4-2:勧誘
思いつめた顔をしたユファがヴェニタスを抱えながら玉座の間を歩き出ると、王座の間の大扉が重厚な音を響かせて自動的に閉まっていく。
そして彼女は部屋を出たところ、黒に統一された長い回廊にある男の姿を見つけると、反射的にしかめっ面になった。
「……なんだクソ王子。よく僕の前に顔を見せられたな」
豪奢な服を着た金髪の優男、ラック隊長が日の射す窓を背に眩しくにこやかに微笑んでいた。
「やあやあユファくん。部隊長殺しの件は、やっぱりお咎めなしだったかい? ……でも、なんだか機嫌が悪そうだね? やっぱり、ヴェニタス君をダシにされちゃって、帝王からサボらずに悪魔殺しに参加しろって命令されたのかな。今回も断れなかったんだね――おっと!」
突如ユファが襲いかかり、ナイフが彼の喉元に向けて振るわれたのをギリギリで避ける。そのまま苦笑いをしつつ身を翻し、彼女の凶器が届く範囲から大きく距離をとった。
廊下に彼女の怒声が響く。
「どうして僕を任務から外した! お前、聖域に不死鳥がいることを知っていただろ! 僕が一緒に行っていたら、死葬術で不死鳥なんて一撃で倒せたんだ! ヴェニタスがこんな状態になったのは、お前のせいだ!」
「いやあ、仕方なかったんだよそれは。聡い君なら分かるはずだよね?」
しかし目の前の優男は依然として楽しそうなままである。その随分と余裕のあるサマと白々しい口調が、ユファの感情を更に煽る。
「彼以外の誰に対しても喧嘩腰の君と組まされちゃあ、誰も聖域に入ることなんてできなかったさ。あの悪魔像を取得するための難しさは、たった二人で不死鳥の相手をすることだけじゃないよね。神父を騙して上手く聖域に入りこむことも重要だった。その点も考えると、やはり変化術の使えるパロン君と戦闘力の高いヴェニタス君の組み合わせで正解だったのさ」
「……だからといって、僕に黙ってヴェニタスを行かせるな! 僕は副隊長だろうが!」
知らされていたら、それはそれで無理やりにでもついていったのだが、それはそれとして、彼女は怒りを表明し続ける。まるで精神安定剤か何かのようにヴェニタスを胸に強くぎゅっと抱き締めて。
「まあまあ、少しは落ち着いてくれないかい? 私はユファ君と喧嘩をしにわざわざ顔を出したのではなくてね、忠告をしに来てあげたのさ」
そんな彼女にラック隊長は、朝日の差し込む窓へ背を向けて、大仰に両腕を広げて見せる。その動きのせいで金髪がなびいて光を反射し、ユファは眩しくて目を細めざるを得なくなる。彼女は不機嫌なまま口を開く。
「忠告だと?」
心底めんどくさそうに紅い目を細める。アビス教国から帰還したばかりでまだ十分に休養がとれていないこともあって、ユファはもう彼の言葉など聞きたくもなく、腕の中のヴェニタスを連れてさっさと部屋に戻りたかった。
「帝王が召喚しようとしている悪魔は、ただの悪魔じゃない。大昔に魔天が対処した悪魔アビスと同様に、魔界のヒエラルキーの最上位に位置する悪魔の中でも最上位、大いなる“髪の悪魔”の系譜にあたる存在なのさ」
「ふん、それがどうした。髪の悪魔だろうがなんだろうが、僕の敵じゃあない」
忠告と聞いて何かと思えば、そんなことか、とばかりに鼻でせせら笑った。
「いいや。いくら君でも今回の悪魔を倒すのは無理だよ。あの帝王は魔天を超えたいがために、悪魔像を使ってアビスよりも更に格上の悪魔を呼び出すつもりなのさ。いくらユファくんが死葬術を扱えるといってもね、強さの次元が違う。挑もうなんて、とても正気の沙汰とは思えない」
しかしラックは彼女の反応を予想していたように、穏やかな笑みを浮かべたまま。母親が子供を諭すように、優しく語りかける。
「――そこでだ」
彼はゆっくりと手を差し出す。
「その使い物にならない達磨を捨てて、私と一緒に二人で逃げないかい?」
「……は?」
ユファはぴたりと動きを止め、訝しげに片眉を上げた。
「悪魔の召喚には後数日かかる。レイス帝の指示を受けた宮廷魔術師達が帝国の荒野に悪魔召喚用の巨大な魔法陣をせっせと描いてるところだ。周りに討伐用の大砲やら御大層な結界の魔法陣も準備してね。今の内に私たち二人で仲良く逃げようじゃないか」
「…………」
ユファはラックの告げた言葉の意図を理解することに苦慮し、沈黙していた。
まさか玉座の間を出たところ、帝王の目と鼻の先で、帝国の隊長格がそんな話をもちかけてくるとは。
「断る。お前も信用できない」
しかし拒絶の言葉は彼女が思うよりも、至極はっきりと口を出た。
そのまま、流れるように掌で漆黒の光を灯す。
「僕の前から消えろ!」
次の瞬間には隊長に向けて死の連弾が放たれていた。
「あはは、つれないねえ。振られちゃったよ」
しかしラックは終始笑みを浮かべたまま、続く死弾をなんなく避けながら淡々と喋り続ける。
「うるさい! 消えろ! 二度と僕とヴェニタスに関わってくるな!」
先程よりもいっそう語気を強め、ユファが彼をこの場でしとめようと、更に激しく黒い光を明滅させた時。
「酷いなあ。分かったよ、なら今回はひとまず退くことにするよ――残念だけどね」
「お前……」
諦めた調子の彼から、ユファは微かにヴェニタスに向けられた殺意を感じ取った。ラック隊長が彼女に向けて伸ばしている掌に、真紅の火炎が螺旋を描いて渦巻いている。
「……ちっ!」
彼女は急きょ死葬術の行使を取りやめると、その空いた手でナイフを掴み、足元の床を深く四角形に切りつけた。
そうこうしている間も、ラック隊長の手中でマグマの如く澱んだ火球がそのサイズをぐんと増していく。
「ははは、じゃあね。ユファくん、ヴェニタスくん。うまく次の戦いも生き残れるといいね」
その言葉を皮切りに、灼熱の炎が爆風となって炸裂した。赤と黒をはらんだ凄まじい高熱が、廊下に濁流となって満ちる。
「この……っ!」
床を蹴り上げて壁にし、更に自分の体で覆うように爆炎からヴェニタスをしっかと庇う。
「てめえ、やりやがったな!? タダじゃ済まさねえぞ!」
熱気が去ったころ、ユファが怒り心頭な顔を壁の端から覗かせると、先程まで廊下に立っていた金髪王子の姿は、こつぜんと消えていた。
代わりに、真っ暗な廊下の奥から楽し気な声が反響して聞こえる。
「ああそうだ。僕からヴェニタス君に個人的なプレゼントを贈っておいたよ。あの不死鳥を相手に悪魔像を奪い取ってきたのに褒美を一つも貰えないなんて、可哀そうだからね」
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