していますよ。ですがとんでもない高いトイレットペーパーになりますからね。たぶんバージンパルプから作ったほうがずっと安いでしょうねえ。もうちょっと品質に幅のある古紙にする方が向いていますね。ザラ紙とかならいけるんじゃないの」
「でも製紙工場に納品してトイレットペーパーとして買い戻しているというのが京常鉄道の説明でした。でもおっしゃるとおりコストが高いので燃料化の実験をしているということでした」
「これは輸出玉(ぎょく)じゃないですか」隣で聞いていた高畠が言った。「中国なら価格的にも国内よりいいし品質もそれほど厳しくないから。それに中国でもう一度手選別していますからね」
「中国ですか」
「うんそうだねそれはあるね」永田が頷いた。「最近はなんでも中国ですよ。私もこのごろなんやかんや野暮用が多くて上海には毎月のように行ってますよ。これからは古紙は中国だからね。これ確かに輸出玉崩れですよ」
「古紙問屋から輸出するんですか」
「いや我々は荷をそろえるだけで輸出してるのは商社ですよ。ただ商社といっても大手ばかりじゃなく、それこそ有象無象だからね。そうだいっしょに中国まで調べに行ってみますか。ビジネスを取ってあげるよ。向こうで手配するとビジネスだって安いんだよ」
「そこまではちょっと」さすがの伊刈も中国まで調べに行くのは辞退した。
「そう残念だね」
「廃切符が輸出に回ったかどうか確認する方法ないでしょうか。たとえば商社だったらどこですか」
「どこでもやっていますよ。ゼネ商、資源商、古紙専門の商社もありますよ。最近は中国人が直接やってる商社もあるしね。うちみないな老舗症候群の会社はそのうちまるごと中国人に買われてしまいますよ」
「どんな商社が扱っている可能性があるのか確認してもらうことはできますか」
「切符の輸出ルートをですか。それはちょっとムリだけど保税倉庫の知り合いに内緒で頼んでみようか。倉庫会社ってのは裏の事情を何でもよく知ってるからね。やっかいな荷物を預かったら大変だし荷を置いたまま逃げられでもしようものなら大損害だからね」
「ありがとうございます。ぜひお願いします」なぜそんなに親切にしてくれるのかわからなかったが、とにかく永田に保税倉庫の案内を頼んでその日は別れた。
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