きがえっこしましょ

こんぶ煮たらこ

きがえっこしましょ

「あ゛ぁ゛………あ゛つ゛い゛ぃ…………」

「そうですね………」


うだるような暑さが絶えず続くさばくちほーの洞穴から今にも溶け出してしまいそうな声が聞こえてきます。


「知ってたか~…?蛇っていうのはだな~……汗をかかない生き物なんだぞ…」

「はぁ………でもツチノコは汗かいてますよ?」

「あ゛ぁ゛~……じゃあオレは蛇じゃないのかもな………」

「おぉ~…どうりで……」

「いやそこはツッコめよ………」


どうやらふたりともこの暑さに完全にやられてしまっているようです。雨の降らないさばくちほーで実の無い会話に花が咲く筈もなく、だらだらと汗と時間だけが流れていきます。


「スナネコぉ……水あるかぁ………?」

「さっき飲んだので最後ですよ」

「マジか」


ふと我に返るツチノコ。さばくちほーで水が飲めないというのは死活問題です。急いで汲みに行かなくてはなりません。


「仕方ない……準備するか」

「えぇ~………何もこの暑い中行かなくてもいいのではぁ?」


そう言って下の毛皮をパタパタと仰ぐスナネコ。伸ばした脚からは日焼けの跡が一切感じられません。とても砂漠暮らしとは思えない白さです。と、同時にチラッとその中が見えそうになり思わず目を背けてしまうツチノコ。


「…おい、はしたないぞ」

「むぅ………暑いんだから仕方ないじゃないですか」


さすがにこの暑さではスナネコも簡単に外に出ようとしません。さてどうしたものかと考えているとふとこちらを見ているスナネコと目が合いました。


「じー…」

「な、なんだよ……」

「いえ…べつに」


素っ気無くそう返事をしたもののスナネコはまだこちらから目を背けようとはしません。その視線は頭、胴体、腕、脚ときて更には足のつま先に至るまで…。すみからすみまで舐めまわすようなそれはまるで何かを品定めしているかのよう。


「…ツチノコの毛皮は涼しそうでいいですね」

「………オマエ、何か変な事考えてないか?」


思わず身構えるツチノコ。スナネコがこうやって何かを思案している時は大抵ろくでもない事を言い出す前兆です。そしてスナネコから発せられた言葉はそんなツチノコの予想をはるかに上回るものでした。


「ツチノコ、ぼくの毛皮ととりかえっこしませんか」


………は?

ふたりの間に一瞬の沈黙が流れ、ツチノコの素っ頓狂な声だけが洞穴に響きました。それはもう声というよりは息をしたついでに漏れてしまった音――彼女の思考回路がぽん、とショートした音でした。


「いやいやいやいや待て待て待て待てお前は何を言っているんだ」

「えっぼくそんなに変な事言いましたか」

「いやだってお前毛皮だぞ?毛皮って言ったらそれはつまり素肌に直接………」


考えれば考える程ショートした思考回路に火花が弾け飛び今にも顔から火が出そうになります。必死にフードで顔を覆い悟られまいとするツチノコ。スナネコにとってはきっと単なる思いつきで言っただけなのでしょうがいきなりそんな事言われた方はたまったものではありません。


「じゃあせめて足の毛皮だけでも交換しませんか」

「あ、足ぃ?」

「ぼく汗をかくのがへたっぴでいつも足ばっかりびちゃびちゃになっちゃうんですよね」


それでいつも足の毛皮が蒸れちゃうんです、そう言いながらスナネコは足の毛皮を器用に外していきました。確かにツチノコの毛皮と比べるとスナネコのそれは風通しが良いようには見えません。

そしてあっという間に両方の毛皮を外すと、その中から現れたヴィーナスの誕生にツチノコは思わず言葉を失いました。洞穴の薄暗い中からでも分かる白さ、触れたら一瞬で折れてしまうんじゃないかという細さ、そして何よりそれにまとわりついて離れない光る汗がツチノコを惑わせます。

ゴクリ…。

たまらず唾を飲み込むツチノコ。口の中はとっくに渇き切っているはずなのにまるでそうせずにはいられないかのように。


「じっと見つめてどうしたのですか?そんなに毛皮のないぼくの足が珍しいのですか」

「い、いやすまん………」


スナネコはようやく解放されたと言わんばかりにこびとのようなちっちゃな指をぐー、ぱーとさせて遊んでいます。その指が開く度に透明な雫がぱっとはじけ飛ぶのが見えました。

かくいうツチノコはどうでしょうか。砂にまみれた毛皮は黒くくすんでおり、それがただの埃なのか汗で色が変わっているのか検討もつきません。ただ一つだけ確かなのは…。


「………やっぱり駄目だ!!オマエには履かせられんッ!!」

「えぇ~…どうしてですか」


不満げなスナネコの問いに黙ってしまうツチノコ。それもそのはず、今彼女の足の裏はじっとりとした汗で満たされています。こんなものをスナネコが履いてしまったらきっと不快に思ってしまうに違いありません。

