第7話 緋色の染色
「……ふぁーあ。夢から覚めちゃった……」
何かとても良い夢を見ていた気もするが、残念なことによく覚えていない。ただ、灰色の髪をした男の子が出てきたような気がする。
「灰色の髪の子か~」
そんな色の髪をした子を、昔見たことがある。確か名前はレイオス。最近はついにこの国を出ていったらしい。
「ふふ。良かったわね~レイオスくん。ようやく自由になれたわね」
彼に市民権を与えたのはこの私だ。市民権がなければ、この国でまともに生活することも、国を出ることすらうまくできないだろうから。
何故彼に市民権を与えたのかですって?
強いて言うなら、悲痛な境遇に対する同情心。でも結局の所、そこに深い理由なんてない。そうしたいと思ったからそうしただけ。単なる気まぐれだ。私は物事を行うのに理由を求めたりはしない。ただ欲望のままに生きているだけなのだ。
ベッドから降り、普段着ている白のドレスに身をつつむ。
さあ、今日は何しよっかなーなんて、椅子に座りながら考えていると、突然バタバタと私の部屋へ向かってくる音が聞こえ、ドアがどんどんとたたかれる。
「アーミュ様、早くここをお開け下さい!」
「はーい」
この声はおそらく、齢二十三にしてこの国の宰相になった青年、テルミールのものだろう。
言われた通りにドアを開ける。
「大変です!! セイレンブルクとスウァルテルムの連合軍が、サントニアに進撃してきました!!」
「なんですってー!! 嘘でしょ?」
「はい嘘です」
真顔でそんなことを言ってのけるテルくん。
まったく、昔からそういう所は変わらないのよねー。誰に似たのかしら?
「もう、びっくりしたじゃない。それで? 宰相になって忙しいとかで遊んでくれなくなったテルくんが、いったい何のようかしら?」
「そんなに機嫌を悪くしないでくださいよ……。高々一週間や二週間のことだったじゃないですか……」
「私にとっての一週間は一年、二週間は五年なの!」
「ええ~……」
私の無茶な物言いに、一瞬困惑した様子のテルくんだったが。すぐに元の調子を取り戻す。長年連れ添っている以上、お互いの突飛な所にも慣れてしまうというものだ。
「まあ、そんなことはどうでもいいとして」
「どうでもいいってなによ」
「……ともかく、どうです? 久しぶりに食事でも一緒に」
「んー、しょうがないわね~。特別に許してあげる! 最近退屈だったしね」
使用人たちに食事の用意をさせた後、テルミールと共に部屋を出て、私専用に作らせた花の庭園へと向かう。
暖かな土と緑、そして美しく咲いたたくさんの花たち。この庭にだけは、今でも飽きずにいられている。だがそれもいつまでもつだろうか……。
庭園の真ん中あたりにある白い机に腰掛け、使用人たちに作らせたサンドイッチと紅茶を置かせる。
「それじゃあ、あなたの言った通り、ご飯にしましょうか」
「はい」
私の正面の席にテルミールが座り、置かれたコップに紅茶を注いでゆく。
「それでは、頂き申し上げます」
そう言いながら、彼は神に祈るかのように両手をサンドイッチの前で絡ませる。
「ふふ、何回見ても変ね、それ」
「そうでしょうか? 食べ物に敬意を払うのは当然だと思うのですが……」
テルくんは至極当然、と言うような顔をしている。
「うーん、私には分からないわね。食べ物に困ったことはないし……。というか、その祈りのポーズはちゃんと私への敬意も含めているんでしょうねえ?」
「え? あ、はいもちろん」
「何その返事……。宰相になったからって天狗になってるの?」
「いやまさか。国王陛下の娘であるあなたには敵いませんよ」
「それは何のことを言っているの? まさか、私が天狗だって言いたいのかしら?」
「いえ、あなたは天狗ではないでしょう。鼻も長くないし、翼も生えていませんし」
「私が天狗って言ったのは比喩なんだけど……。テルくん、あなたわざとやってるでしょ」
「はは、まさか。そんなわけはないでしょう。あなた様の高度な言い回しが理解できなかっただけです。何しろ浅ましい身分の出なものですから」
「それだけうまく言葉を使えてるのに、よくそんな嘘つくわねぇ……。もういいわ。普通に食事しましょう?」
「そうですね」
もう、テルくんたらほんとに変な子。
様々な具材が挟まれているサンドイッチたちを、もぐもぐと口に含んで咀嚼する。
うん、今日のサンドイッチも美味しいわね。ふわふわもちもち、どんな食材にも順応する魔法の純白パン、それがサンドイッチ。
「アーミュ様、間に見えるこの黄色のソースはもしや、カレーですか?」
テルくんは手に持ったそのサンドイッチをじっと見ている。
