第32話 鬣狗の本懐
俺たちが村に戻ると、もうすでに陽は落ちており、あたりにはすっかり夜の帳が降りていた。
村は相変わらず夜でも明るく、村というよりもやはり小さな町――と例えるほうが的確な気がしてきた。
村ではすでに、村人たちが俺たちの事を待っており、俺たちを見かけると、その全員が早くも
「お戻りになられましたか……」
この村へ来たときに話を聞いた村長。
その村長が先ず、俺たちに話しかけてきた。
「はい」
「見たところ、やはり魔物の討伐には至らなかった様子……」
「ですね」
「ワシらも痛恨の極みですじゃ……。しかし、あなた方がこうなってしまった責任は、無論、ワシらにあります。ですからどうか、愚かなワシらに罪滅ぼしのチャンスを……」
「いえいえ、今回の事は魔物が起こした事件です。あなた方は、そうすることでしか生きていけなかった。恨むのなら、自分たちの力のなさを恨みますよ。……だからどうか、気にしないでください」
「……そうですか。誠に申し訳ない。……では、村に滞在しておられる間、ワシらが精一杯おもてなしを――」
「なー……んて、言うと思ったかァァァァァ!? ぶあああああああああああああか!!」
「え!?」
「出てこい、ビースト」
「ニャー!」
俺の声に呼応するようにして、ビーストがどこからともなく、飛び出して来た。
ビーストはクルクルと空中で回転すると、そのまま音もなく俺の横に着地した。
十点、十点、十点。満点。
……と言ってやりたいが、今はそんな気分にはなれない。さて、どうしてやろうか……。
「……村長、こいつ、知ってますよね?」
「し、知りませんぞ……!? ワシは断じてこんな魔物など、見たことありませぬ」
「あれ? な~んで村長ともあろうお方が、この魔物を知らないんすかね? こいつが、この村を以前よりも
「ぐぬ……!? し、しりませぬ……!」
「ふぅん、往生際が悪いっすね。なら、こっちの魔物さんに訊いてみましょうか? ……おい、ビースト」
「なんにゃ、ご主人?」
「ご、ご主人……じゃと……?」
「このおっさんを見たこと、あるか?」
「んーにゃ、見たことないにゃ」
「……?! はは、ははは! そ、そういうことじゃ! ワシは、ワシらは、そんな魔物など知らん! どうやら、冒険者さんは人違い――もとい、魔物違いを――」
「ニャーがいつも見てるのは、そこのおっさんじゃなくて、その奥にいるおっさんにゃ。そのおっさんが、毎晩食べきれないほどのトマトをくれるんにゃ」
「な!?」
「へーえ、この村では村をグチャグチャにかき回した元凶に、友好の証としてトマトを献上するんだな。面白い村だなぁ? で、どうです? この魔物、こんなこと言ってるみたいですけど……?」
「で、出鱈目ですじゃ! そんなもの、根も葉もない噂で……! そ、そうじゃ! そこの男が勝手に村のトマトを奪って食わせていたのじゃ」
「そ、そんな……! 村長! 話が違う!」
「ふーん、そうなんですね。じゃあ、村からキツイ罰を、その男性に与えなくてはなりませんね? なにせ、村の生命線といわれるトマトを勝手に横流しして、村を陥れたのですから。並大抵な罰じゃ割に合わないですよね」
「そ、そうじゃな……! その男には、罰を――」
村長はいいかけて、口をつぐんだ。
そこにいる村人全員が、ものすごい顔で村長を睨みつけているからだ。
思った通り、ここの村民は一枚岩じゃないか。そのうえ、この感じだと、村長は村長という名の肩書を与えられた案山子。
さて、次はどんな感じで言い訳してくるかな?
「……そういえば、この村ってなにか……トマト以外の産業を行っているのですか?」
「なぜ? 急にそんな話を……?」
「いえね、キバト村の財政はトマトだよりと聞いたことがありましてね。それなのに、今現在、トマトを売るという
「そ、それは……! 村の蓄えを切り崩して……!」
「その言い訳は少し、苦しくないですか? もうどれくらいその蓄えとやらで、こんないい暮らしをしているんですか? そんなの無理だって、ガキにだってわかりますよ。もうすこしマシな言い訳をしていただかないと、こちらとしても虐め甲斐が……、まあいいや。それはそうと、この魔物に訊いたんですがね? どうやら、この魔物は俺たちの装備品なんて、あなた方から受け取っていないって、言っているんですよ。どういうことでしょうかね、これは」
「だ、だから、その魔物がウソついているのではないですか?」
「いえいえ、この魔物の巣を一通り探しましたけど(ウソ)、なにも見つかりませんでしたよ?」
「う、売ったのでしょう! 魔物が装備品を使えるとも限りませんし……」
「……にゃ。さっきから聞いてると、にゃんというか……、あまりニャーをバカにするにゃよ?」
「ひ……、ひぃ!?」
「ニャーだって、あんにゃ金属の塊を食えるにゃんて思ってにゃーよ!」
そういう意味じゃないんだけど……、まあ、この場合はそっちでもいいか。
「……ご覧の通りです。この魔物は、金銭の価値をまるでわかっていない。そんな魔物が、わざわざ装備品を奪って、それを売っているなんて考えられないでしょう?」
「う……ぐぐ……!」
「さあ、もうそろそろ。茶番は終わりにしませんか?」
「ちゃ、茶番ですと……?」
「ええ、こんなもの、茶番以外のなにものでも――」
「ふざけるなァ!」
