第26話 - 橙の挿話
ここは地上、アギーバの街。
その二階にある執務室。
そこは
およそこの街で事実上二番手にある権力者の執務室とは思えぬ、簡素な内観。
日常の多くを過ごす、個人の作業室や私室……これらは意識せずとも、使用者の心の内面が現れてくるものだ。
この
今の時刻は夜。
すでに日は沈んでおり、室内を照らすのは机に置かれた頼りないランタンの灯りのみ。
薄暗い執務室。ここで部屋の主――地球人召喚施設長のディーザは、椅子に腰掛けていた。
そのディーザの腰の上に、ひとりの女がディーザと向かい合うようにして
女はケリケイラだった。
ケリケイラは全力で走った後のように、荒い息を繰り返し吐き出している。
「どうした。終わりか?」
ケリケイラの様子とは対象的に、冷えきったディーザの声。
必死に息を整えながらケリケイラは答える。
「はぁっ! はぁっ! はぁーー……っ……も、申し訳っ……ありません……」
「無能め。いいか、無能な貴様は有能な私を楽しませなければならん。これが公平という事だ……分かるな?」
「……は……ぃ………」
息も絶え絶えのケリケイラを、まるで
ディーザはその体勢のままで、やおら神へと捧げる奉納の
「ヴォトン・イイーユリセウェ! 見よ、公平と公正を司る博愛の神よ! 私はどのような者であっても、無能者からは平等に
ディーザの体が大量の光の粒に包まれた。
> ディーザ 心量:212 → 404/500(+192)
「ははははは!! どうだ、認められた。これでまた、私の公平さが証明された」
神が認めた以上、ディーザの言葉は真実である。
すなわち彼は、相手が無能である以上、その容姿、年齢、性別に関わらず、同じように扱うことを己に
彼は、彼自身の価値観において、まさしく
ディーザは満足げに笑うと、ふうと静かに息をつき、
「……重い! どけ!」
自分の上に乗ったままのケリケイラを、床に突き飛ばした。
「あうっ!」
背中を強く打って悲鳴を漏らすケリケイラ。
しかしディーザはまるで気にも
「オクシオ・オノウェ! ヨハイーオハ・ユナウー・ツハー・ナ・イテナウィウェ・シーヌ・ジェヴェーシー……公正な裁きのため。この者の嘘を暴け。
> ディーザ 心量:404 → 389/500(-15)
ディーザが唱えたのは、心音と感情の揺らぎを感知して、対象の言葉に嘘があれば気が付けるようになる魔法。
また、喋らない者に対してもこちらから言葉を投げかけることで、心に動揺がないかと調べることもできる。
魔法というのは同じ効果を得られるものでも、唱える者によって詠唱が違ったり、また、微妙に
個人で使うぶんにはそれでもいいが、公的機関で使用するとなると、その時々によって差が出てしまうのはよろしくない。
そのため《魔法使い相互扶助組合》から、
多くの国の公的機関がこれを採用しており、公職につく魔法使いは必ず習得している。
今、ディーザが唱えたものがそれにあたる。
取り調べ等では必ずといっていいほど使われる、定番の魔法であった。
懐疑主義者のディーザは、私生活でもこの魔法を好んで使用する。
「よし、報告しろ」
ディーザが言うとケリケイラは起き上がって告げた。
「はい。地下4階まで行きましたが、逃亡した冒険者は見つけられませんでした」
「無能者め。見つからないで済むと思っているのか!」
「申し訳ありません」
「……他に報告することはあるか?」
「ありません」
そこでピクリ、とディーザの
「嘘だな。
氷のように冷えきった目が、ケリケイラを射抜いた。
「………………」
ケリケイラは無言。
そんな態度にもディーザは慣れた様子で、ふん、と軽く鼻を鳴らして鍵のかかった机の引き出しを開けた。
口枷、目隠し、鞭、首輪、荒縄、針、張形、貞操帯、浣腸器……等々。
「覚えの悪いグズめ。
ディーザは無造作に、その道具箱へと手を伸ばした。
執務室の窓から、
ディーザは汚れた道具を布で丁寧に
「助けてもらった礼に魔法具を
ディーザは手を止めずに、ちらりと横に目を向ける。
固い床の上でうつ伏せに
「しかしあの地球人……クラマ=ヒロといったか……」