「そうよ。そのサンドイッチはカレー入りなの」
「おお、サンドイッチにカレーとは……。さすがアーミュ様、斬新ですな」
「褒めてるの? それ」
「もちろんですとも。では頂きます」
嘘を言っている感じはしない。純粋に褒めてくれているということなのだろう。
だが彼は知らない。その黄金色には、さらなる秘密が隠されているということを。
「はぐぁ!? か、辛い~~!!!」
カレーサンドを口にした後、すかさず紅茶を飲み込むテルくん。
「な、なんですかこれは!? とてつもなく辛いんですけど!!」
「そうかしら? 体を暖めるのにちょうどいい辛さだと思うけど」
「いやいや! おかしいでしょう! 絶対わざとですよね!」
「さあ?」
「ぐぬぬ……」
「ふふふ」
少しの間を置いた後、彼は何かを思い付いたかのように口紐を緩ませ始めた。
「ふ……。では、アーミュ様。あなたにもこのカレー入りサンドイッチを食べて頂きましょう。体を暖めるのに調度よい辛さなのなら、何も問題はないでしょう?」
「ええ、もちろん」
「え? 本当に食べるんですか?」
「まあ見てなさい。私はそんなくだらない嘘なんてつかないんだから。あなたと違ってね」
テルミールが食べかけていたサンドイッチを手に取り、ひょいっと一口に食べてしまう。
「な……」
テルくんはなぜか目を丸くしている。
「う~ん。確かにこれはちょっと辛いわねえ。でも、弱音を吐くほどのものでもなくない?」
「……あなたの味覚はどうなっているのですか?」
「私こう見えて食べ物を好き嫌いしないのよ? なんならカブトムシの幼虫だって――」
「ごほっごほっ! 食事中にそんな話はやめてください! 冗談でも本当でも笑えません……」
「えー。あなただって昔は虫食べてたでしょ? 食べ物には敬意を払うんじゃなかったの~?」
「確かに、私は彼らを食したことがあります……。ですがそれは、空腹のあまりのことであって、もうあんな思いはしたくありませんし、彼らを食べ物だと思うこともできません!」
「ふ~ん。まあ、どうでもいいわ」
「どうでもいいんですか……」
テルミールはがくりと肩を落とす。
「そんなことより、最近の王宮はどうなっていりの?」
「いつも通りです。いつも通り、あなたのお父上が急進派を抑え、大規模な戦争が起きないように維持しなさっています」
「ふーん。よくやってるのね。国王陛下様は」
私の踏み台となるためにね。
「アーミュ様、この前の話、本当に決行するのですか?」
「当然でしょ? そのために準備もたくさんしてきたんだから」
「ですが、いくらなんでもお父上を殺めるなど……今からでもお考え直しに――っっ!!」
「うるさいわねえ」
ドレスの中にかくしていたナイフを取り出し、机越しにテルミールの顔面へと突きつける。
「私は私のしたいことをするだけ。あなたは私に抗うの? 逆らうの? あの時。あなたを沼底から救い出したのは誰だか覚えてないの?」
「も、申し訳ありません……。てすが、私はただ、あなたのお心を
おろおろしてるテルくん。ちょっとだけ可愛いかも。
「ふふ、大丈夫よ。私の言う通りにしていればすべてうまくいくわ。あなたはくだらない心配などしなくていいのよ」
「そ、そうでしょうか?」
「そうよ」
ナイフを机の上に置き、食事を再開する。
彼も新しい純白パンを手に取って食し始める。
「それにしても、もぐもぐ、このサンドイッチ、もぐもぐ、美味しいですね、もぐもぐ」
「でしょ? 今日は腕によりをかけたんだから」
専属の料理人が。
「そうなんですか。以前お手製のお料理を頂いた時と比べると、天地の差ですね。あの時の料理はなんとも言えぬ、混沌とした味がしましたから」
「で、でしょ? ふふふ……」
思わず机に置いたナイフを持ち直しそうになる。
「いや~、もぐもぐ、本当に美味しいですね~。まるで一流の料理人が作ったみたいだ」
「テ~ル~く~ん~?」
「ひゃ、ひゃい!?」
わざとらしいまでににっこり笑いながら、ナイフの方へと手を寄せる。
「あなたはぁ、串刺しにされるのは好き?」
「ま、まままさか!! 滅相もございません!!」
「ふ~ん、そうなの? 私は好きよ? するのもされるのも」
ナイフに触れたり離したりを繰り返しながら微笑み続けてみる。
「か、勘弁してくださぃぃ……。からかったことは謝りますから……」
「からかったって、何を?」
「あ、アーミュ様の手料理を混沌などと評したり、本当はお手製ではないと気づいていながら、気づいていないふりをしてからかってしまったこと、誠に申し訳ありませんでした……」
テルくんは蛇に睨まれたカエルかのように縮こまっている。
私ってそんなに怖いかしら?
