第4話 我 狂か愚か知らず 一路ついに奔騰するのみ

三重県伊勢市 宇治山田駅。

昭和6年。「御遷宮奉祝神都博覧会」会場跡地に伊勢神宮玄関口として開設された。

貴賓室があり天皇をはじめとする貴賓客や、正月恒例の総理の伊勢神宮参拝の際の乗降駅となっている。

モダニズム建築の駅舎は、天照大神の神都にふさわしい威厳を持った駅だった。


千葉と同じ電車から大勢の行楽客に混じって、数人のスーツ姿の男達が降り立った。

麗らかな春の朝。

駅前の桜並木は満開だった。

駅を出た男達は自然と桜並木に集まっていた。

お互い何者であるかはその臭いで感づいていたが、顔を見合わせる事はなく辺りの風景を見渡していた。

暫くすると、男達の前に1台のマイクロバスが止まった。

春の暖かい風で、桜の花びら舞い男達に降り注いでいた。


マイクロバスは鳥羽の海岸線を走り、海沿いの小高い山の上に立つ小さな旅館に到着した。

時刻は正午を少し回っていた。


男たちは、仲居の案内で15畳ほどの大部屋に通された。

まだ、お互い顔を見合わせる事はなかった。

眼を閉じてじっとうつむいて座ってる者、メモ帳に目を通してる者、文庫本を読んでる者、窓際に立って窓の外に広がる伊勢湾を眺めている者。重苦しい空気の中、それぞれが思い思いに過ごしていた。

5分ほど立った頃、襖が開いて仲居2人が入って来た。

「いらっしゃいませ!」

この空気の中にあって、その笑顔は場違いにも思えたが、心地の良いものだった。

仲居達は、手際良く四角く囲まれた座布団の前に料理を乗せた膳を置いていった。

不思議と進行役の者がいなかった。

誰からともなく席に付き出した。

千葉は思った。

「この仲居、いや、この旅館の人達は、我々が何者か知っているのだろうか?」

席につくと同時に手を合わせ箸を取り食べだす姿は、正しく自衛官の姿であった。

千葉もおもむろに箸に手を付けた。思えば、早朝、習志野の自宅を出てから何も食べていなかった。

伊勢ならではの新鮮な刺身を中心とした海鮮料理が、空腹を満たすと同時に幸せな気分にさせてくれた。

皆、黙々と食べている。

それは、正しく「嵐の前の静けさ」と言う言葉がぴたりとあてはまる光景だった。

千葉は、人数を数えた。

「俺を入れて6人か」

しかし、千葉の対面の席が空席だった。

「7人? 遅れているのだろうか?」

料理を半分ほど食べ終わった頃。

突然、襖が開いて1人の男が入って来た。

千葉は、その男を見上げていささか驚いた。

「近藤?」

近藤仁。千葉とは防大の同期生である。防大硬式野球部でバッテリーを組んでいたが、3年の春に近藤が肩を痛めて退部した以来、ろくに会話をすることもなく卒業してしまっていた。

卒業後、近藤は航空自衛隊へと進んでいた。

それは、意外な場所での、思いもよらない再会だった。

近藤は、千葉の対面の席に座るやいなや箸を取りもの凄い勢いで料理を食べだした。早食いは、自衛官にとっては当たり前の動作である。周囲の者も、さして気にする事もなく、各々自分のペースで口を動かせていた。

