第9話 巡り会う運命

 長い陸路の移動を経て、ついに僕はたどり着いた。あの詩集「黒き薔薇の讃美歌」を読んでから、心惹かれ、憧れていた漆黒の大地、スウァルテルムへ。ついにたどり着いたのだ! たどり着いたのだが……。

「ほら、もっと早く歩け異人。日が沈む前に、我らが王女様が住まう城、ブラックシュトルツへ辿り着かねばならぬのだ」

「はい……」

 どういうわけか僕は、縄で上半身を縛られ、引きずられるようにして森の中を歩かされていた。このような事態に陥った原因を探るため、先刻までの出来事を振り返ってみる。

 ……荘厳な木々が生い茂っているこの地を見つけた時、僕はこの場所にこそ黒の民が支配する国、スウァルテルムがあると確信した。

 だが問題が一つあった。どこから入国すればよいのか、まるで分からなかったのだ。

 そこで僕は、スウァルテルムに入国するために、青緑の国で得ていた情報を思い出した。

 何でもスウァルテルムには、森から少し離れた場所に、兵士たちが農作業を営みながら生活している地域があるらしい。友民兵と呼ばれている彼らは、白の国サントニアを主とした隣国が攻め込んできたとき、それをいち早く察知し、最前線に立って国を守るという役割を担っているそうだ。国の大部分が森に囲まれている以上、そのような集団が組織されるのは当然のことであると思う。

 この森から離れた所に住んでいるらしいその友民兵に掛け合えば、上手くスウァルテルムに入国できるかもしれない。そう思った僕は周辺の土地を探し歩いて彼らを見付け出し、僕がスウァルテルムに入国したいこととその理由、そしてどこの国の出自かなどを話した。話したのだが、どうやらその「どこの国の出自か」がまずかったらしい。武器(槍)を取り上げられ、問答無用でお縄となってしまった。

 そうして今、僕はその友民兵たちに引きずられ、黒の城へと歩みを進めて(進めさせられて)いるというわけだ。

「……あの、僕、これからどうなるんでしょうか?」

 友民兵の一人に話しかけてみる。どうなるのかは本当に不安なので、質問せずにはいられない。

「さあな。お前を引き渡した後、その処遇は王女様が決定なさる。まあ、みせしめに処刑されるのは確実だろうがな」

「そ、そうですか……」

 表面上は平静を装ってみた(装えきれていないかもしれない)が、内心では膝ががくがく震えて、顔面が蒼白になるほどの恐怖と不安が荒れ狂っていた。

(だ、大丈夫。頑張って手に入れた切り札があるんだから……。あの証書を見せればきっと上手くいく! ……で、でも、ここで僕が死んでも、サントニアやセイレンブルクに認知されるとは限らない……。じゃ、じゃあ僕は、ここで白の民への恨みで殺される!?)

 最初は楽観的だった思考も、何度も重ねて繰り返していくうちに、不安一色に染まってしまう。

 僕はこれからどうなるんだろう? 本当に死んでしまうのだろうか? そんな考えばかりが頭の中を支配するようになっていくが、ふとした瞬間に、そのすべての思考が静寂へと帰っていった。

(……そうだ。サントニアを出た時、僕はいつ死んでも構わないという心持ちだった。ここで死ぬというのなら、それもまた運命なのだろう。セイレンブルクで過ごした日々だけでも、充分過ぎるぐらい救いになる。生まれて初めての幸せを胸に、この物語の幕を閉じよう)

 死ぬ覚悟ができた時、さっきまで感じていた寒さが吹き飛び、甘くて暖かい思いがこの胸を包んでくれた。その感覚が続いたのはそれほど長い時間ではなかったが、これから起こる出来事に対して覚悟を決めるのには充分な時間だった。

「よし、見えたぞ。我らが誇り、ブラックシュトルツが」

 声を聞いて周囲を見渡してみると、いつの間にか森を抜けており、少し遠い所に荘厳な作りをした黒白の城がそびえ立っていた。

「どうだ。これこそが、我らが誇り高き王、クシェリ様が住まう城、ブラックシュトルツだ」

「この城が、文献に書いてあったあのブラックシュトルツ……」

 青緑の国、セイレンブルクにいた時、僕はスウァルテルムの情報を得るべく様々な書物に目を通していたが、この城は、スウァルテルムの中心部分として記されていたように思われる。国王が住まうわけだから、当然と言えば当然なのだが、その力強い美しさも相まって、国全体の文化に影響を与えていたようなのだ。サントニアには、いやセイレンブルクに関しても、これほどまであらゆる面で注目を集める建築物はそうそうないであろう。