「そこまで言うなら、特別に許してあげるわ」
ナイフの先端をこちら側に向け、テルくんの方へと離して置く。
「ふう、よかったぁ……」
テルミールはほっとため息をついている。
「よかったわねぇ、私に許してもらえて。……もし自覚なくあんなことを言っていたのだとしたら、その時は本当に串刺しパーティーだったわよ?」
「勘弁してください……」
再びげっそりした表情に戻ってしまうテルくん。
「そんな顔しないでよ、もぐもぐ、せっかくの素敵な料理が、もぐもぐ、美味しくなくなっちゃうでしょ?」
「なんですかそのしゃべり方は……。まさか私の真似をしているわけではないですよね?」
「そんなわけ、もぐもぐ、ないじゃない、もぐもぐ。あなたの滑稽なもぐもぐしゃべりなんて、もぐもぐ、真似するわけないでしょ? もぐもぐ」
「なんですと! ……いや、もういいです。普通に食べましょう」
「そうそう、テルくんは大人にならなきゃね?」
「あなたもいい加減大人になってください……」
「あら、私はいいのよ。だってお姫様だもの」
「懐に凶器を隠しているお姫様ですか……。笑えませんね」
「ふふ、そうかもね。でも、普通のお姫様なんて、面白みがないでしょう?」
「お姫様に面白みを求めるのですか……。まったく、あなたという人は……」
「ふふふ」
「ははは」
長いようで短い時間が経ち、気付けばサンドイッチは一つもなくなっていた。
「もう終わっちゃったのね。残念……」
「私はやっと食べ終えたかという感じでした……。終始心臓ドキドキばくばくしてたものですから……」
「分かるわそれ! 楽しいと胸の鼓動が止まらなくなっちゃうのよね~」
「そういう意味じゃないんですけどね……」
テルミールの小言を無視してぼーっとしていると、ある考えが脳裏に浮かんだ。
「ねえねえテルくん。私デザートが欲しくなっちゃった」
「デザート、ですか……」
「そうそう。久しぶりに楽しい遊びがしたいのよ。なるべく元気な子がいいわね」
「かしこまりました」
ふふふ、今日も楽しい一日になりそう。
「もっとよ! もっと私を楽しませて!!」
人里離れた森。そこに隠れるように作られた少し広い小屋の中で、二人の人間が激しく剣を交えている。
一方は青色の髪をした青年。もう一方は白色の身軽な衣服を纏った齢二十一の女性、私だ。
青年はなんども剣を振るうが、そのことごとくを受け流され、少しずつ体を切り込まれてしまう。
「ぐう……!!」
「あはは、そんな浅い斬り込みじゃだめよ。もっと私を殺す気で来ないと。忘れたの? 私をちゃんと殺せなかったら、あなたの仲間はみんな処刑なんだからね?」
それを聞くと、彼は目の色を変えて剣を大きく振り上げた。
「あはあ、そうこなくっちゃ!!」
最大限の威力で向けられたその斬撃を、さっきまでのように受け流そうとするが、うまく受け流し切れず左肩を軽く斬られてしまう。
痺れる~!! 痛くて快感ね!!
「殺す! お前を絶対に殺してやる!!」
彼は再び剣を振り上げる。
今度はその威力を相殺するように、まっすぐ剣を打ち付ける。受け流していた時とは比べものにならない衝撃が、五臓六腑に響きわたる。
「あは! そうよもっとよ! 私を最高に痺れさせて!!」
何度も何度も、思いっきり剣を振り上げる青年。
しかし、彼の斬撃は次第に私へと届かなくなり、また同じように受け流されてしまう。
「くそ!! なんでだ、なんでなんだよ!!!」
じわじわ、じわじわと彼は私の反撃に弱っていき、後ろへと退いてゆく。
「なんでなんでしょうね? 才能? 境遇? まあどちらでもいいけど、あなたは私には勝てないのよ、残念」
徐々に徐々に剣の威力を上げ、彼を更に追い詰めてゆく。
「俺は、俺はこんなところで死ぬわけには!!」
「それじゃあさよなら」
右手を切りつけて剣を握れなくさせた後、腹部を深く切り裂く。
「がはっ」
大量の血を流しながら、床へと倒れ込みそうになったその青年に近づき、優しく抱き抱えてあげる。
「何をする……」
「あなたはよく頑張ったわね。特別に、あなたの仲間たちは全員、奴隷身分から解放してあげる」
「本当、なのか……」
「ええ、私はそんなくだらない嘘はつかないわ」
嘘をついていないと証明するように、彼の眼を真っ直ぐに見つめる。
「ありがとう、ございます……。少しだけ、安心しました……」
それっきり、彼は喋らなくなってしまった。
「お疲れ様。なかなかに楽しめたわよ?」
彼の青色の髪をそっと撫で、ゆっくりと横たわらせる。
自分の衣服を見ると、彼の血と私の血とで真っ赤に染まっていた。
「ああ、綺麗……」
震えるほどの恍惚に舌なめずりをしてしまう。
「次は、お父様の血が見たいわね。ふふふ……」
人知れね森で白き魔女が笑い、赤く染まった満月が夜空を妖しく照らし出していた。
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