異世界行けない委員会

更伊俊介/ファミ通文庫

序章 この異世界の片隅に


「――どうか、私の世界を救って下さい」


 いつだって物語は、そんなセリフから始まる。


「……え?」


 少年は、目の前で起こっていることが信じられなかった。

 夕飯を食べた後から机に向かい、ようやく今日の宿題を終え、

 さあ寝ようと、大きく伸びをした時、とんでもないことが起こったのだ。


「えええ?」


 勉強机とベッドと本棚があるだけの、何でもない普通の部屋。

 昨日も今日も、そして明日も、きっとそのままだろう、良く見慣れた自分の部屋。

 

 しかし今は、そんな部屋の印象が、まるで変わって見えていた。

 部屋の中央に現れた、光のせいだ。

 

 何の変哲もないカーペットに走った燐光は、何かの文様のような形を取っていた。

 魔法陣と、そう呼ばれるものだ。

 そんな光の魔法陣の中から、ホログラムのような不確かさで、知らない誰かが出現している。


 女性だ。

 それも、一目で普通じゃないと、そう分かるような。


 ゲームの中からでも抜け出して来たかのような、そんな非日常的な服装。

 まず街中では見ないような非日常的な容貌。


 緑色の髪の毛に、金色の瞳を持つその女性は、柔らかく微笑んで。

 焦がれるような声色で、少年に告げる。


「どうか、私の世界を救ってください」


 そんな、ありふれた言葉を。

 物語の始まりを知らせるための、魅惑的で、ありがちな言葉を――。


   ◆    ◆    ◆         


 いつの頃からか。

 この国では、人々が異世界に召喚されてしまうという事案が多発していた。


 始まりは、若者の大量行方不明事件という扱いだった。

 ある日突然、若者が不可解な状況で姿を消すという事件が発生したのだ。


 証拠も残さず、密室状態であっても関係なしに人間が消える、というおかしな事件に、誰も答えを出すことが出来ず、有効な対策を取ることもなかった。

 

 それは、現在の常識とは、まるでかけ離れたものだったから。

 現代の技術では、どうやっても不可能な事態だったから。


 しかし、状況が変わった。

 突然、行方不明になっていた筈の若者が現れたのだ。

 その若者が、自分の身に起こったことを説明した時から、全てが変わった。


 異世界。


 現世界とは違う位相に存在する、別の世界。

 次元の壁を越えたその先に確かにあるという、異なる常識を持つ世界。


 行方不明になっていた若者たちはそんな世界に呼ばれ、その異世界を救う為に冒険を繰り広げ、様々な経験を経て、戻って来たのだという。


 最初の頃こそ、都市伝説やネットの噂程度の扱いをされていた異世界からの誘いも、しかし母数が増えるに従って、それなりに真実味のある話へと変わっていった。

 

 もちろん作り話の類も大量にあるものの、その中に本物の話がたまに紛れ込む程度には、多くの人間が実際に異世界へと召喚されていた。

 

