第8話 オバリョ山の怪女

 うちの小学校には、時代遅れにも宿直制度が残っている。

 とは言っても、常時という話ではない。少子化が進み、廃校が決まった山裾に立つ校舎。取り壊しが始まる9月までの夏休み期間、警備会社に頼むのを惜しんでの事だ。本来男性教師のみという話だったのに、急な弔事で新任教師の私にお鉢が回って来たという訳だ。


 若い女の身だとは言っても、犯罪事件とは無縁なド田舎だし、いざとなればスマホで駐在所に連絡を入れる事も出来る。それならいっそ宿直自体を止めればいいのに、校長たちは「決まり事だから」の一点張りで聞く耳を持たない。

これはアレだ、「自分の若い頃は当たり前だった」という理由にもならない理由で、エクセルの計算式の利用を禁じ、電卓を弾かせるのを良しとする老害の類だ。


 安価で度の強いチューハイを呷りながらひとりくだを巻く私だが、実際話を振られた時は、気弱に笑って安請け合いしたのだから是非もない。テレビの深夜番組をBGVに、一晩溜まった採点作業をすれば良いだけなのだから、あえて反発して悪い印象を与えることもないだろう。それが安定した職を守るための処世術というものだ。


 校舎のすぐ裏が山になっているため、虫の音がやかましい程響いて来る。宿直室には冷房が無いため、窓を開け扇風機を回している。網戸の建付けが悪いのか、隙間から散発的に蚊が入り込んでくる。21世紀にもなって、蚊取り線香が現役で活躍する現場に遭遇するとは。


 彼氏との浴衣デートや、海外旅行の報告が流れるラインに舌打ちし、スマホを放り出す。少し酔った目で窓の外を眺めていると、山中でなにか光るものが見えた。

 部屋の明かりを消し、窓に顔を近づける。懐中電灯でもない。何かぼんやりした明かりが、確かに見える。


 裏山も学校の敷地になっており、少し登ったところに用具小屋がある。泥棒でもないだろう。子供達がよく忍び込んで遊び場にしていた場所だ。夏休みの肝試しくらい、見逃してあげるにやぶさかではないが、何かでケガをしたり火の不始末があったりしたら、責められるのは宿直の私だ。


 少しばかり退屈していたところだ。気分転換がてら見回って、いたずらっ子を見付けたなら、少しばかり怒って見せて、釘を刺しておけばいい。私は運動靴を履くと、懐中電灯を手に山道へ踏み込んだ。


 怖いのはお化けや泥棒ではなく、むしろクマやイノシシといった野生動物のほうだが、先週猟友会の駆除があったばかりだ。虫の音を聞きながら、ほろ酔い気分で歩いて行くと、程なく用具小屋まで辿り着いた。明かりはここではなく、もう少し山頂に近い場所にあるようだ。


 木立ちの間にゆらめく蒼白いそれは、懐中電灯でも蝋燭の類でもないように見える。


 こんな山中に何の用事だろう? それとも、私の明かりが見えて、山頂の方へ逃げたんだろうか……?


 夜風にあたって少し酔いの覚めた私は、一つの怪談を思い出していた。

 子供達のための学校の怪談ではない。教職員の間に伝わる、この山にまつわる怪談を。

 ちょうど今の私と同じように、夜に一人で山に入り込んだ女性教師の話だ。 


「馬鹿らしい。お化けなんて、いるわけないじゃない」


 少しばかり寒気を覚えたが、ここまで来たのに確認しないのもおかしな話だ。

 声に出して呟くと、私は足元を照らしながら、さらに山道を進んだ。

 山頂への道は、用具小屋までのものとは違い、人がほとんど通らないためけもの道に等しい。

 道を外れないよう足元に気を取られていたためか、木々の間に見えていた青白い光を、私はいつの間にか見失ってしまった。


 遭難まではしなくても、こんな山中で足でもくじいたら面倒な事になる。

 酔いが醒め、自分への言い訳に納得した私は、山を下りるために来た道を引き返そうと踵を返した。


「すみません……」


 こんな場所に、人がいるはずがない。

 でも、確かに聞えた弱々しい女性の声に、私は肌が泡立つのを覚えながら振り向いた。


 目の前に、赤ん坊を抱えた女が立っている。

 懐中電灯に照らされたスーツ姿の女は、丸々と太った眠る赤ん坊とは対照的に、やせ衰え、疲れ果てた表情をしていた。


「少しこの子を抱いていてくれませんか?」


 恐怖と緊張で声が出せない私に、女は赤子を抱いた腕を伸ばしてくる。


 聞かされた怪談話の続きを思い出す。

 山中で出会った女に赤ん坊を抱くよう頼まれた女教師は、「これでやっと人間の世界に帰れるわ」と呟いた女と入れ替わりに、いまも山中をさ迷っているという。


「さあ……」


 逃げ出そうにも、足がすくんで動けない。

 枯れ木のような女の腕から、赤ん坊が固まったままの私の腕に手渡されようとしたその時――


「ご指名ありがとうございます、カズマですッ! フゥフゥ~~ッ!!」


 いつからそこにいたのか。ジャケット姿で濃いサングラスを掛けた男が、立ち木にもたれ、リーゼントの髪を撫で付けていた。


「えっ? ……だ、誰です?」

「カズマです!!」


 私の問いに、答えにならない答えを返すと、カズマは反応を決めかねているスーツ姿の女の顔をのぞき込んだ。


「オ~~ゥ。育児疲れかい、マダ~ム?」

「……いや、私の子供じゃ……??」

「俺は家も定職も持たないただのジゴロだが、このベイビーごと君を抱きしめる事くらいは出来るぜモナム~~ル?」


 いとも軽々と、赤ん坊ごと女を抱き上げるカズマ。

 女だけでなく、赤ん坊までもが驚いたように目を見開いている。


「うん? あれ? それで私はどうすれば……?」


 取り残され、困惑する私にサングラスごしのウィンクを残し、カズマは木立ちの中に姿を消した。


「な、なんか聞いてた話と違う…………」

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