 しばし見入っていると、友民兵の一人がまた語り始めた。

「ふん、我らが城の美しさなど、貴様には分からないだろうがな」

「……いえ、とても綺麗で、それでいて力強い美しさのある城だと思います」

 僕の返答が意外だったのか、その友民兵は目を丸くしていたが、しばらくすると何もなかったかのように歩きだし、強がったような言い方で言葉を紡いだ。

「……ふ、ふん。取り入ろうとして心にもないことを言ったところで、我々には通用せんからな……」

 案外誉められたのが嬉しかったのかもしれないなと思い、口元から少しだけ笑みがこぼれた。

 黒の民が誇りを大事にするというのはやはり本当なのかもしれない。今まで誇りなどとは無縁で、少なくとも立場的には最底辺だった僕とは正反対の生き方だ……。

 それからまた歩き続けると、城の姿がよりいっそうはっきり見えるようになってきた。

 どうやらこの城、ブラックシュトルツは、少し高地の部分にあるようで、いくらか離れた低地の部分には、街や畑と思わしき領域が広がっている。

 そうして周りの様子がはっきりと分かっていく中で、ついに、黒の城が目の前に来るほどの距離まで差し掛かった。近くで見るとその迫力は半端のないものだと再び、より強く実感する。

 ――いよいよか……。ここで僕の生と死の運命が決まるのだろう。後悔はない。最後の最後に、自由にやりたいことをして生きることができたと思う。悪くない人生だった――

 さらに歩を進め、いよいよ城の門前まで連れてこさせられる。

「王様! サントニアから来たという異邦人を連れて参りました!」

 友民兵のリーダーと思わしき人物が大きな声でそう通達すると、城門が開かれ、中から数人の男女が現れた。どの人も高貴な装いだが、その人たちの中心にいる女性に、僕は目を奪われた。

 艶やかで純粋な黒髪に、それとは対象的な白い肌。その身には美しい黒のドレスを纏っており、腰に携えている剣はまるで黒薔薇に隠された棘のようだ。頭の上には金や銀で装飾された冠が載せられており、彼女がこの人々の中で最も身分が高い存在であることを示唆しているように感じられる。 

「王様、この者はあの悪魔の巣窟、サントニアの民です! しかるべき報いをお与えください!」

 友民兵のリーダーが、僕に罰を与えるよう訴えかけている。

 するとその女性が、少し叱るような口調で彼に答えた。

「お黙りなさい、クレシテ。聞いた話だと、彼はこの国に憧れてやって来たそうではないの。いくらサントニアから来たとは言え、この待遇は無礼すぎるわ。今すぐ縄を解いてあげなさい」

「王様! ……で、ですが!!」

「……何か、言いたいことでもあるの?」

「!? い、いえ、何でもございません……。お、おい、早く縄をほどいてやるんだ!!」

 彼が命令すると、僕の拘束はあっという間に解かれていった。

 今発した彼女の言葉は、静かで落ち着きのあるものだったが、それでいて背くことを許さないような、強い威厳を感じさせる声色であった。

 呆然として彼女のことを眺めていると、彼女は優しく微笑んでこちらへ歩み寄ってきた。

「初めまして。私はこの国の国王、クシェリと申します。この度は、私の臣下が大変なご無礼を働いてしまい、申し訳ありませんでした。ですが、我々黒の民には、あなた方白の民に対して、強い怒りや憎しみを抱いている者も、少なくないのです。ゆえに、この事をご理解頂き、今回に限っては、私の臣下の非礼をお許し頂けないでしょうか」

 クシェリと名乗った彼女は、国王という立場にしてはあまりに丁寧で、へりくだった話し方で言葉をこちらに向けてきた。その声音はさっきとは打って変わってとても優しいものだ。それほどまでに、本来の国王らしい振る舞いからかけ離れているにも拘わらず、異国の民である僕からしても、彼女はこの国の王として相応しいように感じられた。