ものの10分ほどで、ほとんどの者が食べ終わり、また、各自の行動へと移行していた。

まだ、近藤は千葉のことを気づいていない様子だった。

やがて、近藤も食べ終わり席を立ち襖の外へと出て行った。


手洗い。

近藤が小用をたしてる所、横に千葉が立った。

「よう!」

近藤は、驚くこともなくうなずいた。

「こんな所で お前と会うとはな」

近藤は、うなずいた。


廊下の窓際に千葉と近藤が立っていた。

窓の外は満開の桜が風を受け揺れていた。

千葉が話しかけた。

「肩の調子どうだい?」

近藤がニヤリと笑った。

「おう もう大分といい もう投げれるかな」

「そうか」

しばしの沈黙。

千葉が、口を開いた。

「お前 何でここに?」

「お前こそ」

そして、また沈黙。

千葉が、言った。

「お前 まだ 俺のサイン覚えてるか?」


襖が開いて男が顔を出した。

「集合!」

千葉が、男にうなずいた。

近藤が、ニヤリと笑い言った。

「覚えてる」

千葉は、微笑んだ。


広間。

皆、席に着いていた。

カーテンが引かれて、電気がついた。

襖が開いて男が1人入って来た。

ここにいる者よりは、少し年上だろうか。

階級的には3佐か、良く行って2佐と言ったところか。

号令はないが、皆、姿勢を正した。


「諸官 遠い所 よく来てくれました ご苦労様 磯部と申します」

皆、真剣な表情だった。


「さっそくですが 状況報告をお願いします」


まず、日に焼けた端正な顔立ちの男が 立ち上がった。

「報告します 先月から昨日までの尖閣諸島周辺海域における中国公船 接続水域入域33隻 領海侵入8隻・・・」

入れ替わり近藤が、立ち上がった。

「報告します 航空自衛隊の現時点の態勢はダブルテイクを維持しておりますが北の情勢を監視しつつラウンドハウス移行に向けて各部隊は急速錬成を実施しており 装備品の品質維持管理に務め 有事即応の整備用部品の調達を進めております 現在の昨年度からの緊急発進回数は1168回 中国機に対する緊急発進回数は851回 前年度と比べて280回増えております 中国の戦闘機による沖縄本島並びに宮古島間の通過 中国の爆撃機による対馬海峡の通過を初めて確認するなど 特に 尖閣諸島領空付近における飛行を含む9件の事例において特異な飛行を確認しております また 緊急発進の対象には中国機及びロシア機ともに戦闘機 爆撃機 哨戒ヘリコプター及び情報収集機等が含まれておりますが 中国機の中では戦闘機 ロシア機の中では爆撃機に対して多く緊急発進を実施しました 続いて 高射群の状況でありますが・・・」


数分が経過した。


銀縁の眼鏡をかけた痩せた体型の男がは報告する。

「続き 北朝鮮情勢でありますが・・・」


数十分が経過した。


上座の男が語りかけていた。


「これは 一般的に言うクーデターと言うものではありません よって 首都制圧も新政権樹立も目的ではありません 簡単に言ってしまえば 日本の病苦を暴露することによって 治療への注意を促す事を目的にします 今 世界情勢 東アジアの軍事情勢が緊迫を深めて行っております その中にあって、日本の政治は精神的な病に冒されています この精神の病は 今や手軽な新薬などでは歯が立たない状況まで来てしまいました 思い切った切開手術が必要です それを我々がやろうと言うことです」


穏やかな口調だった。

数分が経過した。


「国家や政治の体制を構成しているのが人間である以上 自身には関係ないと現実から目を背ける国民の精神を改革していく以外にありません 国民の精神改造が目的です 国を動かす最大の力は政治でも武力でもありません 国民自身なんです・・・」


千葉の右隣に座っていた男が口を開いた。


「それ 魯迅の阿Q正伝・・・」


磯部は、微笑み軽くうなずいた。


会議は夕刻を過ぎても続いた。


皆の表情には疲れが浮かび上がっていた。


「以上が 決起の趣意であり 現時点での作戦概要です どうですか? 立ってくれますか? 各論はさておき 今日は 諸官の意志だけでもお聞きしたい」


上を向く者、下を向く者、腕組みして目を閉じる者、沈黙が続いた。


「本日 諸官の1人でも反対ならば 秘匿の観点から この作戦は本日をもって中止します お互い身分を明かさず原隊に帰って下さい その後の事は諸官を信頼します」


重苦しい沈黙が続いた。


千葉が呟いた。


「我 狂か愚か知らず 一路ついに奔騰するのみ」


近藤が、千葉の顔を見た。

皆が、千葉の顔をみた。


近藤が立ち上がりカーテンを開けた。

橙色の夕日が部屋に差し込んだ。


その夕日は、男達の顔を赤く照らしていた。

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