変化の兆し
ジジ、という、微かな電子音。
《――僕は大丈夫だからね、楓花》
聞き逃してしまいそうな、静かな囁き。
空耳じゃないと気づき、楓花は勢いよく上体を起こした。
「……ソウスケ?」
いや、しゃべるはずがない。まだデータ移行中なのだから。
でも、さっきの声は――。
そのとき、暗くなっていた小型の電子端末がぱっと明るくなった。時刻は五時半。データ移行完了率は十一パーセント。
《すまぬ。起こしてしまったな》
紛れもないソウスケの声を耳にした瞬間、都合の良い夢でも見てるのかと思い、楓花は自分の腕を強くつねった。
「あ痛っ!」
《どうした楓花!?》
「な、何でもない何でもない……それよりソウスケ!まだデータ移行終わってないのに、どうして?どうやってしゃべってるの?」
《……気になる?》
「気になるよそりゃ!」
《よーしでは説明しよう。と言っても、そう難しい処理をしたわけじゃないよ。じつは移行するデータの優先順を変えただけ。昔は時系列順、つまり古い記憶から順番に移動させてたんだ。記録にも流れがあるから、そのやり方が一番安全で不具合が起きにくいんだが、それだと身動きとれない上、思考の形成がどうしてもスローになってしまってのう》
やれやれ、と言わんばかりのソウスケの声。
《そこで。今回は楓花と早く会話できるようにする、を最優先事項にしてデータ移行を試みたのだ。最低限の思考機能、言語形成領域、そなたとの過去の記録を先に移行して、こうして会話できる状況を整えたというわけだ。コアの蓄積情報の中から必要分をランダムに拾いあげるから、後で情報整理に追われるし、プログラム配列に不具合が出る危険性もあるのだが……それでも、十三日間も楓花と話せないほうがリスキーかなって……お、いまようやく、そなたの姿が少し見える》
楓花からは見えない。
しかし、ソウスケが微笑んでいる姿は鮮やかに脳裏に浮かぶ。
AL4の人工知能は日々試行錯誤を繰り返して成長するが、この〈動き〉は一体どうしたことだろう。リスク回避を優先させていたパートナーAIが、以前とは違った〈出力〉を実行している。
きっかけは何だったのだろう。
「し、質問しても良いですか、ソウスケさん」
《そんな改まって?いいよ、なんでも聞いてくれ、楓花》
「どうして、その、私と話せないほうがリスキーだって思ったのかな……ええとほら、昔のソウスケだったらそんなことしなかったでしょ。もっと安全重視だった。一体何がどうして、そういう思考に?」
《うーん。そうだのう……昔は、何がなんでも壊れるわけにはいかなかった。母さんと、父さんの代わりに、わしが楓花を守るのだと……まあそこはいまでも全く変わっておらんのだが、最近はとくに、少し壊れてでもそなたと一緒にいる時間を大事にしたいと、そう考えるようになって……きっかけは何だったのかなあ。そのデータ、まだ移行されてきてないかも》
「そ、そっか……あの、でも、嬉しいよ。そんな風に思ってくれるのは。本当に」
妙な期待が膨らむが、それを自覚するのもさせるのも、なんだか落ち着かない。
いや、それより――何を期待しているのだろう。
一体ソウスケに何を言わそうとしているのか。
どんな言葉を、言ってもらいたいと思っているのか。
《……楓花?どうした、急にだまりこんで》
「……今から三つの言葉を口にします。しっくり来た言葉を教えてください」
《え?なになに。クイズか?突然クイズ?》
「庇護欲、家族、恋慕」
《え、ええと……最後のがよく聞こえなかったのだが……連邦?》
「うっ、よりにもよって……れ、れんぼ。恋慕うと書いて、れんぼ……」
《ああ、恋慕か。ふーむ……庇護欲、家族、恋慕……“家族”かな》
家族。
「……ソウスケと私は、家族」
《そうだよ、楓花。少なくともわしはそう考えている。わしは楯井ソウスケだから。家族であれば、ずっとそばにいられるのであろう?」
「そ、そうだね」
楓花はなんとか答えた。そうだ、家族。支え合い、孤独を癒す、個の集合体。
それで良かった。それが良かったのだ。独りじゃなければ。ソウスケがいてくれれば。
それで良かったはず――なのに。
「……家族、だけじゃないんだよ。他にも、ずっと一緒にいられる方法があって……」
言ってしまってから、愕然とした。パートナーAIは無邪気に問いかけた。
《そうなのか?教えてくれればいいのに。で、どんな方法なのだ?》
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