2、出逢い――偶然


―――



「意識が戻ったらすぐに私を呼んでくれ。」

 微睡みの中低い嗄れた声が聞こえ、研次はハッと目を開けた。覚醒していく意識の中、先程の医者の声だとわかる。研次は慌てて椅子から立ち上がった。


「あの!」

「あぁ、さっきの方だね。大丈夫、心配いりませんよ。無事に処置は済みました。今はまだ麻酔で眠ってます。意識が戻ったら色々と検査は必要でしょうが。」

「そうですか……良かった…」

 ホッと安堵のため息が零れた。

「では詳しい事はこちらの看護師に聞いて下さい。私はこれで……」

「あ、はい。ありがとうございました!」

 研次は去っていく医者の後ろ姿に、深々と頭を下げた。


「あの~…」

「ハ、ハイッ!」

 しばらくそのままの体勢で固まっていると、後ろから声が聞こえたので勢いよく振り向く。そこには一人の看護師が立っていた。


「ご家族の方ですか?こちらの方で詳しいお話を……」

「あぁ、いや!あの実は僕、たまたま居合わせただけで…。あのお婆さんとも面識はないんです。」

「あ、そうだったんですか…。ではご家族の方の連絡先などは……?」

「知らないんです、すみません……」

「ですよね。いえいえ、いいんですよ。患者さんの意識が戻ったら判る事ですし。それでは貴方のお名前と、一応連絡先だけ教えて頂けませんか?」

 見るからに小柄なその看護師は、ナース服のポケットからメモ帳を取り出して研次に微笑みかけた。

 元来人見知りが激しい上に今まで女性と親しく話した事のなかった研次は、わたわたと慌てながら答えた。


「あ、あの…研次、福島研次といいます。」

「福島…研次さんですね。」

「えっと…連絡先は……」

 ポケットの携帯電話を取り出して、自分の番号を読み上げた。

「これで大丈夫ですか?」

「はい、ありがとうございました。何かあった時はご連絡するかも知れませんが、今日のところはお帰り頂いて構いませんよ。」

「はぁ、そうですか。わかりました。」

「それにしても……」

「え?」

「本当に親切な方ですね、福島さんって。見ず知らずの人の為に病院まで一緒に来てくれるなんて。」

 にこりと笑顔を見せられ、研次は顔がかぁ~と熱くなるのを感じた。


「いや、そんな事は…。あの……では僕はこれで…」

 きょろきょろと目を泳がせながら一度軽く会釈をすると、出入り口に向かって足早に歩き出した。


「本当に良い人……」

 看護師の呟きは暗い廊下に反響して消える。

 彼女はもう一度研次が消えたドアを見つめた後、気を取り直したように肩を竦めながら踵を返した。


 一方研次は外に出て数歩行った先で立ち止まると、おもむろに建物を振り返る。一つため息を漏らすと目を瞑った。

 研次の頭の中にはあのふんわりとした笑顔と、『前園春香』と書かれたネームだけがいつまでも浮かんでいた……







 静まり返った病院の廊下に担架の車輪の音が否応なく響いている。

「ナイフで左大腿部を刺され出血多量!体温は急激に低下、意識はもう既にありません!!」

 数人のバタバタとした足音と緊張した声が、薄暗い廊下に吸い込まれていく。

「このまま緊急手術だ!足のナイフは絶対に抜くなよ!」

「はい!」


 そしてそのまま手術室に担架は運ばれていき、一瞬後には『手術中』のランプが点いた。


 シンッ…と静まり返った廊下。

「はぁっ…はぁっ…!」

 どのくらい時間が経っただろう。バタンッと大きな音がして、出入口のドアから人の影が出てきた。


「…お兄ちゃん!」

 その人影は廊下の奥まで一気に走ってくるとそう叫んだ。そしてその場に崩れるようにしてしゃがみ込む。

「お兄ちゃん…お願い!お願い…無事でいて……!」

 悲痛な叫びが病院内に木霊した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る