第34話 お客さん、ここにリンパが……
カポッカポッと、夜の街道に馬の蹄の音が響く。
俺たちはキバト村の人たちが売り払った、俺たちの装備品や、その他貴重品を回収すべく、馬車に乗って移動していた。
ちなみに、この馬とキャビンはお詫びとして、村から頂いたものだ。
キャビンのほうは、布がところどころ破けており、感じたくもない年季を感じさせてくれていた。本当は村で一番いいやつを貰えるはずだったが、アーニャ様の気遣いにより、普通のキャビンと、馬を貰った。
正直、普通のクラスならまあ大丈夫だろ。くらいの気持ちで乗り込んでみたけど、蓋を開けたら、なにこれ? 盗賊かなんかの襲撃を受けた後ですか? みたいなのを寄越された。
しかしまあ、こんなのでも、ないよりはマシという鋼の精神で、俺は心を無にしていた。
そしてキャビンには、これまた村から頂戴した、安物のカンテラが、ゆらゆらと馬車の先と、キャビンの中を照らしていた。
頼りない光ではあるが、これがなければ、辺りは完全に闇。
ビースト以外は、何も見えなくなってしまう。
あ、それと、もちろん村からは、俺たちの装備品を売って得た金は返してもらった。
これがないと、買い戻すことができないからだ。
なぜか村長は返金することに対してぐずっていたが、ビーストに喝を入れさせたら、あっさり返してくれた。
ちなみに今、馬車を操っているのはユウだ。俺は馬の扱いとか、そういう面倒な事はできないため、かわりにユウがやってくれている。
ユウも初心者だったが、馬主から適当な説明を受けただけで、すぐに乗れるようになった。
我が妹ながら、飲み込みが早いというかなんというか……、ここまで何でもできると、逆に何ができないかを知りたくなってくる。ヤツの弱点を知りたくなってくる。
炊事洗濯などの家事全般から、戦闘、馬術、魔法……数えているだけで、なんだか気が滅入ってくる。
もういいや。
ユウはユウ。
俺は俺。
みんな違って、みんないいんだ。
――しゃぷしゃぷしゃぷ
どこからか、間の抜けた咀嚼音が聞こえてくる。
ヴィクトーリアだ。
俺の横でヴィクトーリアが、大量に積まれたキバト産のトマトを、一心不乱に食べていた。
「にゃあ……止めるにゃ。売る分が無くなっちゃうにゃ」
「む、すまない。これで最後にするから」
「いや、それさっきも聞いたんにゃけど……」
ビーストはヴィクトーリアに苦手意識があるのか、強く出ることができないでいる。人間、そんなに簡単に苦手意識は拭えないということか。
こいつは魔物だけど。
そして、それを見兼ねてか、ついに聖母アーニャが、ヴィクトーリアに優しく諭し始めた。
「こら、ヴィッキー。ダメでしょ? めっ」
「いや、なんというか……やめられない止まらない……」
「それは街で売る分なんだから、食べちゃダメだよ。めっ」
「シュン……」
「……こうなってくると、どっちが年上かわからんな」
「と、年上はわたしだ!」
「わかってるよ、皮肉で言ってるんだ。この食いしん坊め」
「……しかし、アーニャには頭が上がらんのも事実だ……」
まあ、わからんこともない。
あんなに優しく接されたら、否が応でも興ふ――げふんげふん、こちらに非があると思ってしまう。
「ていうか、よくよく考えたら、ビースト」
「にゃ?」
「おまえ、ずっとトマト食ってたってことだろ? 飽きるとか、それ以前に、栄養とかヤバかったんじゃないか? 偏りまくりだろ? もうそろそろ、光合成とかできるようになってるじゃないのか?」
「にゃにゃ。そんなんできないにゃ。それに、もちろん、食ってたのはトマトだけじゃないにゃ。近くに川があったから、そこで魚を捕ったり、猪とか食べてたにゃ」
「生でか」
「もちろんにゃ。火を起こす技術はニャーにはないからにゃ。でも、皮や鱗、内臓は取って、血は抜いてから食べてたにゃ」
「サバイバルキャットだな。……いや、ふつうか? ワイルドキャットか」
「それにぶっちゃけ、最初の何日かは良かったんにゃが、トマトってずっと食ってると、飽きてくるのにゃ……にゃんというか、具体的に三日くらいから『あれ? もしかして光合成できるなじゃね?』ってくらいまで――」