以前にも問題を起こした地球人。
ダンジョンの出入口を封鎖した事件はダンジョン関係者には周知されており、ディーザも記憶している。
おおかた、クラマの名前を出すことで事件を蒸し返され、彼が再び目をつけられるのを避けたかったのだろう……と、ディーザはケリケイラの考えを推測した。
「浅はかな……やはり無能。いや、待て。魔法具……?」
ディーザは机の上の書類に手を伸ばした。
彼の記憶によれば、今日のダンジョン換金報告書には魔法具の記載はなかったはずだった。
冒険者がダンジョン内で手に入れたものは、その全てを冒険者ギルドが換金する。つまり冒険者が何を手に入れたかは、あまさずこの報告書に記されているのだ。
ディーザは改めて確認したが……やはり魔法具の記載はない。
そして地上に帰還したパーティー代表者としてイエニアの名前もある。
という事は、まだダンジョンに潜ったままという事もない。
だが、手に入れたはずの魔法具が書類に記載されていない。
「不正の疑いがあるな」
ならば、調べねば。
そう呟いたディーザは、綺麗に磨いた
――公平、公正であれ。
代々、名誉ある
私を滅して公に捧げられる存在となれ――
その言葉に、若き彼は反発した。
「なぜ優秀な自分が、そんな誰でも出来る事をしなくてはならないのか」
「なぜ
「なぜ――」
疑問の答えはなかった。
――ただ、そうあるべし。
古いものほど尊ばれる公国においては、定められた慣習を破る事はすなわち“悪”だった。
周囲の
当然の帰結として、彼は家を出た。
世界で最も勢いがあり、実力主義とされる魔導帝国イウシ・テノーネへと。
そこで彼は存分に秀才ぶりを発揮した。
魔法詠唱学を学び、様々な詠唱を開発し、若くして帝国魔法研究所の副所長にまで上り詰めた。
己の優秀さは自明であったが、いかんせん実績を積むには時間が足りない。
まだまだ受け取った報酬は己の能力に見合うものではない。
そこで彼は、自主的に不足分を
“自分よりも無能な者から回収すればいい。”
なかなかの妙案であった。
やはり自分の発想力は並ではない、と彼は自画自賛した。
こうして彼は、自身の目に映った「無能者」から、物質的・精神的な形を問わずに、手当たり次第に“回収”していった。
「まだ足りない。ここまでいけば、私の優秀さと釣り合いが取れるか……? 駄目だ。もっと、もっと――」
――公平、公正であれ。
いつしか己の言動が、かつて死ぬほど毛嫌いしていた父親と一致していることに、彼は気がついていなかった。
そして当然の帰結として、その生活は崩壊した。
彼は、上手くやっていたはずだった。
崩壊のきっかけは、自分よりも若く、才能も、実績も、人望もある新所長の一言だった。
「あなた、自分で思うほど大した人間じゃありませんよ」
頭が真っ白になった。
気付けば彼は、若い女所長に馬乗りになって拳を打ち付けていた。
鼻が潰れた半裸の女は、自分の腕の下で、心の底からつまらなそうな視線で見上げていた。
彼はその目に耐えられずに、逃亡した。
そしてすぐに警察当局に追われる身となった。
余罪など腐るほどあった。
そうした経緯で国外へ高飛びしようとした彼に、同じく国外への亡命を予定していたヒウゥースが声をかけた。
奴隷商のヒウゥースとは、何度か取引をして、それなりに親しい仲であった。
それから彼は、ヒウゥースの右腕として、表と裏の業務を補佐するようになった。
金儲けのことしか頭になく、実務は
しかしそこは、己の優秀さを存分に示せる
こうしてディーザが二度の
それがこのサーダ自由共和国、アギーバの街だ。
ここでは今までと違って、自分を
ヒウゥースが少し苛立たしいが、いざとなればいつでも排除することは可能。その準備をディーザは進めていた。
ついにこの手に掴んだ理想の箱庭。
ならず者の冒険者、生贄の地球人などに壊されてはならない。
その決意を確固として塗り固めるため、彼は必ず一日に一度、自分に言い聞かせる。
「私の公平、公正のために」
彼はひとり、
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