Le fantôme future

しおり

第1話

 ある朝、そとは夏の嵐であった。コクーン型充電装置から目覚めたハダリーは、窓のむこうに渦巻く風と葉を見つめ、今日一日は少なくとも太陽光発電に頼ることはできなさそうだと結論付け、人間体に圧縮していた手足と体幹のメンテナンスを始めた。

 今日は録音作業がある。集音機に乗りやすい音程を調整しておかなくてはならない。声帯を丁寧にコントロールすると、ふと、昔に失った同胞とよく似た声が出た。

 嵐の朝、誰になればよいのかきめていない。嵐が似合うきょうだいはいなかった。

 コアにストックされた多数のメモリーは、日によって選ばれ、起動させられる。

 花が咲けば一番目のきょうだい、スヴニールのメモリーを起動させる。手足は薔薇の蔓となり、戯れに詩を口にする。

 風が吹けば二番目のきょうだい、ロシニョールのメモリーを起動させる。手足は翼と鳥の脚に変わり、屋根の上から空を見る。

 星が光れば三番目のきょうだい、エトワールのメモリーを起動させる。手足は宝石のように輝き、胸の奥では星がきらめく。

 何もない日なら、自分、ハダリーのままだ。

 普段通りの姿で、床に脚をおろすと、尖端がこつり、と硬質な音をたてた。


 エンディ・ブルデンには広大な花畑を有する庭があり、今は紅のひなげし、青と紫の矢車草の季節である。あざやかで切ない色合いがこの上もなく美しいのだが、夏の嵐で、そこは花びらと雨の海となっていた。夢のように渦巻く極彩色が勿体ないことだと、廊下から窓の外を見つめてハダリーは思う。ハダリーは、二度と同じ花が咲かないことを理解している。そして、それを尊び、惜しむ感性も。

 床を傷つけないように、ゆっくりと、慎重に歩く。高密度の肉体は、人間の形をとっていても非常に重く、脚は硬い。雨音でも隠しきれないこつ、こつという足音が響いている。遠くで、楽しそうな子供たちのさざめきが聞こえた。

 今日は外では遊べない。施設内の子供たちはさぞ退屈することだろう。ハダリーは孤独を愛するが、他者を厭うわけではない。自分の黒い指先に目を落とし、ハダリーは決めた。

 今日はソワナに身体を譲ろう。ソワナのメモリーが、雨をダンスミュージックに変える。

 朝食後の検査時刻まで、子供たちの相手をすることも悪くない。





 ボンジュール。声はこれでいいだろうか。

 僕はハダリー。理想と名付けられた兵器にして、スヴニールと、ロシニョールと、エトワールと、そしてソワナの心臓を持つゴースト。

 僕は、戦争前にラボラトリー・[編集済]で、Dr.[編集済]の制作した"恐るべき子どもたちアンファンテリブル"シリーズの末、全身を人工分子で造られた新しきとして誕生した、アンドロイドだ。アティア・ファクトによって生み出された、人工の心を持つ存在。

 残念ながら、戦後に施された処理のせいで、僕は当時の状況を仔細に語ることはできない。だから、これから先の僕の証言は断片的かつ散文的なものになるだろう。資料として価値があるかどうかは、研究者各位が判断してほしい。

 スヴニールと、ロシニョールと、エトワールは、薔薇と、小鳥と、星の同胞であった。この三体のあとに、僕たち双子・・のアンドロイドが制作された。

 その片割れが、ソワナだ。

 ハダリーとソワナ──当時は名前など無かったが──僕たちは恐らく、最も"恐るべき子ども"の完成形に近い形で生まれてきた。スヴニールの高慢を修正し、ロシニョールの気まぐれを修正し、エトワールの頑なさを修正し、無色透明に近い僕たち双子、"イデアール"が誕生した。あの戦争が始まってからのことだ。

 もともと"恐るべき子どもたち"シリーズの制作は、兵器の製造を目的として計画されたわけではない。この計画を、関係者はシンプルに"未來のイヴ"計画、または"天使メザンジュ"計画と呼んでいたが、その目指すところは非常にシンプルだった。

 すなわち、生命の創造。

 古来より、人は神の意思に因らない生命の創造を禁忌としてきながら、多くの学者たちがその禁忌の実現を渇望してきた。好奇心とはまさに蛇で、人は容易く唆され、禁断の果実に手を伸ばす。楽園を追い出された原罪を背負いながら、人はなにひとつ学ぶことがない。

 そう、僕たちの生みの親は言っていた。

 この施設内にはさまざまな者がいる。彼らはみな、なんらかの素晴らしく悲しいかもしれない力を、神から受け取っている。種族が違う生物の特徴を人造人間に組み込み、新しい存在を作ることを彼らは目指していた。彼らは自然の創造物を尊敬し、畏怖していた。あるいは、人工と自然の邂逅が、真の新しい生命を創造すると考えていたのかもしれない。

 追憶スヴニールはここで言うならNo.7の特徴を受け継いだアンドロイドだった。髪や身体に電子の薔薇を咲かせていて、夜にはそれが紫に輝き、あたり一面を支配した。

 小夜啼鳥ロシニョールはここで言うならNo.5の特徴を受け継いだアンドロイドだった。手の代わりにつめたい翼と、鳥の脚を持ち、不思議な目と声を持っていた。

 エトワールはここで言うならNo.4の特徴を受け継いだアンドロイドだった。体内に液状化させた金属や鉱物を貯蔵した、生ける結晶窟だった。

 そして、僕たち双子は──完全な人工物を目指してつくられた、最も純粋なアンドロイドだった。僕たちを、研究者は理想イデアールと呼んだ。僕たちに個々の区別はなかった。

 僕たちを理想と呼んだのは、僕たちを造った研究者だけだった。

 僕たちアンドロイドの製作は、元々は電気信号で制御できる物質の範囲を無機物にまで拡張し、新種の粘菌や自由電子をもたせた人工分子でパーツを繋ぐところから始まった。徐々にそのパーツが、人工分子そのものに置き換わり、薔薇や動物や宝石などの不純物に頼ることがなくなっていった。僕たちは完全に人の手によって作られ、太陽の光で動く。

 だからこそ理想。

 この、鉄より重い不定形の腕や脚は、新しい生物の形だ。靭く、硬く、なにを抱くこともできない。

 僕はもう外にはでない。

 この脚は重すぎて、土には沈んでしまう。


[少しのノイズ]

[静寂]

[録音が再開される音]


 ……失礼。僕の電気信号が影響したようだ。少し情動を抑えよう。

 ああ、確かに僕はアンドロイドだし、表情もそれほど変わらないが、内面は違う。僕だって、ものを感じ、考え、思いだしているとき、思考は海のように乱れるのだ。先程は、多少波が高くなって……。

 僕たちの生い立ちや性質について語ることは、大いに複雑な思考機能のはたらきを要する。機器に負担がかからないよう、できるだけ事実を簡潔に陳述するにとどめよう。それ以上を思いだし……語ることは、僕の心を乱す原因になりかねないから……。

 メルシィ。あなたがたの快諾にほっとした。では、少しだけ。とりとめのない、ただの思い出話をしよう。まさに、回想録スヴニールだ……。

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