第5話 転移

 俺はこの世界の事を考えながら眠りにつく――

 四百年も魔王と戦ってその後は爺さんの所に厄介になって、最初こそ歓迎されたがその後の事を考えるとこの世界での自分の人生に色々と悔いが残る。

 特に小さな神様の提案を飲まずにあのまま魔王と戦っていたらどうなっていたのだろうか――

 もし魔王に勝っていたら、その後は王国に凱旋し多額の報酬をもらいつつ最愛の――尻軽――女と結婚して子供もできていたんじゃないか? そんな事を考えつつ眠りにつく。




 眠りについて何時間がたったのだろう。

 俺は腹に衝撃が走り覚醒する。

 もちろんこの衝撃は毎日受けているので見ずともわかる。


「おはようフェリス。今日も起こしに来てくれてありがとう」

「いいのん。フェリスの朝の仕事なのん」


 フンと鼻から強い息を吐く小さきアラーム時計にお礼を言う。


「それで? 今日の昼には異世界に行くんだが準備を始めなくていいのか?」

「もう持っていくのは決めてあるから後はバッグに詰め込むだけなのん」

「ほぉ……何を持っていくんだ?」

「ぬいぐるみと杖と……」


 腹の上に顔を向けるとフェリスはのそのそと指を折り異世界に持っていく物を確認している。


「朝食も食べないといけないからそろそろ降りてくれるかな?」


 その言葉に素直に従うフェリス。

 俺は小さなアラーム時計から解放されベッドから立ち上がる。


「俺はいつも通り着替えてから下に行くから先に行ってなさい」

「わかったのん」


 フェリスは片手を上げ、すぐに俺の部屋を出ていく。

 ふぅとため息とつきのんびりと着替えをする。

 この部屋とも今日でお別れとなると少し感慨深いものがある。

 着替えを終え俺は食堂へと向かう。




 いつもの様に賑やかな声が聞こえてくる。

 俺はそれを聞きながら自分の朝食を探す。

 爺さんのおかげかカップヌードルがいつもの場所に置かれてあった。

 それを見て俺は安堵し、三種類ある味の中からどれにしようか少し悩む。

 最後かもしれないカップラーメンだからだ。

 やはりここは最初に食べたノーマル味だろう――

 俺はカップヌードルに湯を入れいつもの如く窓を開け庭に出る。

 そして3分待ち、そろそろ食べ頃だろうと蓋を開け食べ始める。

 半分ほど食べ終わる頃、後ろから唐突にフェリスが声を上げる。


「かーちゃん、今日ゆーくんと異世界に旅立つん」


 俺はその言葉を聞き頬に収まっていたラーメンを吐き出す。

 フェリスのやつ何を言ったやがると思いすぐに後ろに振り返る。

 すると爺さんも目を丸くしていた。

 ああ、そういえばフェリスに釘をさしておくのを忘れてたっけ……。

 当然俺は母親の方に目を向ける。

 母親の視線と俺の視線がカチ合う。

 これほど恐ろしい敵がかつていただろうか? と思わせる程、背筋に寒気が走る。

 当然、母親はこちらに敵意を向けて歩いてくる。


「どういうこったい? フェリスが何か変な事を言いだしたんだけど――」


 俺の脳内の危機感知スキルが発動し勢いよく後ずさる。

 しかし母親は武術でもやっているのか? という足捌きで間合いをあっという間に詰めてくる。


「待ってくれ、説明を――」


 言いかけて俺は宙に浮く。

 首には母親の手が伸びていた。

 俺は呼吸ができずカップラーメンを手放し母親の腕を掴むがまるでびくともしない。

 歴戦の兵士よりも腕力が強く本当に魔術師である爺さんの子孫なのかと疑問が湧くが、それよりも今はまずこの手をどうにかしないと本当に意識がなくなる。


「かーちゃん! ゆーくん下ろして!」

「あんたは黙ってな!」

「お、おい――勇者様を下ろすんじゃ」

「あんたはもっと黙ってな!」


 俺は意識を失いかけるが、その途端母親の手が首から離れる。

 苦しみから解放され暫く咳き込む。

 そして呼吸をある程度整えた後、母親に向き直る。


「話を――話を聞いてくれ」

「話してみな」


 一応は聞いてくれるのかと安堵のため息を吐き、今までの経緯を話す。

 怒らせない様に――とても丁寧に……。

 これは俺がこの母親を恐れているからではない。そう――恐れているわけではない。

 一通り話し終えると母親は重いため息を吐く。


「なるほどね。それなら仕方ない――とでも言うと思ったかい! この穀潰しが! 一年間置いてやった礼が娘をわけのわからない世界に連れて行くってのかい!」

「ま、待つのじゃ! フェリスも行きたがっているし、それにあの子は学校で――」

「そんな問題じゃないんだよ! あんたも家族なら普通止めるでしょうが!」

「かーちゃん! 私ゆーくんと行くのん! 学校がない世界で暮らすのん!」

「フェリス! それが狙いかい? この馬鹿娘が!」


 ゴンという音と共にフェリスの頭に母親の拳が叩きつけられる。

 フェリスはきっと泣くだろうと思っていた。

 しかし目の端に涙を浮かべているが泣かない。


「もう決めたん! 別の世界救うん」


 母親の顔が徐々に鬼の形相に変わる。

 しかしフェリスは一歩も引かない。


「勝手にしな!」


 俺と爺さんはほっと胸を撫で下ろす。

 そして母親が俺の前までドスドスと大きな音を立てて歩み寄ってくる。

 正直それ以上こっちに来てほしくない……。


「勇者――もしフェリスに何かあったら……わかってるね?」


 俺は母親の眼力に気圧され頷く事しかできなかった。


「さっさとその別の世界とやらを救って戻ってきな! ああ――勇者は戻ってこなくてもいいか。それと向こうで学校があったらあの子を学校に通わすんだよ!」

「――わかった」

「えー! 学校行きたくないん」

「なら行かしゃしないよ!」

「――わかったのん」


 俺とフェリスは母親の条件を仕方なく飲んだ。

 まぁ学校があればその時はその時に考えるとしよう。

 



