第四話 外への導き

「お前もついて行ったらいいじゃないか。集嶺。」


そう言って、烏が笑う。

瞳はキラキラと輝いていて、好奇心を隠し切れないと訴えているかのようだ。

何故、ついて行けと言われている側よりも、言う側の方が興奮しているのだと。突っ込みを入れたくなるのをぐっと飲み込む。

確かに、少女が一人旅をするよりは安全だろう。安心だろう。

しかしこれは、彼女にとって大事な旅だ。己の使命と、そして、肉親の行方を探す、大事なものだ。

出会ったばかりの自分たちが安易に介入していいことでもないだろう。

それに何より、碧羽にとって出会って一時間も立っていない見知らぬ他人と、それも異性と共に旅をするというのは、困惑以外の何物でもないのではないのだろうか。


「なあ、碧羽。俺たちがついて行ったら困るか?」


そんな集嶺の心配など他所に、烏はどんどん話を進めていく。

しかもちゃっかり、お前もついて行ったらどうだ。と言っておいて、自分もついて行く気満々だ。

碧羽も突然の彼の提案に、それは、その、と、困ったように言葉を詰まらせている。

時折ちらちらと助けを求めるようにこちらを見て来るが、残念ながら集嶺は口下手も口下手。彼女にかけるべき言葉が見つからず、逆に助けを求めるような顔をしてしまっている。


「でも、いつ終わるかわからないですし……迷惑をかけてしまうのでは……」

「その点は問題ない。集嶺も俺も暇人だからな!」

「おい烏。暇人であるのは否定しないが言い方というものがあるだろう。」

「それにな。」


集嶺の訴えなど気にする素振りも見せず、烏は碧羽に笑いかけた。

しかし、その穏やかな笑顔とは裏腹に、その瞳は、有無を言わさない力強さを感じさせられたのは、集嶺の気のせいではないだろう。


「俺が。この俺が。保障する。集嶺はいいやつだ。」


碧羽はこの時、少し、瞳を大きくした。

彼の。烏の言葉に、何か、思うところがあるのだろうか。

そもそも、集嶺の知るこの烏という男は、自由奔放で好奇心旺盛。少し子どもっぽいところがある男で、集嶺は十年近くこの男と浸食を共にしているが、いくら少女を安心させるためといえど、わざわざ“この俺が”などと、己を強調するような、まるで自分が他者よりも少し上の位置に在るかのような話しぶりをするような人間ではない。

故に、初対面の少女に、ここまで言葉を強くして、気遣う様を見るのは意外であった。

そんな集嶺の思いを知ってか知らずか、烏は更に言葉を続ける。


「だから、お前さえ良ければ、手を差し伸べてくれるのであれば、俺達は応える。……旅というのは、一人より二人以上の方が楽しいぞ。なあ、集嶺?」


構わないだろう?

烏はそう、集嶺に問いかける。

確かに、自分は日々鹿を追いかけたり兎を追いかけたり、気まぐれに山で狩りをして暮らし続けるだけの男だ。

特定の職業を持って集団生活を送っている訳でもない。

よって、この少女の旅に同行しても迷惑する者もいないし、心残りがある訳ではない。

寧ろ、この少女を一人、見知らぬ土地に送り出す方が心残りになってしまうと言ってもいいだろう。

集嶺は烏の奔放さに溜息を吐きながら、それでも、真剣なまなざしで碧羽と向き合った。


「碧羽。出会ったばかりの人間を信じてくれというのも難しいだろう。しかし、一人旅は何かと不便だ。足もそうだし、食事にしても何にしても。足手まといにならないということは保障しよう。だから。」


ついて行っても、構わないだろうか。

そう問いかけた自分の声が、思いのほか上擦っていて、少し格好悪かったのは、一生忘れることのできない思い出になりそうだった。



第四話 外への導き



パチ。パチ。と、木の枝が焼けて弾ける音を聞きながら、集嶺は夜空を見つめていた。

空に浮かび、白く輝く小さな星たち。

あの少女の故郷はこの先にあるのだろうか。それとも、また異なる場所にあるのだろうか。

そして、彼女の故郷もまた、同じ空をしているのだろうか。

星々を眺めながら、思わず、そんなことを考えてしまう。

山の夜はよく冷える。

洞窟の中にある火はまだ絶えていないから、身を丸くして眠っている少女の身体を冷やすことはないだろう。

息を吐くと、少し白んだ。


「なんだ。眠れないのか。」


慣れた声に、振り向くと、そこには烏が立っていた。

背後に洞窟の灯りがあるからだろうか。彼の天色の髪が、太陽に照らされているかのように、淡く輝いて見える。

眠れない。

そう問われて、集嶺は、困ったように笑う。


「バレるか。」

「バレるともさ。この山は見張りが不要なことなぞ、お前が一番よく知っておろう。」


そう。この山は平和だ。故に、見張りなんて大層なものは必要ない。ただ、この山で、この洞窟で、寝泊まりすることは当分ないのかと思うと、逆に寝付けなくなってしまったのだ。


