分水嶺─Ⅶ

 会談後、瑞樹はメウェンと共にすぐさま踵を返し部屋を後にする。


「しかし瑞樹、何か良い案はあるのか?」


 メウェンの疑問は尤もで、瑞樹もそれに頭を悩ませている。


「いいえ全く。ですが国王陛下の口振りからして私の何かを知っている筈です」


 瑞樹が顎を撫でながら思案に耽ると、一つの案が生まれる。ただそれはかなり分の悪い賭けだった。


「…まさか、終焉の歌を使えって事か?」


 瑞樹がぽつりと口から漏らすと、メウェンはぎょっとして彼の方を見やる。確かに終焉の歌なら可能性はあるが、対象も範囲も定まらないそれを使えば、それこそ世界が終焉に向かうかもしれなかった。いくら何でも危険過ぎると、メウェンは瑞樹に話しかける。


「待て、それは危険過ぎるだろう。確かにそれなら可能性もあるかも知れぬが…分が悪い賭けになるぞ」


「そう…ですよね。あのメウェン様、このお城で一番見晴らしが良い所はどこですか?一度赤い星の全貌を見ればまた違う考えが生まれるかもしれません」


「む…本来なら城内を勝手に歩き回るのは宜しくないが…致し方無い。付いてきなさい」


 瑞樹の提案にメウェンは一度目を閉じ思考すると、瑞樹を促しながら彼はそのまま駆け出し、瑞樹もその背中を追う。長い廊下、長い螺旋階段を根性で駆け上がり、息を切らしながらも漸くその場所に着く。そこは城の一角に設置されている展望台のような場所で、確かに周囲を一望する事が出来、さらに上空から迫って来る赤い星も確認出来る。そしてそれは、朝見た時よりもかなり大きくなっていて徐々に近付いているのだと、二人の焦燥感を煽る。


「どうだ瑞樹、何か良い案は浮かんだか!?」


「無茶を言わないでください、今着いたばかりなのですよ!?」


「無茶でも何でも良い、今は君しか止められるものはいないのだぞ!?」


「あぁもう少し黙ってて下さい、気が散ります!」


 二人がぎゃあぎゃあと言い合いながらもその星は止まる事は無い。堪らず巣に戻った瑞樹が黙れと言うと、メウェンもその鬼気迫る様子に口を噤む。


 静かになった事を確認した瑞樹は目を閉じ集中する。すると頭の中にあの声が響き渡り、頭に激痛が走る。


―ウタエ、ウタエウタエウタエウタエ!


 その声はまるで瑞樹の意識を乗っ取ろうと、脳内にがんがんとその声を響かせながら無理矢理黒い靄を噴出させる。一方瑞樹も頭を抱えながら負けてたまるかと、ぶんぶんと頭を振る。その異常な様子にメウェンも「大丈夫か!?」と声をかけるが、瑞樹の耳にはまるで届かなかった。やっぱりこの歌は危険だ、瑞樹がそう思ったその時身体がすうっと軽くなる感じがした。先程とは打って変わって頭も冴えわたる。そして彼は今一度集中し、心を落ち着かせる。



歌は皆を不幸にする為にあるんじゃない


歌は皆を笑顔に、幸せにする為にあるんだ


俺の歌で誰かの笑顔を、幸せを守れるなら



神にだってなってやる…!


 瑞樹の想いが何かに通じたのか、その時不思議な事が彼の身に起こる。


―歌いなさい。貴方の想いを歌に乗せて。


 瑞樹の頭に誰かの声が響いた。今までと違う、そう、例えるならば女神のようだった。そして奇跡が起こる。瑞樹から噴出していたそれは徐々に金色の粒子へと変わり、彼を優しく包み込む。その様子を瞬きする事すら忘れたメウェンが、呆然としながらも瑞樹に問いかける。


「…瑞樹…なのか?」


 瑞樹からの返事は無く、彼は胸の前で手を組み、祈りを捧げるポーズをして一言だけ発する。「祈って」と。




 その頃、各地の様子は混乱を極めていた。さながら地獄絵図、阿鼻叫喚とはこの光景なのだろうと言わざるを得ない。人々はひたすらに自らの運命を呪い、呪詛を吐いていたまさにその時。


―祈って


 人々の頭に直接響くその声は、一瞬にして人々に冷静さを取り戻させる。そして口々に天啓だ…と呟きながら膝をついて祈りを捧げ始める。誰に、何の為に、そんな事は些末事と、一心に声の主へ祈りを捧げていると、人々の身体から金色の粒子が空へと伸び始め、それが徐々に束となり各地に光の柱が生まれる。




「な、なんと…!これは奇跡か!」


「いやそれは違うなダールトン。まさしく彼の者の力だろう」


「…我々は賭けに勝った、という訳ですか」


「それはまだ分からぬ。さぁ儂達も祈りを捧げるとしよう…新たな神に、な」


 何処かから見ていた国王とダールトン。その胸中が明らかになるのは今暫く後だが、今はひたすらに祈りを捧げるのみだった。




「こ…これは奇跡か!」


 語彙力を失ったメウェンは、その言葉を振り絞るのが精一杯だった。今の瑞樹は、各地から伸びた光の粒子を一身に受け神々しく煌めいている。そして瑞樹は目を閉じたまま手を少し広げながら前に伸ばし、ゆっくりと口を開く。


 それは筆舌に難く、表現するのを躊躇う程美しかった。瑞樹から発せられる歌声は、この世の物かと疑う程透き通り、どこまでも伸びていく様はまるで天上の神々に届くかの如く。


 歌声に操られるように光の粒子は赤い星へと伸び、そしてそれを包み込む。完全に包み込まれたそれは、下の方から徐々に光の粒子と共に消えていき、遂にはその姿を確認する事が出来なくなる程粉々に消滅した。


「…奇跡だ」


 その一言に一体どれほどの想いが含まれているのだろうか。人々は空の青さに、そして神の御業に心から感謝し、再び祈りを捧げる。


 そして瑞樹は、歌い終わると同時に光の粒子が消滅し、まるで操り人形の糸が切れたかのようにその場に倒れこむ。自らの力で起こした奇跡の結果を、知らぬまま深い深い眠りに落ちていった。




 この日、新たなお伽噺が一つ生まれた。


赤き凶星が世界を滅ぼさんと高き空より出づる

人々は恐怖し、混乱を極めるが憐れんだ神々が天啓を授けた

天啓に従い祈りを捧ぐと、光より聖なる女神が顕現する

祈りを光に変え、女神はその美しき歌声で赤き凶星を光の祝福へと変えた、と。


 この事実を瑞樹が知るのは随分先になるが、それはまたいつか。

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