「おい、ビースト、なにに飽きるって……?」
「にゃ……、しまった……」
「……おいおい
「にゃわわ……、にゃんでもにゃいよ」
「そうか。どうやらわたしの空耳のようだ。悪かったな」
「……おまえもおまえで、なんでそんなにトマト好きなんだよ」
「いや、逆に訊くが、ユウトはトマトが嫌いか?」
「好き……だけどさ」
「な?」
「その言い方ムカつくな。でも、よく言うだろ、トマトの酸味が嫌いとか、食感とか、中にある種が嫌いとか、生理的に受け付けないとか……」
「なに!? そんな者がいるのか?」
「いるいる。てか、ぶっちゃけトマトって、嫌いなやつのほうが多い食材じゃないのか?」
「な、なんと……!」
「……ご主人、ヴィクトーリアがショックのあまり、白目を剥いてるにゃ」
「よっぽどショックだったんだろうな。墓前にはトマトを供えてやろう」
「……あ、アーニャ、おまえはどうだ? トマト! 嫌いじゃないよな!?」
「え? う、うん、好きだよ。……て、ヴィッキー、わたしが好きなの知ってるじゃない」
「ユウはどうだ……!」
「え? あたし? あたしは……フツーかな?」
ユウは馬の手綱握ったまま、振り返らずに答えた。
って、こいつ、俺が絡んでないときは普通なんだよな。
ヴィクトーリアに聞いたけど、俺が隣にいるときだけ、眼がなんかおかしくなるらしい。
でも体感的には、眼だけじゃなくて、頭もおかしいんじゃないかと、俺の中でもっぱらの噂である。
でも、それ以外の時はマジに普通の女の子らしい。
にわかには信じられないけど、俺がいない間の、ユウの村での評判は、すこぶるいいものだった。
まじでなんなんだ、こいつは。
いやがらせか? 俺に嫌がらせをしてんのか?
へこむぞ?
「な、なんなのだ、フツーって……!」
「んー……、特別好きってわけじゃないけど、嫌いでもないかな。あ、でも、料理で色々使えるのは便利だよね。単品だけだと、どうしても食べたいって気にはならないけど……。あ、サラダに入ってるのは好きだよ」
「……そういえばおまえ、子供の時、トマト嫌いだったよな? 食えるようになったのか?」
「そうだよ、おにいちゃん。おにいちゃんが好きな食べ物だからね。あたしもガンバって食べないと……って思ったんだよ。ふふ」
……やっぱりだ。
俺が話しかけたときだけ、声のトーンが一段階下がって、ねちっこくなる。
なんだこいつ。なんか怖いわ。
「そんな……この世の中に、トマトが嫌いな人間がいたなんて……」
ヴィクトーリアはそう言うと、完全にうわの空になってしまった。
そんなヴィクトーリアの横で、なぜかアーニャが必死に励ましている。
「……話は変わるけど、ビーストもさ、馬車の扱いを習ったほうがいいんじゃないか?」
「なんでにゃ?」
「なんでってそりゃ、取引がうまくいったら、これから馬車に乗って、いろんな所を回るんだろ?」
「にゃ、そういうことかにゃ。……心配ないにゃご主人」
「心配ない?」
「んにゃ。にゃって、ニャーが直接、これを引っ張ったほうが速いのにゃ」
「は? まじかよ」
「そうにゃ。ニャーの力は、馬にゃんかを遥かに凌ぐにゃ。逆に馬が邪魔ないくらいにゃ。なんにゃ? やろうとおもえば、今すぐ馬と代われるけど、どうするにゃ?」
「……いや、やめておこう」
多分、馬よりも速いのは真実だろう。
でも、多分こいつの場合、安全もクソもないと思う。
速度と安全……そのふたつを天秤にかけるなら、俺は迷うことなく、安全を取る。
俺はそういう男だ。
「そうにゃ? ……ほんにゃら、しばらくこの無駄を楽しむとするかにゃ」
ビーストはそう言うと、体を丸め、猫みたいに寝てしまった。
夜行性でも寝るんだな……。
アーニャとヴィクトーリアは、ふたりでなにやら談笑している。トマトの事はもうすっかり、いいのだろう。
忘れっぽいやつめ。
「………………」
ふたりの会話に入り辛く、なんとなく手持ち無沙汰で寂しくなった俺は、ユウの横まで移動した。
「あ、おにいちゃん。どうしたの?」
「いや、……あとどれくらいで、
「村の人に教えてもらった限りだと……、明日のお昼くらいには着くはずだよ、おにいちゃん」
「昼か……」
結構長いな。その間、ずっと馬を走らせるわけだ。
