第17話

 納骨亭から帰ってきたクラマは、遅めの夕食をとって、それから湯浴ゆあみ。

 お風呂から上がった彼を、リビングでパフィーが待ち受けていた。


「待ってたわ、クラマ! 今日は何のお話が聞きたいかしら?」


 ここ最近では、就寝前にこのリビングでパフィーから講義を受けるのが、クラマの習慣のようになっていた。

 今日も例にれず、2人きりでパフィーの話を聞く。

 講義といっても堅苦かたくるしいものではなく、なごやかな空気でこの世界の事を語って聞かせる、雑談の延長のようなものだった。

 ちなみに寝る前なので2人とも寝間着ねまきである。


「そうだね……前に言ってた、神様の話を聞きたいな」


「わかったわ。それにはまず基礎として、神様とわたしたちの心量の関係からね」


「この世界の人たちは、心量を神様からもらうんだよね」


「そうよ。地球人は自分で回復できるけど、わたしたちは“祈り”か“奉納ほうのう”か、あるいは地球人からの譲渡じょうとでしか心量を回復できないの」


「ふぅーんむ……祈りと奉納っていうのはどういうのかな」


「祈りは神様への祈り。……ちょっとやってみるわね」


 パフィーは目を閉じて、祈りの言葉をささやく。


「ヴィル・ウーセバエニウディー……神様、神様。今日もわたしに心量をくださいな」


 するとパフィーの周囲にどこからともなく光の玉が表れて、パフィーの中に入り込んでいった。



> パフィー心量:279 → 299/500(+20)



「結構、簡単なんだね」


「そうね。ったこと言っても量は変わらないから。それじゃあ次は奉納ね。……ヴォトン・ウーセバエニウディー」


 そうとなえると、やおらパフィーは用意してきた小瓶こびんを取り出した。

 中には飴玉あめだまほどの大きさの白い玉が2つ。


「片方は甘~いお菓子。もう片方は、とってもとってもにがい栄養剤。さあ、どっちか好きな方を選んで?」


「どういうこと!? にがいのは苦手なんだけど?」


「わたしも苦手。でも、これが心量回復に必要なの。残った方をわたしが食べるから」


「そうなのか……」


 何だか分からなかったが、そう言われては拒否できない。

 クラマは注意深く2つの玉を観察する。

 しかし外からでは、違いがあるようには見えなかった。

 試しにクラマは手を伸ばして2つの上を交互に行き来させ、パフィーの反応をうかがってみた。


 パフィーは緊張した面持おももちでクラマを見つめている。

 だが、クラマの手の動きに反応するそぶりはなかった。


 ……どうやら心理戦の介さない、完全なるフィフティ・フィフティなギャンブルのようだった。

 クラマは意を決して片方を選ぶと、口の中に放り込んだ!

 パフィーが動向を注視する中、クラマはゆっくりと口の中でむ。サクッとして柔らかかった。


「……………………甘い」


「え」


 濃厚なクッキーのような甘さがクラマの口の中に広がった。

 飲み物は欲しくなるが、なかなかにおいしい。

 

 とすると当然、残りは――


「ううううぅぅぅぅぅぅ……」


 相当に苦手なのだろう。頭を抱えて残った玉を見つめるパフィー。


「…………………」


 クラマは残りの玉をつまむと、ひょいっと自分の口に放り入れた。


「あっ」


 呆気にとられるパフィーの前で、クラマはもぐもぐと噛んだ。

 そして……


「ぐええああああー! にがいぃぃ! にがすぎるぅぅぅぅ!」


「な、なにしてるのクラマ! ほら水、お水よ!」


 パフィーが持ってきた水を飲んで、クラマは一息ついた。


「ふぇあああー……この想像を絶する苦み。宇宙の起源を垣間見たね。まだ口の中に銀河がまたたいている」


「しっかりして、この世界に宇宙はないのよ。それとねクラマ、そういうことしちゃだめよ。これは心量を回復する儀式なんだから」


「う……そうだよね、ごめん」


 クラマは己の軽率な行動を謝罪した。

 しかしパフィーはそれほど怒ってはいないようだった。


「……クラマ、わたしをかばってくれたのよね?」


「そんなことないヨー、にがいの好きだから食べたかっただけだヨー」


「もう、嘘ばっかり! ……ふふっ、でもね。わたし、クラマのそういう優しいところ好きよ!」


 そう言ってパフィーは嬉しそうにはにかんだ。



> クラマ 心量:69 → 71(+2)



「うーん、でもこれじゃ、わたしの心量が回復……あら?」



> パフィー心量:299 → 485/500(+186)



