暴力を振るう者 4

 それにしても、基山はまだしも笹原まで一緒に来るとは思わなかった。できれば笹原には知られたくなかったんだけどなあ。変に気にしてしまっては悪いし。

 とはいえ、起こってしまったことは仕方が無い。気を取り直してふと思ったことを聞いてみた。


「ねえ、基山や西牟田って笹原と仲良かったの?」

「そうじゃないけど、たまたま話をしている時に西牟田がメールを持ってきたから、つい成り行きで一緒に来た」

「けど良かったかもな、おかげでさっきの奴らを黙らせられたんだか。結果俺らは何もできなかったけど」


 西牟田はそう肩を竦めたけど、私としては来てくれただけでも十分嬉しい。だけどそこで基山が心配そうな声を出す。


「そういや笹原、水城さんを助けてくれたのは良いけど、さっきのは大丈夫かなあ?本気で死ぬまで血を吸うなんて思ったわけじゃないだろうけど、吸血鬼があんな事を言ったとなるとシャレにならないし、問題になったりしない?」

「構わねえよ。連中だって誰かに言って自分達を追い込むようなバカじゃないだろ。そんなことより皐月、お前は本当に大丈夫なのか?」

「だから平気だってば」

「どうだかな。お前は昔から変にやせ我慢するところがあるからな」


 そんなこと無いと思うけどなあ。すると心配そうにしていた霞が、今度は首を傾げてくる。


「笹原君って、そんな昔からさーちゃんの事を知ってるの?」


 ああ、そう言えば前に会ったことがあるらしいって話はしていなかったっけ。見ると基山も興味深げにこちらに耳を傾けている。


「実は私達、どこかで会ったことがあるみたいなの。生憎私の方は思い出せないんだけどね。笹原…笹原…」


 ダメだ、助けてもらったのに申し訳ないとは思うけど、やっぱりいくら記憶を探っても全く心当たりがない。こうなるといい加減自分の薄情さに嫌気がさしてくる。

 こうまで思い出してもらえないとなると、笹原は大そう怒っているだろう。しかし恐る恐る笹原に目を向けてみたけど、当の本人は苦笑しながら肩をすくめていた。


「ちょっと残念だけど、思い出せねえものはしょうがねえよ。何しろ随分前の話だし、無理もねえって」

「うぅ、ごめん」


 笹原はこう言ってくれたけど、これではやはり申し訳ない。するとここで話を聞いていた基山が、何かに気が付いたように笹原に声をかける。


「ねえ、君が水城さんと会ったのって、そんなに前の話なの?」

「何だよいきなり。まあそれなりには昔かな」

「ちょっと思ったんだけど、笹原の御両親って離婚してるんだよね。もしかして前に会った時は前の苗字だったってことは無いの?」


 え、そうだったの?いったいいつの間に笹原の家庭の事情の話をしたのかは分からないけど、それなら納得がいくかも。今まで『笹原』という名前だけを頼りに思い出そうとしていたのだから、成果が無いのも当然だ。

 指摘された笹原は虚を突かれたようにしばらくポカンとしていたけど。


「…そう言えば」


 あっさり認めてしまった。それじゃあ本当に苗字が変わってたの?思わず呆気に取られていると、笹原は慌てたように取り繕ってくる。


「で、でもよ。苗字が変わってても名前で分かったりしないか?」

「あ、それ無理。私笹原の下の名前知らないもの」

「そうだったのか?なるほど、そりゃあ無理だな。俺も当時とはだいぶ変わってるからなあ」


 一人納得したような笹原。種を明かしてみれば何とも間抜けな話である。しかし私も決して笹原の事を笑うことは出来ない。


「と言うか水城さん、思い出そうとしているなら相手のフルネームくらいは知っておいた方がよかったんじゃないの?」

「分かってるわよそれくらい。あぁ、何で名前聞いてなかったんだろう」


 西牟田にもっともな指摘をされても、返す言葉すら見つからない。でもこれって、裏を返せば名前を聞いたら思い出せるかもってことじゃない?

 期待のこもった目を笹原に向けると、ちょっと照れたように私を見ている。


「本当に今更だけど、名前教えてくれない?できれば以前の苗字も」

「そうだな。そういや皐月も、この前うちの親父には会ってるんだよな」

「笹原のお父さん?」


 いったい誰の事を言っているのだろう?困惑していると、基山がそっと囁いてくれた。


「この前の立てこもり事件の時に、担当していた刑事さんがいたでしょ。あの人が笹原のお父さんなんだって」

「そうだったの?世間って狭いわねえ。とういう事は、あの刑事さんの苗字が笹原の前の苗字ってことよね。ええと、たしか…たしか……荒木あらきさんだったわよね」

「そうそれ」

 荒木…荒木…。あれ、何だか胸の奥に引っかかる何かを感じる。もう少しで思い出せそうなんだけど、あと一歩が出てこない。


「まあこれだけじゃ分かんないかもな。当時は名前で呼ばれていたし、、苗字なんてあんまり意識してなかったな」

「そうだったの?って、名前で呼んでいたってことは、本当に相当前ね」


 私は男子を呼ぶときは得てして名字で呼んでいる。小学校半ばくらいにはもう苗字呼びが定着してしまっていたから、会ったのはそれ以前という事だろうか。


「…さやだよ」

「えっ?」

荒木鞘あらきさや、それが当時の俺の名前。皐月は鞘って呼んでいたんだけど、どうだ。何か思いだせたか?」


 荒木鞘。その名前を聞いた瞬間、まるで雷に打たれたかのような衝撃を受けた。確かにその名前には聞き覚えがある。と言うか、忘れるわけが無い。

 返事を期待する笹原の顔をまじまじと見つめる。言われてみれば、目元なんかが似ている気がする。雰囲気は随分違うけど、あの子と最後に会ったのは小学校に上がる前。少しくらい変わっていたとしても何ら不思議は無い。だけど…


「嘘…でしょ…」


 口から出てきたのはそんな否定的な言葉。予期せぬ答えに驚いていると言うわけでは無い。もっと根本的に、ありえない事なのだ。

 すると私の様子がおかしい事に気付いたのか、笹原が怪訝な顔をしてくる。


「なんだ、まだ分からないのか?」

「そうじゃない、ちゃんと思い出せた。けど、そんな訳ないでしょ」


 信じられない気持ちでいっぱいになって、笹原を見つめたまま呆然と立ち尽くす。目の前にいる笹原が、あの鞘であるはずがない。だって、だって鞘は…


 決して笹原が嘘を言っているようには見えないけど、だからと言ってはいそうですかと納得するわけにもいかないのだ。何故なら鞘は。


「ありえないわ!だって鞘は女の子だもの!」

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