「……いえ、こうなることは覚悟しておりましたので。国王陛下からこれほど優しい言葉を頂けるのは、恐悦至極に存じます」

「ふふ、そんなに畏まることはないのよ。私はあくまでこの国の王。異国の民であるあなたが、私を国王と呼ぶ必要はないわ」

 僕が少し畏縮した様子だったからか、今度は砕けた口調で話しかけてくれた。一国を支配している王とは思えないほどに、他者への気配りがしっかりしている人だ。

「もう日が暮れるような時間ですし、あなたも長旅でお疲れになられているでしょう。今日の所は、城内の客人用の寝室でゆっくりお休みになられてください。その後の話はまた後日にしましょう」

「……ご厚意、まことに感謝いたします」

「ふふ、それじゃあこちらにいらっしゃい」

 そうして、招かれた僕は城の城内へと入っていった。

 案内された客室に入り、ベッドの隣にある机に腰かけると、金色の髪をした女性が陶器にお茶を注いでくれた。おそらくこの城の使用人と言ったところなのだろう。

「……ありがとうございます」

「砕けた言葉使いをしても構いませんよ。私はあなたをもてなすよう命令されて、ここへ来ているのですから」

「そっか、それじゃあ遠慮なく」

 彼女が、この国の通常の民とは違って金色の髪をしていることや、敬語なのになぜか敬意を感じさせないしゃべり方をしていることが相まって、彼女に対しては気兼ねなく話しかけていけそうだなと思った。

 お茶を飲んでから部屋を見回してみると、少し黒色の家具が多いように感じられたが、想像していたものと比べると、だいぶくせのない配色になっているように思われた。

「この部屋に何かご不満でもおありでしょうか、お客様」

「え? い、いや、思ったより普通の部屋だなーと思って」

「左様ですか。確かに、この部屋はここに住んでいる他の方々の部屋と比べると、だいぶバランスのとれたつくりになっているように思われます。ご要望とあれば、もう少し黒々しい部屋をお探しいたしますが」

「いやいや、大丈夫だよ。これぐらいが調度いいと思うな」

「畏まりました」

 なんだろう、さっきからやたら突っ掛かられているような……。もしかしてこの部屋の配色を決めたのって、この人なのかな?

「そういえばお客様。一つお聞きしたいことがございます」

「な、何かな?」

「お客様の名前を、お聞きしてもよろしいでしょうか? 名前を聞きそびれたクシェリ様から、私が名前を聞いてくるよう仰せ授かっているのです」

 どうやら僕の名前を聞きたいようだ。それにしてもクシェリ様と言うのはこの国の王様なはずなのに、なんだかあまり敬意を払ってないように感じられるな……。

「そ、そうなんだ。僕の名前はレイオスだよ」

「了解しました。覚えておきます」

「あ、あの……」

「? 何でしょうか?」

「君の名前は、何て言うのかな?」

 僕が質問すると、彼女はしぶしぶという感じで答え始めた。

「ああ、私の名前ですか……。リュメと申します。一応、クシェリ様の専属メイドという役割を担っておりますが、以後お見知りしなくて結構です」

「あ、あはは……。そうか、リュメっていうのか。よろしく、リュメ」

「……よろしくお願いします」

 ……何と言うか、やはり、言葉の節々に棘があるような気がする。こんな態度で、本当に国王の専属メイドとしてやっていけているのだろうか。

「それでは、私は失礼いたします。あとはどうぞ、ごゆっくりお休みになられてください」

「うん、ありがとう。じゃあまたね」

「はい、ではまた」

 部屋からリュメが出ていった後、机から移動してベッドの上に寝転がると、今まで溜め込んでいた疲れがどっと溢れてきた。

 ――今日はほんとに色んなことがあったな……。ようやく着いたと思ったら友民兵に捕まって、でもこの国の王女様がとても優しくしてくれて、変なメイドがいて……。とにかく今日はもう休もう。明日のことはまた明日考えればいい……。

 しばらく考え事をした後、目を閉じて、本格的に静寂の中へと溶け込んでゆく。意識が透明になってゆく最中、ふと今日出会った女性、この国の王、クシェリの顔が浮かんだ。

 ――明日もまた、あの優しく美しい王女様に会える――

 そう思うと、嬉しくて笑みがこぼれてしまう。彼女に出会えたのは、本当に幸運なことだった。僕が今までの人生で失ってきたものを、ここでなら取り返せるかもしれない。幸せな気持ちを胸に刻んで、また深い眠りへと落ちていった。

 

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