「すごい、たくさん回復しているわ! 1回につき最大で200だから、かなりの量よ。神様はああいうのが好きだったみたい」


「そういうもんなの?」


「ええ、神様が好むものを披露して、その見返りに心量を授かるのが奉納なの。ただ、同じことを繰り返すと貰える心量が下がっていったり、同じことをしても人によって差がついたり、明確な規則は見つかっていないのだけれど」


 運量と似て曖昧あいまいなところがあるようだった。


「神様にも気分があるんだろうね」


 例えば女性の下着姿を見るにも、シチュエーションによって、また相手によっても興奮の具合は違う。

 そういうものなのだろう、とクラマはひとりで勝手に納得した。


 そんなことを考えていると、クラマはなにやら思い悩んでいるパフィーの様子が目についた。


「どうしたのパフィー」


「……ううん、やっぱりだめよ! わたしもちゃんと食べるわ!」


 と言って、パフィーはかばんから白い玉を取り出し、自らの口の中へ放った。

 ぐっ、と口の中で一噛ひとかみした後、その動きが止まる。

 しばしの硬直。

 やがてパフィーの体がプルプルと震えだした。


「ハイハイ、水! 水持ってきたから、ホラ!」


 今度はクラマが水を持ってくることになった。




 パフィーが落ち着いてから話に戻る。


「祈りの効果があるのは1日1回まで。奉納は1回やると10日過ぎないと次にできないわ。基本的にみんなダンジョンに入る前に心量を上げておくから、ダンジョン内ではクラマからの譲渡しかないって考えておいてね」


 そうやって心量について補足してから、次にパフィーはこの世界の神話を語る。



 ――曰く、この世界は6柱の神が創生した。

 神は世界の外にいながら空を創り、大地を創り、太陽を創り、あらゆる動物、植物を創り、最後に自らの教えを広める者として人を創った。

 それぞれの神は同じ数だけ人の種を蒔いた。

 死した人の魂は自らを生んだ神のもとへ還り、新たなる人の命へと宿る。

 繰り返す生の中で、神の教えを忠実に守り、その魂に宿る業を神の色に染め上げた者が、やがて神の座へと至るであろう――



「神様にはそれぞれを象徴する色があるの。わたしたちの瞳は信奉している神の色で、髪の色は魂を創った神の色。髪の明るさや鮮やかさは、前世の業で決まっているわ」


 神の話だと思って聞いていたら、いつの間にか髪の話になっていた。


「……わかりにくかったかしら?」


「んーにゃ、たぶん大丈夫。でも前世があるってことは、昔の記憶があるの?」


「ううん、ないの。ただ輪廻りんねと魂の業の存在は証明されているから、神の意に沿うように生きる人もいれば、どうせ前世が分からないからって気にしない人もいるわ」


 業とかどうとかはクラマにはよく分からない話だったが、とりあえず信奉している神によって髪と目の色が違うのは分かった。


「……ってことは、自分を創った神を信奉してない人もいるわけだ」


 まずパフィーからして目は黄色。髪は緑だ。

 イエニアはオレンジ色の目に茶色の髪だが、オレンジの濃さを変えれば茶色になる。

 赤い瞳とピンク髪のレイフも同様だ。


「ええ、人はみんな生まれた時から自動的に自分を創った神を信奉してるのだけど……自分の意志で改宗もできるわ。ただ、改宗した後は1ロイ……1000日の間、新たに改宗ができなくなるのだけど」


 だいたい3年間。

 そう簡単にほいほい信じる神は変えられないということだ。


「じゃあ、具体的に神様を紹介していくわ。有名な想像画があるから、それを見ながらね」


 パフィーは画集を持つとテーブルをぐるっと回って、クラマの横に来る。

 そしてクラマの膝の上に、その小さなお尻を乗せた。


「さ、一緒に見ましょ?」


 無邪気な笑顔でクラマに背中を預けてくるパフィー。

 最近はこの体勢がパフィーのお気に入りだった。

 クラマはダンジョン内で一緒に寝た時のことを思い出す。

 こうした触れ合いを求めるのは、やはり人恋しい気持ちがあるのだろう。

 レイフと屋根の上で話してから、クラマはそういう事もよく考えるようになった。


「まずは風来の神、シンラエウーユバウー。唯一の失われた神。何よりも自由を愛し、束縛を嫌う。古代人類が滅亡した《神の粛清》の後、神としての役目を捨てて地上に下ったとされる」