 数時間後、俺とフェリスは準備を整え屋敷を出る。

 爺さんとその家族が見送ってくれるが母親は不機嫌なままだ。

 やはり大事な娘が心配なのだろう。

 俺はもう一度フェリスに問い掛ける。


「本当にいいのか? もう家族に会えないかもしれないんだぞ?」

「いいのん。それに魔王を倒せば戻ってこれるのん」


 この小動物め、軽く言ってくれる。

 魔王と呼ばれる存在がそんな簡単に倒せたら俺はこんなに苦労してないんだけどな、と言おうと思ったが「ゆーくん弱いん?」と言われそうなので止めておいた。




 俺とフェリスは約束の時間の十分程前に小さい神様が現れた公園に到着する。

 辺りを見回すが、まーちゃんはまだ来ていないのか見当たらない。

 仕方がないのでベンチに腰を下ろすと、ピョコンとフェリスが俺の太腿に乗ってくる。

 少し休んでいるとまーちゃんがこちらに走ってくるのが見えた。


「おまたせー、ゆーくんなら来ると思ってたよ」

「まぁな」


 まーちゃんは来るや否や俺の隣にドカリと座る。

 よく見ると四百年前に見た完全武装した魔王の姿で、ちゃんと杖も持ってきている。

 俺の太腿に座っていたフェリスは人見知りが激しくすぐさま俺の陰に隠れる。


「で? そのスーツ姿と子供はなんなの? 聖剣は? というか武器も防具も持ってないじゃん」

「こいつはフェリス、俺の仲間――従者だ。そして今の俺の聖剣はこれだ」


 俺は背中に隠してあった三十センチ定規を取り出す。

 予想通りまーちゃんの顔は呆れ果てている――当り前だ。

 もし俺が逆の立場なら同じ顔をしただろう。


「どういう事? 聖剣は? 防具は?」

「売った」

「は? 頭おかしくなったの?」

「それよりセバスは来ないのか?」

「セバスは家族と幸せに暮らしてるから連れて来なかったわ。それで? 武器と防具はどうしたのよ」

「だから売ったと言っただろう」


 話を違う方向に持っていこうとしているのにまーちゃんはそうはさせてくれない。

 武器も防具もない状態で魔王をどうやって倒すのか俺も正直困っている。


「本当にどうするの? 武器も防具もない勇者なんてただの戦士……いや、それ以下じゃない」

「この三十センチ定規でなんとかする」

「ゆーくんが馬鹿なのは知ってるけど、ここまで馬鹿とは思わなかったわ」

「お前――」


 俺が言いかけた時、公園の中央がまぶしく光を放つ。

 小さい神様のご登場だ。


「やぁ、やっぱり来てくれたんだね。信じてたよ」

「おう、来てやったぞ」

「その子供は?」

「俺の従者だ」

「ちょっと聞いてよ、チビ神様! こいつ武器も防具も売ったって言うのよ!」

「ああ――それね」


 小さな神様はまーちゃんの失礼な言動には目もくれず指をパチリと鳴らす。

 すると小さな神様の横に小さな黒い円状の靄のようなものが浮き出る。

 そして小さな神様はその中に手を入れなにやら探す素振りをする。

 数秒たち手を引き抜くとその手には俺がカジノでチップに交換した聖剣が現れた。


「ちゃんと回収しといたよ。もう売ったりしないでね……君に聖剣を与えた神様が怒っていたよ」


 そう言うと小さな神様は聖剣を俺の方へと投げる。

 俺は聖剣を受け取りすぐさま確認する。

 間違いなく昔使っていた聖剣だ。


「防具はないのか?」

「さすがにそこまでは面倒見きれないよ。聖剣は神々の至宝だから回収しただけであって他のは僕達神々にとってはどうでもいいからね」

「仕方ない――か。聖剣だけでも御の字、礼を言うよ」

「それじゃそろそろ向こうの世界へ行ってもらおうか……そうそう、言語とかは問題ないよ。こことほぼ大差ないから。そこは安心してほしい」


 言語が今の世界と大差ないのはありがたい。

 転移して言葉も文字もわからないのは色々と行動するのに支障をきたすからだ。


「待ってました! 早く行きたいわ」

「あとこれは僕からの選別なんだけど――」


 小さな神様が腰にぶら下げていた袋を俺に投げつける。

 俺は片手で受け取りその感触から中身を想像する――この懐かしい感触には覚えがあった。


「金貨か何かか?」

「大当たり、向こうの世界の金貨だよ。当面はそれで何とか凌いでね。向こうの世界に到着した後の事は中にある紙に簡単に書いてあるから従ってほしい。後は勇者なんだからどうしたらいいかわかってるよね?」

「まぁな」

「それじゃ、こっちに来てくれるかな? 転移させるから」


 まーちゃんは待ちきれなかったのかベンチから飛び跳ねるように小さな神様が指示した場所に向かう。

 俺とフェリスも後を追う。

 指示された場所に到着すると俺達の周りに光が舞い上がる。


「がんばってね――期待してるよ」


 小さな神様が言った途端、視界が真っ白になる。

 地面がグラリと揺れてまるで体が地面に沈むような感覚に襲われる。

 魔法による転移は数回経験した事があるが世界を跨ぐ転移は全く別の感覚だ――

 俺はきっとこれから苦労するんだろうと思いながら流れに身を任せる。

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