第67話『クラマ#02 - 不可侵なりし幻想の王』

 突如として現れた巨大なドラゴン。

 そいつは僕を目がけてうなりをあげて突進してきた!


 でかすぎる――避けられない。

 そう思った時、視界がぶれた。

 ワイトピートに腕を引かれた僕は、間一髪かんいっぱつのところでドラゴンの爪をすり抜けた!


「いかんぞ、こればっかりは戦える相手ではない」


 耳元で告げるワイトピートの顔にも、余裕の色が見られない。

 ……この世界にドラゴンがいるという話は聞いていた。

 それによると、そのうろこはいかなる武器も通さず、その爪は鋼鉄の鎧をも貫き、その吐息を受けて形をたもてるものはこの世に存在しない……とのこと。

 この世界において最も強いとされる生物。

 それがドラゴンだった。


「逃げろ! 奴は逃げる相手にはブレスは吐かん! ……言い伝えが間違っていなければな!」


 ワイトピートに言われて走る。

 樹海で谷底に落ちてからこっち、もう何度目になるか分からぬ全力疾走。

 ……確かにワイトピートの言う通り、話に聞くドラゴンブレスは来なかった。

 だが、その移動速度はこちらよりもはるかに早い。

 走りながらちらりと背後を見ると、竜の巨体は大きく羽ばたいて宙に浮きあがっていた。

 飛翔からの突撃が来る……!


「オクシオ・イテナウィウェ!」


 唱える。

 当然、もうこれを使うしかない。

 僕は可能な限りの早口で一気にまくしたてる!


「ドゥペハ・イバウォヒウー・ペヴネ・ネウシ・オーバウェフー・トワナフ! ジャガーノート!!」



> クラマ 心量:97 → 72(-25)



 輝くベルト。

 黒い炎に導かれ、僕の身体は限界を超えてはしる!

 背後から滑空かっくうしてくる巨体、それを僕は横っ飛びに回避した。

 一秒前まで自分がいた場所を通り抜ける緑の巨躯きょく

 それだけで巻き起こる――突風!

 相手の体に触れてもいない、ただ移動した際に起きた風。

 それに巻き込まれただけで、僕は大きく吹き飛ばされて地面に転がった。


「っつ……!」


 体の痛みを無視してすぐに起き上がる。

 前方では地に降りた巨体が、洞窟内に行き渡る地響きと、濃霧のような砂煙すなけむりを巻き上げていた。


 ……スケールが違う。

 これは今まで倒してきた獣とは違う。

 人間が戦える相手じゃない。


 しかし、かといって……


 ドラゴンがゆっくりと振り向いた。

 そいつは品格すら感じさせる悠然ゆうぜんさをもって、じっと獲物を見定める。


「……オクシオ・ヴェウィデイー」


 逃げられないなら、やるしかない。

 僕は黒槍を抱えて詠唱する。

 僕が持つ、最大火力を。


「サウォ・ヤチス・ヒウペ・セエス・ピセイーネ……」


 ドラゴンは僕に目を向ける。

 詠唱による魔力波を感じ取っているのか。

 すぐに襲ってこないのは、未知のものゆえ警戒しているのか。

 分からない。

 分からないが、僕にできるのは呪文の続きを唱える事だけだ。


「正義の使途、悪をついやすヴィルスーロ……きみの矛先を今だけ変えてくれ……」


 ここだ。

 詠唱の途中だが、もう行かなくては。

 槍を握って覚悟を決める。

 見つめる竜と、視線が合わさった気がした。


 僕は両足に力を込めて――駆けた! 竜のふところへ!


「おおおおおおおおおおおっ!!!」


 筋力増強、限界突破した肉体は、電光石火の速度をもって闇を貫くように駆け抜ける!

 竜の腹は目前! あとは残りの詠唱を――


 そのとき、視線を感じた。


 一瞬だけ映った。僕の視界の端に。

 ……竜の眼が。

 上からじっと僕を見下ろしている――


「――っ!?」


 僕は足の筋肉が千切ちぎれるかという勢いで急停止した。

 直後、目の前を横切る緑の壁……!

 いや、壁じゃない。

 それは尻尾だ。

 迫ってくる僕を迎撃するように、僕の進路にあらかじめ置かれた尻尾しっぽによる薙ぎ払い。

 あと一歩止まるのが遅かったら、今ごろ僕の体はサッカーボールのように吹き飛んで、全身の骨がバラバラになっていたところだった。


 しかし……こいつ。


「まさか……」


 僕は頭上を見上げた。

 こちらを見下ろした竜の目。

 静かに見つめるその瞳、そこに浮かぶ光は爬虫類はちゅうるいのものではない。


 まさか……誘われた……!?


 僕はガツンと衝撃を受けた気分だった。

 目の前の竜は、獣じゃない。

 理性をもって思考し、こちらと相対あいたいしている……!


 考えてみれば、あの巨体。あの頭部。

 脳の容量は人間よりも遥かに大きいはずだ。

 ……もちろん脳の容量と知能の間に明確な相関関係はない。

 そうだったなら、象は人間よりも遥かに賢いことになる。

 しかし――この怪物にそんな常識が通用するだろうか?

 こいつは、これまで僕が見てきた生物とは違う。

 もし人間と同等以上の知能を持っていたならば、こちらに打つ手が――


「ぬぅぅうんっ!!」


 ワイトピートが振りかぶって剣を投じた!

 ドラゴンの目を狙ったそれは、閉じた目蓋まぶたによって弾かれた。

 が、ワイトピートはそのすきにドラゴンの体を階段のように駆け登る!


「迷うな! そのまま行け!」


 叫んだワイトピートは、竜の頭に乗り上げるとナイフを振り下ろした!


 ――ガイィンッ!!