村長が急に怒鳴ったせいで、俺の脳内が謝罪の言葉の候補を、十個ほど羅列していった。
俺は必死にそれを押しとどめると、何事もなかったように取り繕った。
「ぎゃ……、ぎゃぎゃぎゃ、逆ギレですか。お、おおおお俺がそんなんでビビるとでも思ってんすか……!」
「にゃはは。ご主人かっくいー! でも、ご主人の心拍数はものすごく上がってるにゃ」
「いらんことは言わんでいい」
「ワシらが、ただの茶番でこんなことをやっていると思ってか」
「(もうこれ以上怒鳴られるのいやなんで)ノーコメントです」
「キバト村にはもう、若者がおらぬ。ワシらももう年じゃ。畑仕事もいいが、年々腕が上がらなくなるし、脚もおもうように動かなくなる。腰をやってしもうて、寝込むものまで出てくる始末。しかし、トマトを育てぬと、ワシらは飢え死にしてしまう。幸い、ワシらの作るトマトは質が良く、いろいろな所から商人が買い付けに来ていた。しかし、ある日、
「あの……、その話、まだ続きそうですか? ずっと立ってるとクラクラしてくるんですけど……」
俺としてはこんなところ早く出て、次の町へ行きたいんだけどな……装備品を取り戻してからだけど。
「な……!? 最近の若もんは、人の話も碌に聞けんのか。頭には何やら妙ちくりんな布を巻いておるし……!」
「うーん、ニャーも退屈してきたにゃ」
「おにいちゃんは退屈してるみたいなので、さっさと終わってくれますか?」
「ダメですよ、ユウトさん。この方々にもなにやら事情がおありの様子。ここは静かに聞くのが礼儀というものです。ですが……ふふ、お気持ちはわかりますけどね」
そう言って、アーニャたんは舌を少しだけ出して、俺に微笑みかけてくれた。
嗚呼、天使か。
「おらおら、ユウ、ビースト。老人様の有難い話を静かに聞けんのか、おまえらは!」
「にゃにゃ……、ご主人がいうにゃら……」
「おにいちゃんはあなたの話に聞き入っているので、もうすこしゆっくりと話してくれますか?」
「まったく、話の腰を折りおってからに……」
なんで開き直ってんだろ、このおっさん……。
「どこまで話したかのう?」
「出来の悪いトマトを売りに出したところですよ、おじさま」
「おお、そうじゃったそうじゃった。……そして、ワシらは虎の子のトマトを売りに出したのじゃ。しかし、これを境にキバトのトマトの評判が下がり始めたのじゃ。そして、ライバルのとこからも妙な難癖をつけられてしまっての、みるみるうちに、売れなくなってしまったのじゃ。いまでは味はある程度持ち直したものの、前のようには売れなくなっての……」
「しかし、おじさま。ポセミトールの冒険者の酒場では、キバトのトマトを取り戻すために決起されたのですよね?」
「ああ、冒険者の酒場のなかに、ワシらのトマトのファンがおったのじゃ」
「なるほど、それでですね」
「そんな折、現れたのがそこの魔物さんじゃ」
「にゃー、ニャーにゃにゃ?」
「すまん。にゃんにゃん言い過ぎてわけわからん」
「魔物さんは村に着くなり、ワシらが栽培していたトマトを、ひとつ残らず食いつくしてしまってのう」
「おまえな……」
「にゃははー……。お腹が減ってたんにゃ。それに美味しかったのにゃ」
「それは一体、どれくらい美味しかったのだ!?」
目の色を変えたヴィクトーリアが、ビーストの肩をむんずと掴み、ユッサユッサと揺さぶる。あまりの迫力に、ビーストは珍しく狼狽えている。
「にゃ、にゃんでこの子は、こんにゃに食いついてるのにゃ……?」
「言え! 事細かく、他のトマトとの差異を報告しろ! 懇切丁寧に正確無比にな!」
「ご、ご主人~……なんだかこの子、眼が怖いにゃ~……」
「諦めろ。そいつはトマトの化身だ。答えを間違えれば、死。気をつけて答えろ」
「そ、そんにゃあ……」
「答えろ! 貴様にとって、トマトとはなんだ!」
「沈黙!! それがニャーの答えにゃ」
……もうこの二人は放っておこう。
俺は村長に目配せすると、村長は静かに頷き、再び語りはじめた。
「……しかし、ワシらはその魔物を怒る気にはなれんくてのう……。むしろ、ワシらのトマトを美味しく食べてくれて、嬉しかったのじゃ」
「なんということでしょう。やはり、トマト作りとしての誇りは、失っていなかったのですね……」
「そ、それはウソにゃ……、鍬とか鎌にゃんかで、みんにゃで襲い掛かってきたのにゃ。……にゃにゃー、トマトの化身様、やめるにゃー」
「この村のトマトをトマトソースにすると、どうなると思う? おまえの忌憚のない意見を述べてくれ! いや、述べろ! これは命令である」
ビーストとヴィクトーリアは、いまだにもみ合っている。
……あ、別にへんな意味ではないです。
そして、ビーストにあっさりとウソを暴かれた村長は、哀しそうに俯いていた。
「……あの、なんでそんなウソつくの?」
「いや、なんていうか、いい話の方向に持って行きたくての……情状酌量とかあるかと……」
「自重してください」
「す、すまぬ……のにゃ!」
村長はそう言っておどけてみせた。
老人特有の掠れた声と、ぶりっ子全開のポーズが上手く混ざり合って、とてもイライラする。
ああ、イライラする。
「よし、話を聞き終わったら殴ろう」
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