なにより彼女のその玉のような足が自分の毛皮で汚れてしまうのを見たくないのです。


「もしかして汗で汚れているのを気にしているのですか?」

「う゛っ………」


そういうお前は気にならないのか、と尋ねようとしましたが元々毛皮のとりかえっこを持ちかけたのは彼女です。スナネコにとっては涼しさ>恥ずかしさなのでしょう。


「ぼくは別にツチノコの汗なら気になりませんよ」

「オレが気にするんだよゥッッ!!」


しかしスナネコは聞く耳を持たずじりじりとその距離を詰めていきます。どうやらもう我慢の限界のようです。


「大丈夫ですよ。そんなに心配しなくてもすぐ終わりますから……」

「オイオイオイオイ待て待て待て待てそれ以上近付くな…………」


じわり…じわり。

四つん這いで迫りくるスナネコに思わず萎縮してしまうツチノコ。その瞳は紛れもなく野生のハンターそのものです。そして………。


「では………いただきます」

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!!!!!!!!!」
















「まんぞく…」


すぐ終わる、と言ったスナネコの言葉は本当であっという間にツチノコから毛皮を奪うとそれを自分の足にはめてしまいました。そして恍惚の表情を浮かべながらカツカツと毛皮を笑わせています。


「ツチノコ!これとっても涼しいですよ」

「ははは………そりゃ良かったな…………」


かくいうツチノコは無理矢理身ぐるみ剥がされすっぽんぽんになった足をただ呆然と見つめるだけ…。膝を抱えてうずくまり、心無しかその瞳のハイライトも消えかかっているように見えます。

しかしツチノコに待ち受ける受難はただそれだけではなかったのです。


「じゃあ次はツチノコがぼくの毛皮を着る番ですね」

「あぁそうだ………あぁ!?ちょっと待て!!どうしてそうなる!?」

「だってこのままだと水汲みに行けませんよ」


どうやらスナネコは毛皮交換をしてから外に出るつもりだったようです。確かにろくに毛皮も着けないまま砂漠を歩くのはとても危険な行為、やけどをしてしまいます。


「早くしないとからからになっちゃいますよ」

「……どうしてお前はそう恥じらいとか抵抗とか無いんだよ………」

「だからさっきも言ったじゃないですか。ツチノコだったら別に構わないって」


スナネコの目の前にはつい先程脱いだばかりの毛皮が転がっています。なるべく意識しないように視界の隅に追いやっていましたがいざ目にするとやはりあの光景が浮かんできます。


あの毛皮の中にスナネコのおみ足が入っていた


そして今から自分はその神の領域とも言える場所に文字通り足を踏み入れようとしている


これは最早神に対しての冒涜なのではないかいやそもそも神って………



・・・・

・・・

・・



「ツチノコー?大丈夫ですかー?」

「(い、いかん………やめろ………このままではオレは………)」


ツチノコは立ち上がります。

まるで思考が別の何かに操られているかのような、そんな浮遊感の中一歩…また一歩と足がスナネコの毛皮へと伸びていきます。

頭ではやめろと警鐘を鳴らしているのに本能ではまるでそれを欲しているかのように。

一歩…また一歩……。

そしてついにツチノコはそれを手にしてしまったのです。


「(こっ……これがスナネコの…………)」


実際に持ってみて分かったのがまず自分のものより驚く程軽いという事、そして小さいという事でした。ツチノコの木で出来た無骨なものとは随分と違いまるで妖精さんが履いているような、そんな可愛らしい印象を受けます。

ゴクリ…。

これを今から自分が…そう考えただけで頭がどうにかなりそうです。一体どこまで自分の乙女心を弄べば気が済むのか、そもそも自分にそんな心が存在していたのかという事に驚き戸惑うツチノコ。しかし今の彼女には最早その手を止める術はありません。

黒ずんだ素足からたらりと汗が滴り落ちそうになるのを隠し、毛皮を持ち上げ履こうとしたその時!


「(こっこれは……!?)」


突然どこからともなく吹いてきた風がツチノコの鼻を掠めました。その風に運ばれてきたのは砂、塵、そして強烈なスナネコのにおいでした。いつも嗅いでいるものよりはるかに強く、芳醇で微かな甘酸っぱさを漂わせるそれがツチノコの鼻を、頭を、心全てを満たしてゆきます。

それは例えるなら初めて訪れた遺跡のような、あるいはゆうえんちで食べたかれーのような、そんな衝撃と中毒性が混じったまさに芸術的なにおいでした。


「……ぅえっほ!!げっほ!!」

「え、ぼくの毛皮そんなに臭かったですか」

「い、いや違うんだ!ちょっと砂が鼻に入ってだな……」


何だ今のニオイは!?

心の中の動揺を必死で抑え平静を保とうとするツチノコ。ですが一度外れた知的好奇心という鎖を元に戻す事は出来ません。



嗅ぎたい



もっと嗅ぎたい



そこにはもうかつてのツチノコはいませんでした。

鎖を千切り解き放たれたけものは更に禁断の果実を求めようとします。


「(もう一度………そうだもう一回くらいなら…………)」




嗅ぎたい



嗅がせろ





そしてそれは本当に一瞬の出来事でした





ペロッ



「えっ」

「―――ハッ!?」


ただの出来心か気の迷いかはたまた本能か―――

気がつくとツチノコはスナネコの毛皮を舐めていたのです。


「あっいや違う!!今のは違うんだ!!え~~っと……そうだ!これは蛇の習性でヤコブソン器官と言ってだな………」


ツチノコは一生懸身振り手振りで今の行為を説明しようとしますが得意のうんちくも今回ばかりはしどろもどろ、自分でも何を言っているのか分かりません。そしてそれはスナネコにとってたまらなく面白い状況な訳で…。


「ツチノコぉ~今ぼくの毛皮舐めましたよね?どうしてぼくの毛皮を舐めたのですかぁ?」

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!!!!!!!」


結局この後日が暮れるまでツチノコの弁解は続いたものの無論スナネコがそれを聞き入れるはずもなく、しばらくの間ツチノコは変態さんとしていじられ続けたのでした。


おしまい

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