「碧羽は承諾してくれたな。」


そう。

烏の、そして、集嶺の申し出に、碧羽は少し申し訳なさそうにしつつも、深々と頭を下げて、彼らの提案を了承した。


『本来であれば、一人で乗り越えなければならない旅路でしょう。ですが、一人で心細いのも、また、事実です。出会ったばかりの優しい方たち。ご迷惑をおかけすることばかりでしょう。勿論、途中で見捨てていただいても構いません。最後まで付き合ってくれなんて、そんな、厚かましことは言えませんから。でも、どうか、ほんの少しの間だけ。もう少しの間だけ。共にいてくださると……心強いです。』


大人びた瞳の中に残る、不安に満ちた少女の顔が、その時、少し顔を出したような気がした。

あの後、食事を済ませてすぐに眠りこけてしまったのだから、相当疲労が溜まっていたのだろう。

一人旅となれば、こうして満足に眠ることもきっと許されない。

烏の申し出は、正解だったのだ。


「しかし。少し、意外だった。」

「何だ。意外とは。」

「烏が、まさか、彼女に同行しろと言うとは思っていなかったから。」


別に、彼は他者に興味がないとか、冷徹な印象があるとか、そういう訳ではない。

ただただ、あのようなことを言い出すということを想像していなかったというだけだ。


「ふむ。そうだなあ。」


烏は少し考え込むような仕草をして。

しかし、答えは最初からあったようで、形ばかりの仕草からすぐ、言葉をその唇から紡ぎ出した。


「無論、あの少女が気がかりであったのは事実だ。しかし、な。それ以上に、俺はお前にもっと外の世界を知ってもらいたいと思ったんだよ。」

「外の?」

「そうだ。お前とも長い付き合いだからなあ。お前が、この山のことしか世界をろくに知らないということはよくよく知っている。だから、あの少女と共に旅をして、少女と共に、この世界を見て欲しいと思ったんだ。」

「世界を見て……その後、どうするんだ。」

「さてなあ。それは、お前の決めることだ。いっそ、お前が世界征服してしまうのも悪くはないかもしれないぞ。」

「世界の安定を願う巫女との旅路で、そんなことを考えていたら碧羽は嘆くだろうなあ。」

「はは、違いない。」


烏はそう言って、けらけらと、笑った。

少年のような快活さと、少女のようなあどけなさ。それが入り混じった笑顔を浮かべた彼は、ぽんぽんと、集嶺の肩を優しく叩く。


「ほら、集嶺。お前もそろそろ眠っておけ。明日は早いぞ。途中で眠くなって碧羽に迷惑をかけてしまっては、男がすたるからな。眠って、体力を付けておけ。」

「……む。」


男がすたるかどうかはともかく、確かに旅立ち初日から眠たそうな顔をしていたら示しがつかない。

自分から同行すると言ったのだから、きちんと、彼女が頼れる存在にならなければならないだろう。

彼女はそこまで意識をしていることはないだろうが、それは、自分なりのちょっとしたプライドだ。


「しかしなあ。」

「……なんだ。」

「お前が碧羽を連れて来た時は、ついに食糧ではなく嫁を狩って来たかと驚いたものだがなあ。」

「なっ」


嫁。

その言葉を聞いて、何故だか顔が熱くなる。

自分は今、一体どんな顔をしているだろう。

少なくとも、烏にとっては、愉快極まりない顔をしていたらしい。


「ほれほれ。そんな面白い顔をしておらんで、よい子は寝る時間だ。」

「烏貴様……」

「まあまあ。恨み言はいずれ聞いてやるから。寝ておけ寝ておけ。」



強引に背中を押され、洞窟の中へと押し戻される。

なんとなく誤魔化されてしまった感は拭えないけれども、そろそろ眠らなければいけないのも事実だ。

岩壁に身体を預けて、座り込む。

目の前には、規則正しい寝息を立てて眠っている、小柄な少女の姿があった。


『嫁でも狩って来たのかと――』


その寝顔を見て、ふと、烏の言葉が頭をよぎり、恥ずかしくなる。

何度も顔を左右に振って、脳裏に響くその言葉を打ち消して、視線を少女の長いまつ毛から、未だ絶えない焚火へと移した。


「…………余計なことを言いやがって。あのジジイ。」


決して。

決して。

そんなつもりで、彼女を連れて来たわけではない。

動機は善意だ。それは声を大にして言いたい。

しかし。

しかし。

しかしだよ。


「…………。」


少しだけ、ちらりと、眠る少女の顔を見る。


「……こんなにも綺麗な女の子に対して、1ミリも意識をしないと言えば、それは、嘘になるだろう。」


そんな小さな下心を正当化しつつ。

明日以降、自分は、冷静に彼女と旅をすることができるだろうか。烏もいるから大丈夫とはいえ、自分も初めての外なのだから、しっかりしなければ。と。

少しだけ。

そんなことを心配しながら。

集嶺はようやく、その瞼をゆっくり閉じた。

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