 誰もがそれを真実だと思っている訳ではない。

 それでも、自分の知らない誰かがそんなことをやっているのだろうな、というくらいの認識が、確かに拡がっている。


 それが、現状のこの日本における、異世界というものについての認識なのだ。


 そうして、異世界召喚というものは、それなりに広く知られるようになった。

 だからこそ、少年も、自分の身に起こっていることをすぐに理解した。


 クラスメイトの話を笑い飛ばしながら、しかし心のどこかでは少しだけ期待をしていたような、そんな不可思議な事態が今、目の前で起こっているのだ。


 少年の胸に、期待が満ちる。

 ここではない、別の世界へと行くことが出来る。


 今の日常に不満などなくても、それは魅力的な提案だった。

 日常を抜け出し、全く別の世界へと向かう。

 きっとそこでは、自分が経験したことのない冒険が待っていることだろう。


 明日提出の宿題の事も、一か月後の運動会の事も、全てが頭から抜け落ちていた。

 今はただ、自分が直面している運命に乗り込むことしか考えられない。


 少年を導く、女性の手。

 この世のものとは思えない雰囲気を纏った、異世界からの使者。

 蠱惑的にも感じるその声に、言われるがまま。


「どうか、この手を取って……」


 自分に向けて伸ばされた手を、少年はふわふわとした心地のまま掴もうとして。

 しかし、それは叶わなかった。


「はいダメぇぇぇぇ!!!!!」


 いきなり。

 ドアを押し開ける音と共に部屋の中に乱入して来た何者かが、女性に思い切りドロップキックをかましたからだった。


「げふぅぅぅ!!!!」


 もんどりうって吹き飛ばされる女性。

 その際に頭を、部屋の隅の学習机に打ちつけたらしく、

 「ぬおおおおお!!!」というような苦悶の声を上げてのたうちまわる。


 神秘的な雰囲気など欠片も残っておらず、ただ頭をぶつけた女性がそこにいた。

 足をぴんと伸ばした変なポーズを取って呻いている。

 

 そちらに目を奪われていた、その間に。


「よお……」

 

 目の前に、知らない男が立っていた。

 先程、女性に思い切りドロップキックをかました男である。


 さっぱり事態が飲み込めないものの、他人にドロップキックをするような人間がまともなはずがない。

 だから少年は、本能的に警戒して。


「ああ、心配すんなって」


 しかし、そんな警戒よりも早く。

 男が、スマホらしき機器を目の前に翳していた。


 画面に映っているのは、良く分からないキャラクターがダンスをしている姿。

 書かれているのは、見慣れない文字列。

 文字は読めなかったけれど、その意味は不思議なことに、ハッキリと分かった。


 『――全部忘れろ』

 

 そう書いてある、言葉の通りに。

 少年の頭ががくんと下がり、その場にへたり込む。


 少年には与り知らぬことだが。画面を見た瞬間、少年のここ数時間に渡る記憶は書き換えられていた。

 異世界の女性の事も、魔法陣のことも、ドロップキックのことも、

 何もかもが、何でもない当たり前の日常の記憶へと変わっていた。


 ただ、記憶が変わる、その刹那に。

 少年は、確かに聞いていた。


 目の前の男が呟いた、ため息交じりの言葉。

 心底疲れ果てたというような、あるいは怒っているかのような、

 そんな複雑な感情を秘めた言葉。


「俺より先に、異世界に行かせる訳には行かないんだよ」


 言葉の意味を考える前に、少年の意識は完全に消失した。

 次に目を覚ました時には、たった今体験したことは全て忘れていて、ごく普通の日常が待っているだろう。


 おかしな誰かに遭うこともなく。

 妙な事件にぶつかることもない。

 ましてや、異世界に呼ばれることなんてことは絶対にありえない。


 そんな普通の日常へと少年は、戻って行く。

 他でもない、この世界で生きて行く。


 それは、ありふれた言葉から始まる、ありふれた展開で。

 異世界に召喚され、冒険を繰り返し、世界を救う者達に関わる物語で。


 けれど。


 そんな王道とは、全く違う物語。

 王道でも正道でも覇道でもなく、ただ裏道を行くだけの。

 決して異世界に行くことはないままで、終わる物語。


 ただ、それでも。


「俺は必ず、異世界に行くんだからな!!」


 運命がその行く手を阻もうとも。

 あらゆる可能性が、異世界に繋がっていなくても。


 それでも、と声を上げ。

 それでも、と闘志を奮い立たせて。


 決して叶わない願いの為に、全身全霊で駆け抜けようとする覚悟があった。

 この世界から旅立とうとする、無謀にも似た抗いの決意が。


 つまり、これは。

 

 異世界に行くことを、何もかもから否定されたとしても。

 異世界に行くことを決して諦めない、そんな物語である。


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