 突き立てたナイフの刃が折れる。


「ちぃっ!」


 頭に乗ったワイトピートを振り落そうとするドラゴン。

 振り落されまいとしがみつくワイトピート。


 ――そうだ。

 未知の敵に対して慎重になりすぎていた。

 僕は、そう。

 いつだって、やるべきことを、やるだけだ。


「返せ、激憤げきふん咆哮ほうこうを!」


 詠唱の続きを唱えて走る!

 ドラゴンの意識がワイトピートに向けられている今が、きっと最初で最後のチャンス。

 僕は槍を胸に抱えるようにして、低く、地をうように走る。

 頭上を通る暴風。

 あと数センチ姿勢が高ければ、僕の頭が吹き飛んで首から離れていた。

 避けたのだから、気にしない。

 目に見えるのは、目前にある竜の腹。

 槍の穂先ほさきを突き立て、叫ぶ。


「――ヨイン・プルトン!」



> クラマ 心量:72 → 22(-50)



 轟音、爆炎、震える大気。

 指向性を持つ高速爆轟による超火力。



『ヨイン・プルトン』

 これは発生させた爆発衝撃波を、特殊な槍の構造により生じるモンロー効果で威力を増幅し、それと同時に指向性を持たせて叩きつける魔法である。

 その威力は分厚ぶあつ鉄扉てっぴをも容易たやすく粉砕する、およそ対人戦には不必要な過剰火力。

 すなわち、こうした怪物を倒す目的で作られた魔法に他ならない。



 圧倒的破壊力を持つ機槍の咆哮が、竜の土手どてぱら穿うがたれた。

 轟音が止み、爆煙は次第に晴れ、そして僕の目の前に広がったのは……


 何も変わらぬ、綺麗な鱗の生えた竜の腹だった。


「――おい」


 ちょっと。

 ちょっと待て。

 こんなことがあるか?

 まったくの無傷は……さすがに?


 竜の腹を凝視する僕の耳に、上空から声が届く。


「むううぅっ!? しまった――」


 顔を上げると、ワイトピートが竜の手に捕まっていた。

 そしてそのまま――バクリと口の中に放られる。

 ……あらがう暇もなかった。

 目の前の地面に落ちてバウンドする人間の足。


「これは――」


 もう一度見上げた僕は、見下ろす竜と目が合った。

 そいつはゆっくりと深く息を吸う。

 すると薄く開いた口の奥で、真紅の光が満ちていくのが見えた。

 光は地鳴りのような異様な鳴動めいどうかなでながら広がっていく。


「ドラゴンブレス……!」


 ――絶望。

 これは、そう形容する他なかった。

 この世のすべてを消し去る竜の息吹。

 眼前に迫った究極の破壊を前にして、僕は呆然と立ち尽くす――


「お――おおおおおお――!!!」


 ……わけがないんだよなあ、残念だけど!

 僕は!

 僕が持って生まれたこの体は!

 物理的に機能が壊れて止まるまで、十全じゅうぜんに動けるように出来ている!

 ……それが幸か不幸か知らないけれど。

 恐怖や絶望で僕の体は止まりはしない……!


 そう、だから走った!

 まずはドラゴンの足元、死角になる場所へ!

 放たれた紅蓮の吐息は僕の髪とコートを焦がす。

 紙一重でブレスを回避した僕は、背後から広がる熱気から逃げ延びるように、そのまま全力で洞窟を駆け抜ける!

 本気の本気の全力疾走。

 魔法でリミッターを振り切った筋肉が、肺が、心臓が、全身が悲鳴をあげるのを無視して、ただ走れと己の肉体に指令を出した。


 だが――背後から羽ばたく飛翔音。


 筋力を上げたところで走って逃げられるものじゃない。

 それは分かってる。

 考えろ。

 生き残るためにどうするべきか?

 今、ここでするべきことは、ただひとつ。


「エグゼ・ディケ――」


 運量の使用。

 それで、どうする?

 どう願う?

 まず残りの運量は――



> クラマ 運量:1655/10000



 ……少ない!

 この量でどうやる?


『ドラゴンが僕を見失う』


 だめだ。運量は生物には直接作用しない。この願い方では、叶えるために僕やドラゴンの周囲が変化することになる。それでは動かなければならないものが多すぎる。運量が足りない。


『逃げ込める道を見つける』


 悪くないが大雑把おおざっぱすぎる。その逃げ道にも、見つけ方にもあてがない現状では、運量がまったく足りない。


 背後の飛翔音が一度大きくなって、離れた。

 これは――高く飛んで滑空かっくうする準備だ。


 時間がない。

 今すぐ決めなければならない。


 ……立ち返れ。

 そうだ、僕は知っているはずだ。

 運量の使用量削減の極意、それは――


 運量を使った後に、運任せ。


「僕が生き延びる可能性が高い方向へ穂先が向いてくれ!!」


 過去最速の早口で唱える!

 と同時に、ティアの黒槍を放り投げた。


 地面に槍の石突きが当たって、わずかに跳ねた後に転がる。

 穂先ほさきが向いた先は――右。

 僕はその方角へと進路を変えて走った!


 ……黒槍は拾わない。

 拾う暇がない。


 僕が進路を変えた直後、背中に暴風!

 ドラゴンが滑空して通り過ぎた余波だ。

 僕はそれに吹き飛ばされて、転がり、そして――沼地に突っ込んだ!


「っ、ぶぁっ……!」


 深い!

 足がつかない!

 ちょ、ちょっと待て……!

 生き延びるといっても、これでははばが短すぎる……!

 即死が溺死できしに変わっただけだ!


 もがけばもがくほど沈む。

 駄目だ。

 体が全部。

 首まで。

 これは、もう――



> クラマ 運量:1578 → 0/10000(-1578)

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