馬の疲労もそうだが、ユウも相当疲れるだろう。
代わってやることもできないし、ここは――
「どうだ、ユウ。なにか手伝ってほしい事や、やってほしいことはあるか?」
「どうしたの? おにいちゃん?」
「いや、おまえだけなんか悪いかなって……」
「じゃあ……」
ユウはそう言ってしばらく考え込んでから、改めて俺のほうを向いてきた。
「じゃあ、肩……を揉んでほしい、かな」
そう言っているユウの表情は、いつもより妖艶で、なぜか艶めかしく、ギクリとしてしまった。
といっても、出した言葉を引っ込めることもできず、「それくらいなら……」ということで、俺はユウの後ろへ移動して肩に触れてみた。
もみもみ。
擬音が不穏だが、俺はきちんと肩をもんでいる。
ふむ、やはり女子ということもあり、男のよりも柔らかくて、か細かった。
しかし、それでいて、戦うための筋肉はついているのか、しなやかさもあった。
表現が不穏だが、俺は別に下ネタを言っているわけじゃない。
俺がそんなことを考えながらユウの肩をもんでいると――
「ん……んぅ……はぁ……ん……!」
と、押し殺したような声が聞こえてきた。
もちろん、声の発生源はユウ。
揉めば揉むほど、たたけばたたくほど、ユウの艶やかな声に抑えが効かなくなる。
なんだ、こいつ。
なんなんだ、こいつ。
このまま止めてしまおうか、と思ったところで手が止まる。
背後で談笑していたアーニャとヴィクトーリアの声が聞こえなくなっている。
――見られている。
俺はそろそろと振り返ってみると、ビーストを含めた三人が、俺とユウの一挙手一投足に注視していた。
皆一様に顔を赤くしており、俺の視線に気がつくと、ビースト以外が、わざとらしく視線を逸らしてきた。
まてまて、なんか、ものすごい勘違いをされていないか?
「にゃははー……、あの、ご主人? そういうのはできるだけ、二人きりの時にやってほしいにゃ。さすがのニャーもにゃんというか……、ちょっとだけ気まずいのにゃ……」
「あ、アホか! これはただのマッサージじゃ!」
「まっさーじ……? あの、リンパを中心とした、いかがわしいあれかにゃ?」
「間違った知識を身につけるな! あれはそもそも企画もので……ちょっと、ふたりとも! こっち向いて!? 違うんだって! これはなんというか、俺の精一杯の労いっつーか……!」
「ありがとう、おにいちゃん。……すごく、きもちよかったよ」
「妙な声で、勘違いされるような内容を言う――」
「待て、オメェラ!!」
突如、なんかよくわからん男の声に、俺の声がかき消される。
そして次の瞬間――ドヒュン!
キャビンを引いていた馬の脳天に、どこからともなく飛んできた弓矢が突き刺さった。
馬はそのまま力なく、ガクンと崩れ落ちると、俺たちの乗っていたキャビンも後ろへ大きく傾いた。
完全にくつろいでいた俺たちはゴロゴロと転がるように、キャビンの後方から外へ放り出される。
俺はなんとかして立ち上がろうと試みていると、ぞろぞろと大量の足音が、俺たちの周りを取り囲んだ。
俺はひっくり返ったような体勢のまま、動くことをやめ、眼球だけを動かして状況の把握に努めた。
人数は……相当数。そして全員、なぜか顔を隠すように覆面を着用している。
盗賊か……? いや、ちがう。それにしては、服装や動きに統一感がない。
なんだ? ゴロツキか……?
「あへ……あへへへへへ……、おい、おまえら、動くなァ!!」
集団の中。一人の男が、地面に這いつくばっている俺たちに向かって、声をあげた。
案の定、ヴィクトーリアは涙目で、いまにも泣き出しそうになっている。
「いまから、この馬車の物は全部俺たちがもらう!」
「……おいおい、見ろよ。いい女もいるじゃねえか!」
そう言った男は、覆面の上からでもわかるほど、気持ちの悪い笑みをヴィクトーリアに向けていた。
ヴィクトーリアはその視線から逃れるように、顔を逸らした。
「こりゃあ、当たりだな……。女は全員連れて帰れ!」
「なんだ、男もいるぞ」
「……いいや、男に興味はない。殺せ」
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