決着!

「お待たせ致しました。では津田さんに問題です。カモノハシには乳首がある。○か×か」


 観客が黙り込む。誰もが、嘉穂さんの解答を見守っていた。


「さて、津田さんが選んだのは、×のレスラーだ。果たして正解かどうか」


 レスラーが嘉穂さんを抱え、泥に接近する。

 一瞬、嘉穂さんの顔がこわばった。しかし、次の瞬間にはマットの上に。


「正解です。カモノハシはほ乳類ですが、乳首はありません。お腹の袋の中でお乳を飲みます」


 これで、また一つ命を繋げた。

 先輩の手番である。


「問題。ヴァンゲリスが音楽を手がけた映画で、海外で先に放映されたのはどっち? A・炎のランナー。B・ブレードランナー。さあどっちでしょう?」


 余裕がなかった聖城先輩が、笑みを浮かべる。

 先輩は、迷わずBへと向かった。自信があるのだろう。


「さて、これで先輩が正解なら、四巡目となります。果たして、正解しているのか、はたまた、泥の海に沈むのか?」

 

 悠々と、レスラーはマットと泥の間まで突き進む。

 聖城先輩が、勝利を得たように笑う。

 

 湊とのんは身を乗り出し、やなせ姉は祈りのポーズを取る。


 レスラーが、マットの前に立ち止まる。


「ああ」と、嘉穂さんが口から声を漏らす。


 誰もが、「これまでか」と感じていたに違いない。


 だが、青いレスラーは、赤いレスラーを呼んだ。


「なんだ、なんだ?」といった困惑した声が、ギャラリーから漏れ出す。


 ざわつく観衆をよそに、赤のレスラーが、青のレスラーと頷き合う。赤レスラーが先輩の両脇を、青が両足側を掴む。そのまま、先輩の全身をゆっくりと揺らし始めた。

 揺れは、徐々に大きくなっていく。


 最高潮に達したとき、二人のレスラーは、泥の方角へ先輩を投げ込んだ。

 何が起きたのか分からない、といった表情を見せながら、先輩は泥の中へと沈む。

  

「あーっと、ここで始めて、聖城頼子先輩が泥まみれに!」


「って、いう事は?」

「ワタシ達の?」

「勝ち?」


 番組研の面々が、顔をつきあわせた。不安まみれだった顔が、段々と、歓喜の表情へと変わっていく。


「おめでとうございます! この勝負、クイズ番組研究部の勝利です!」


「やったーっ!」


 僕が宣言すると、番組研のメンバーが飛び上がって喜びだした。


「よかったのだ! 嘉穂がいなくならなくて済んだのだ!」

「助かったぁ。笑ってくれる役の人がいなくなると悲しいなって思ってたんだよ」

「おめでとう、嘉穂ちゃん!」


 番組研に励まされ、嘉穂さんがペコペコと何度も頭を下げる。


「ありがとうございます! 皆さんがいてくれたから、わたし、わたし……」


 喜びと安堵が入り交じり、嘉穂さんが涙ぐむ。

 

 聖城先輩が浮かんでこない。


「あれ、先輩?」


 泥から、プクプクと泡が立つ。


「なんでよ!」


 ドーン! と勢いよく、聖城先輩が浮かび上がった。

 その表情は、泥ですっかり見えない。だが、瞳は怒りでギラついている。

 泥まみれという情けない姿すら、先輩はまるで気にしていない。


 生徒達も、泥まみれになった先輩を茶化せないでいる。


「日本では、ブレードランナーが先になって公開されていたわ! 一九八一年よ?」


「確かに、日本では『ブレードランナー』は一九八二年七月三日に公開してます。対して『炎のランナー』の公開日は一九八二年八月二一日です」


「ほら見なさい、やぱり先なんじゃない!」


「で・す・が!」と、僕は強く主張した。


「炎のランナーは一九八一年三月三〇日にイギリスで、ブレードランナーが一九八二年六月二五日にアメリカで公開されています!」


 実に、一年以上の開きがある。


「よって、海外で先に公開されたのは、炎のランナーなんです!」


 スローモーションのように、聖城先輩が崩れる。背中からドサリと、泥のプールへと倒れ込んだ。


「さあ、これで、番組研チームの勝利が確定しました」

 

 先輩が這い上がる。眼鏡を外すと、パンダみたいになっていた。


「ふふふ、あははっ」


 手鏡を見て高らかに、聖城先輩が笑う。そのまま泥の中へ寝そべった。


 先輩は、嘉穂さんに顔を向ける。


「津田嘉穂さん、前の対戦で、コニサーを言い当てたじゃない?」

「はい。そうですね……?」


 質問の意図が読めないのか、嘉穂さんは首をかしげた。


「あの問題、私ね、あなたよりも早く答えられなかったの」


 嘉穂さんが目を見開く。

 ほんの一問だけだが、たしかに嘉穂さんは、聖城先輩に土を付けたのだ。

 

 あのとき、机を叩いて悔しがっていた先輩は、演技をしているわけでも、パフォーマンスでもなかった。

 本当に悔しがっていたのだろう。

 最大級、ギリギリの全力で、先輩は戦っていたのだ。


「これが、あなたたちの目指す。クイズ番組なのね」


 虚空を見上げながら、しみじみと聖城先輩は言う。


「あなたたちは、間違えた相手を責めない。人を追い立てない。急かさない。それは、お互いを尊重し合っているからなのね」


「はい」と嘉穂さんが返す。「わたしたちは、もし自分たちが間違えた場合、他の人に託せるんです。それが、番組研の強さです」


 嘉穂さんの言葉を聞いている聖城先輩の顔に、わずかばかりの悲しみが覗く。


「そうね。よく考えたら、私は自分の事ばっかり考えていたわ。これじゃあ、誰も付いてこなく当然よ」


「そんな事、ないと思います」


 嘉穂さんは、先輩に手を差し伸べる。


「もし、本当に聖城先輩が嫌われていたら、こんな大規模なクイズ企画なんて通そうとしなかったでしょう」


 誰も聖城先輩を好いていなかったら、水着を合わせようなんて思わなかったに違いない。

 やなせ姉だって来なかったはず。なのに、来てくれた。


「みんな、聖城先輩が本当は楽しいことが好きだって知っているから、来てくれたんだと思います」


 僕は、番組研の面々に向き直る。


「だよね、みんな」


 嘉穂さん、湊、のん、やなせ姉が、揃って肩を組んでいた。

 聖城先輩に、笑顔を向ける。

 そこには、先輩に対する敵意なんてない。


 いや。そんなわだかまりは、最初からなかったんだ。


 あったのは、意見の食い違いだけ。


 先輩は、しばらく立ち尽くしていた。


「そうね。張り詰めすぎていたみたい」


 まるで雪解けのように、安堵の顔が浮かぶ。


「見せてもらったわ。あんたたちの戦いを」


 嘉穂さんの手を掴んで、聖城先輩が立ち上がった。

 そこからは、もう氷のような冷たさは感じない。


「では皆さん、ここからが本番です!」


 僕は、高らかに宣言する。


 何事か、何が始まるんだ、と、辺りがざわつく。


「泥んこクイズですが、これで終わりではありません」


 周囲に緊張が走る。


「只今より、泥んこクイズは、全員の参加を許可いたしします! 参加したい方は一列に並んで下さい!」


 僕が発言をすると、生徒たちが一斉に並び出す。行儀良く並びはじめ、出題を待つ。


 壮観な光景を目に焼き付けて、僕は問題を読み上げる準備をした。


「では行きますよ、問題です!」


 さあ、楽しいクイズの時間だ。


(第七章 完)

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