 パフィーが開いた本には、緑が鮮やかな風景画が描かれていた。

 しかし風景だけで、神らしきものの姿は描かれていない。

 代わりに中心付近には、何かがそこにいたような足跡だけがあった。

 パフィーは次のページをめくる。


「次に芸術の神、フェギナシド。芸術をこよなく愛し、特に真新しさのある創造的活動を求める」


 本には道化どうけのような格好をした紫色の少年が何人も描かれ、それぞれが絵画や本、楽器などを手にしている。


まつりの神、ウーセバエニウディー。とにかく派手なもの、陽気なものを好む。賭け事や争いも好み、いくさの神とも呼ばれる」


 描かれているのは黄色い兜、マント、斧を装備した上半身裸で筋骨隆々の男。絵の中の男は怪物を踏みつけ、周囲では群衆が拍手喝采をしている。

 イエニアに最も合っていそうな色だとクラマは思ったが、黄色はパフィーの色だ。


 画集からパフィーに目を向けたクラマ。

 クラマはそこで、とんでもない事に気がついてしまった。

 ゆったりしたパフィーの寝間着。

 クラマの角度からだと、少女の胸元が丸見えになっていた。

 寝間着の下に肌着はつけていない。

 そこには素肌の、ほんの少しだけふくらみ始めたばかりの、少女の胸があった。


「………………」



> クラマ 心量:71 → 74(+3)



 クラマはメガネをかけた。

 小さくて見づらい画集の解説文を読むためであり、他意はなかった。


「クラマ、どうかした?」


 パフィーが見上げてくる。


「なんでもないよ」


「そう? じゃあ次、博愛の神、イイーユリセウェ。公平な分配と公正な裁きを至上としており、私的な理由による贔屓ひいき搾取さくしゅは認めない」


 描かれているのはオレンジ色の光に満ちた無数の腕を持つ女神が、縱橫に整列した老若男女に何十本もの輝く手を伸ばした姿。

 オレンジ色はイエニアの色だった。

 パフィーはページをめくり、次に続ける。


「美と官能かんのうの神、ヒシディユビウヌ。女性の美しさを求める愛の探求者」


 赤いころもまとって湯浴みしている美しい女性の姿が描かれている。また、その姿を窓から覗いて顔を赤くする別の女性の姿も描かれていた。

 赤色はレイフの色だ。

 これ以上なくレイフの色であった。


「そして最後に……あら?」


 最後のページをめくる途中で、何かに気付いたパフィーは動きを止めた。


「クラマ、ポケットに何か入れてるでしょう」


 パフィーはクラマの太股の上で、お尻の下の感触を確かめるように体をゆすった。


「いや……いやいやいやいや、何もないから。気にしないでパフィー」


「うそ! ぜったい何かあるもの!」


 パフィーはクラマの膝から降りて、クラマの内股を手で探る。


「ちょ、ちょっちょっちょっ……! 待った、ちょっと待ったパフィー!」


「ほら、やっぱり何かある! いったい何を隠して……あら? ポケットの中じゃない……? ここは……」


 ぴた、とパフィーの探る手が止まった。

 やがてパフィーの体がふるふると震えだす。

 それからぎこちない首の動きで、ゆっくりとクラマに顔を向けた。

 その顔は耳まで赤くして、半泣きになっていた。


「パ――」


 クラマが何かを言おうとした瞬間、パフィーが脱兎だっとのごとく駆け出した!


「ひやあぁぁあ! どすけべ! どすけべだわー!!」


「ど、どすけ……!?」


 慌ててパフィーを追いかけようとしたクラマは、ソファーに足をひっかけて転倒した。

 痛みをこらえて顔を上げると、そこには――


「……みたわよ」


 壁から半分だけ出したレイフの顔。

 クラマは何か弁明べんめいを行おうと、口を開けて必死に思考を巡らせた。

 だが……どれだけ考えても現状を覆す一発逆転の言葉は浮かばない。

 最終的に喉から絞り出されたのは、ただの一言だった。


「チガウンダ……コレハ……」


 これほど無意味な言葉を発したのは生まれて初めてだった。

 赤子の産声うぶごえよりも意義のない言葉は、リビングの中を流れて何処どこにも響かずひっそりと消える。

 クラマは床に膝をついたまま、がっくりと肩を落とした。



> クラマ 心量:74 → 66(-8)






 テーブルの上には、開かれたままの画集。

 そこに描かれた絵は、刃物を手にして力なく膝をつく男。その男の側に寄りい両手を上げた、頭からローブをかぶる顔のない人物。背景は不吉で禍々まがまがしい雰囲気で描かれ、これらすべての色彩が青。

 ただひとつ、膝をつく男の前に倒れ伏した女性の胸に、赤い点が浮かんでいた。


 絵画と一緒に書かれた説明文は以下。


「悲劇の神 ツディチスユア

 救いのない物語、悪意の嘲笑、人の心の闇を好む。

 一般的には『邪神』と呼ばれ、信徒は人類社会に害を及ぼす危険な存在である。」

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