★3-11:指輪

「――というわけですの」


 パロンは任務を受けて聖域から脱出したところまでの、一通りを説明し終えた。

 話を終えて、正面に座る死神女が今どんな表情をしているかが気になって、彼女の顔を覗き込む。


「…………」


 彼女は、腕を組んで黙り込んでいた。その表情は軍帽のツバの陰に隠れて伺いしれないが、言い知れぬ威圧感をかもしだしている。。


「あの……わたくしが弱いせいで、ヴェニタスさんを守り切れず、本当に申し訳ありませんでしたの」


 ヴェニタスにとって、ある意味本当に脅威だったのは謝罪を口にしているパロン本人なのだが、その辺り、彼の大事な両手足がどこかに紛失している件については、不死鳥にやられたということにしてユファに伝えていた。

 しかし、死神女からは、いまだに明確な殺意を感じる。


「……で?」


 冷え切った声。氷水を浴びせかけられたように、パロンは条件反射で背筋を震え上がらせる。


(あ……やっぱり、これまでの配慮は無駄でしたか)


 なるべく彼女を刺激しないように行動し、話もうまく誤魔化してきたつもりだが、最初からそんなものは無駄だった。この死神女が部屋に入ってきた時点で、彼を裸で抱きかかえていた時点で。

 やはり自分は、既に彼女の“抹殺対象”に入っている。隙を晒した瞬間に始末する、そんな対象に。パロンはハッキリと認識した。


(ですが、今は耐え忍ぶほかないですわね)


 今は生き残るため、この女からどれだけの嫌がらせを受けてでも、安全地帯である彼の傍にとどまらなければならない。衝突を避け、城に帰ることが最優先事項だ。

 日頃から感情任せに、周囲への迷惑や後先を考えないユファの我儘な行動パターンを思えば、城内のコミュニティで彼女を四面楚歌の状況に陥れることなど、容易に過ぎる。

 人の営みの渦中にあれば、頭のイカれた女の排除方法など、パロンにはいくらでも思いついた。


(陥れ、消耗させ、油断させて、最後は自分の手で、必ず仕留めてみせる。そしてあの人は、わたくしのモノだ)


 どろりとした決意を腹の中で醸成させ、狐の獣人は笑顔を作る。

 そんな、自分を殺そうと算段しているパロンの腹の内など露ほども憂慮せず、ユファは帽子のツバを軽く上げて、顔を晒した。


「で? 任務を終えたあとは、身動きのできないヴェニタスに好き放題。新婚さんよろしく裸の付き合いをしていたってわけか? あ?」


 彼女の額には、血管が浮きだっていた。


「え、ええ。恥ずかしながら、そうしなければ、彼は死んでいましたので。わたくしの変化術で治療するには――」


 そして、それまでの穏やかな空気からは想像もつかない速度で、ことは起こった。

 パロンの視界は真っ白に一転する。ユファがテーブルを蹴り上げたのだ。それは獣人を軽く飛び越え、ガンと壁にぶつかる。続いて、陶器が甲高く割れる音が響き、純白のクロスが最後にゆっくりと、ふんわり床に降りた。


「っざけんなテメエ!」

「ひっ!」


 怒声を上げるユファの美しい顔は憤怒に歪み、今にも爆発しそうであった。おぞましき変貌にパロンは気圧され、尻尾がだらりと下がる。


「で、でも、そうしなければ彼は……」

「嘘をつけ、白々しい! は、裸で同衾だなんて、いかがわしい!」

「や、そ……それは本当に彼を助けるためにわたくしは……」

「うるせえ、黙れ! ぶち殺すぞ! 下らねえ言い訳をするんじゃあねえ!」

「あぅ……あ……」


 辺り構わず撒き散らされる殺気。

 パロンは縮こまる。

 ただの同衾でここまで激昂するなら、自分が彼を犯しつくし、四肢を喰らったことを伝えてしまったならば、一体彼女はどうなってしまうのだろうか。獣人は興味を抱くと同時に、そうなった場合を想像することが恐ろしかった。

 高ストレス下にある自分の心を休めるためか、彼女は自分でも気が付かぬまま、左手薬指にはまった指輪を撫でさすっていた。


「おい、それ……」


 急にぴたりと動きを止めたユファは、パロンの薬指を、視線で焼き切るつもりかと言いたくなるくらい、目を見開いて強く凝視していた。燃えるような二つの紅目は、瞬き一つしない。


「あっ。こ、これは……ただの指輪ですの」


 庇うように、もう一方の掌で結婚指輪を素早く覆い隠す。だが、ユファは見逃してやる気はないようで、陰鬱に笑った。


「ふん。なあ……お前、ヴェニタスのこと、嫌いだって言ってたよな」

「あら……どうしたんですの、そんなに昔の話を持ち出されて。困りますわ」

「昔の話ってか。それじゃあ今、お前は……」


 わなわなと拳を震わせるユファに対し、パロンは冷や汗が止まらない。


「その指輪を外せ」

「……いやですわ。これは、わたくしのですから」


 しかし、パロンは、これだけは譲るつもりはなかった。泥水を飲まされ、顔を足蹴にされても逆らわなかったが。これだけは。


「もう一度言ってやる。“外せ”」


 気が付けば、ユファはその手にナイフを持っていた。薬指を見据えたまま、歩み近づいてくる。


「……お断りします」


 パロンは無意識に右手で左手を庇いながら、後ずさる。今はこの場をやり過ごすために、彼女を刺激するような発言は控えるべきであると、分かっていながらも、パロンは譲歩することができなかった。


「なら指ごと切り落とすまでだ」


 瞬間。ユファが腕を振りかざし、剣閃が二度煌めいた。


「あっ!?」


 パロンは後ろに大きく跳躍したが、死神の切っ先は余りにも早く。

 彼女の右手首から先と、左手の薬指が、血の飛沫を残し、綺麗なアーチを描いて床に落ちていき。


「あ……わ、わたくしの指輪が……」


 右手首から赤い液体を激しく噴出しつつ、失われた左手薬指のあった場所を呆然と見つめる獣人を横目に、死神は血溜まりに落ちた薬指をつまみあげ、リングを抜き取った。そして、薬指の方は余りにもあっさりと投げ捨てて。


「これは僕が適切に処分しておく」


 窓外から差し込む真っ白な朝日にかざし、指輪の金属光沢を楽しむ。


「あ……あ……か、返してください。わたくしの、指輪……」


 対して、パロンは酷く憔悴した様子で、手の無い右腕を彼女に向けて伸ばし、懇願する。


「あん? 返してってのは、どういうことだ? これはお前のじゃないだろ」

「滅茶苦茶を言わないでくださる!? それはわたくしの――」

「いいや」


 自分の薬指に指輪をはめると、死神は口角を歪め、おぞましく嘲笑う。


「これは僕にこそ、ふさわしい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る