天地万海

藤憑・伊達

第一話 天から降るもの

かつて世界は一つであった。


「神は天に。」


しかし、人々は種族が異なるが故に争った。

互いが互いに、異なる者であるが故に不信し、恐怖し、虐げ、迫害し、争って。


「人は地に。」


それを嘆いた神がいた。

故に、破壊を訴える神がいた。


「天と地が入り混じる者は海に。」


神の分身たる神子は、暴走する神を止め、平穏を手にするためにある方法を提示した。


「在るべき場所へ散り、在るべき場所へ還り、在るべき場所で暮らすがよい。」


世界を、別つ。


「俺は……否、私は、この世界の均衡を保ち続けよう。」


神子はゆっくりと顔をあげ、神を揺らし、瞳から溢れ出しそうなものをぐっと飲み込み、呟いた。


「新たな神として。」


これが、世界を別つ、タチキリの歴史。

天と。

地と。

海と。

世界が三つに分かたれた、世界の分岐点。



天地万海=テンチバンカイ=

第一話 天から降るもの



ガサガサと草を掻き分ける音。

音のする方向を向いた少年は、その手に握る弓を大きく引いた。

矢を固定し、弦を引っ張ればキリキリと軋む音がする。すう、はあ、と息を吸って吐いてで繰り返し、呼吸を整える。

手を放すと同時、矢は勢いよく放たれて、草を掻き分けた音の主の脳天を勢いよく貫いた。


「……捕った。」


弓を持つ少年は呟く。

脳を貫かれたそれは糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。

倒れたそれの方向へと歩いていくと、立ち上がれば少年の身丈と同じか、或いは超えてしまうであろうぐらいの大きさの鹿が倒れていた。

その頭部には見事な角もついている。

肉は美味いし、角は高値で売れるだろう。

つまり、これは大物。良い、獲物だ。


「……よし。」


思わず少年は握りこぶしを作って頷く。

これだけ大きな鹿ならば、解体すれば数日は持つだろう。同居人が食べすぎることがなければ、だが。

ピー、ヒョロヒョロ。鳶だろうか、鳴く声がする。

顔をあげれば、大きな鳥の影があった。


「流石に……あれは、無理だな。」


弓が届かない。

あれも良い獲物ではあるのだが、いかんせん、空高くを飛んでいる鳥を打ち落とすのは一苦労だ。

まだ鹿の方が易しいし、もしあの鳶を狩るかもう一匹鹿を狩るかを選ばされるのならば、断然後者を選ぶ。

自分も空を飛べるのであれば話は別だが、そうもいかない。人間は飛ぶことが出来ないのだから。


「飛べたら、便利なのだろうけれどなあ。」


ないものねだりはできない。

仕方ない。鹿を解体してそろそろ住処に戻るか。

ぼうっと空を気持ちよさそうに飛ぶ鳶を眺めながら、そう思っていると、また一つ、影のようなものが浮かび上がった。


「なんだ?」


それはまるで、人のようであった。

人間も飛べればいいのにと思ってしまったばかりに、そのように見えてしまっているのだろうか。

人の脳は簡単に錯覚を起こすから困る。

そう思いながら、なんとなく、少年はその影を目で追っていた。

そしてすぐに、驚愕することになる。


「…………は?」


それは紛れもなく。


「人、じゃないか。」


人だった。

しかも飛んでいるのではない。


「お……」


落ちている。


「ッ。」


状況を理解した少年は、息を飲んで、叫びそうになるのをぐっとこらえる。

自分がすべきは暢気に叫ぶことではない。

服に仕舞った笛を出し、ピイピイとそれを拭けば、鹿のような大きな角と、狼のような毛深い体毛、そして大きな四肢を持った生き物が、勢いよく駆けて来る。

生き物と並ぶように走っていた少年は、その長い体毛を掴むと、身体を勢いよく持ち上げて、その生き物に跨った。


「急げ。」


少年の声に応えるように、生き物は走る速度を増していく。

その速さは、まるで自分自身が風になったかと錯覚してしまう程だ。

そして目の前には、落ちて来る、人。


「今だ!」


少年が手を伸ばすのと同時、腕の中に人影は抱き留められた。

タイミングとしては百点満点と言うべきだろう。

生き物も少年が人影を受け止めたのを感じたのか、走る速度をゆっくと落とし、次第に止まった。


「ありがとう、ベルク。助かった。」


少年を乗せていた生き物、ベルクはその手で撫でてやると、バウ、と、狼のような、犬のようなそれに近い鳴き声を出した。

撫でられるのはまんざらでもないようだ。


「バウ。」

「嗚呼、そうだな。この人の容態を看なければ……」


空から落ちて来たショックで、気絶しているのだろう。

その人は目を閉じて、全身の力が抜けた状態でぐったりとはしている。

しかし呼吸は規則正しいことから、命に別状はないらしい。

無事を確認し、ほっと息を吐いた少年はその腕に抱いた人物を覗き込み、そして、言葉を失った。


「綺麗だ。」


落ちて来たその人は、少女であった。

透き通るような白い肌に長いまつ毛。ふっくらとした桃色の唇は、整ったその容姿によく映える色合いをしている。

腰まで伸びた髪は艶やかで、街で売られていた絹糸を連想させる程で、思わず撫でてしまいそうになる手をぐっと堪えた。

堪えたのだが、少年にとって、驚く点は少女の美しさだけではない。


「……この髪の、色……これは、青銀……?」


それは、夜明けの白んだ空を連想させる、青とも銀ともいえる不思議な色の髪。

これも一種の、空色と呼べるものなのかもしれない。


「初めて、見る……」


少なくともこの少年にとって。

初めて見る、色であった。

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