第881話 列島の鬼

植物の国の次に訪れたのは妖鬼の国と温泉の国だ。列島である二つの国は元々交流が深く、洗脳すれば簡単に一つの地域として扱うことを了承してくれた。


『大樹は海中に生やして、島と島を繋ぐように根を伸ばして……よし、出来た。どう? 酒呑』


大樹の管理人、この列島の魔王は酒呑に決めた。オロチでもよかったのだが、彼は信仰されるのは良いが統治なんて面倒だと断り、大樹を寝床にしてしまった。


『ええんちゃう?』


『酒呑はどこに住むの?』


彼は今郊外の屋敷に住んでいるが、大樹に攻撃を加えるような輩が居た時のために傍に住んで欲しいと以前から伝えていた。


『この木の傍に住んどかなあかんねやろ? 満ち潮でも大丈夫そうな枝に家建てるわ』


『潮風キツそうだね……気を付けて』


島と島を繋ぐため、ここの大樹は他の大陸に生やしたものよりもずっと大きい。枝に家を建てても十分な豪邸になるだろう。


『いや、隠れ屋敷で他んとこと空間繋げるから、家自体はここのままや。こんなたっかいとこまで建材運ばれへんし俺大工とちゃうし』


この郊外の家の空間を大樹の枝と重ねる……? よく分からないが、とりあえず頷いた。


『街近ないと酒買われへんし、茨木も嫌がるやろ』


『そういえば茨木は?』


『久しぶりにこっち帰って来たから着物買うー言うてどっか行きよったで』


そんな話をしていると玄関から引き戸の開閉音が聞こえてきた。この部屋に向かう重たい足音に茨木だと察し、襖が開くのを待つ。


『茨木、お邪魔してる……よ』


襖を開けたのは赤い振袖を着た美しい女だった。露出がほとんどないにも関わらず色気があり、結われた黒髪がほどけるところを見たいという欲望が膨らんだ。


『あら……魔神王はん、来てはったん。堪忍なぁ何のお構いもせんで、酒呑様気遣い言うもんがあれへんから』


『い、いやっ……僕が急に来たのが悪いんだし、気にしないで。にしても……き、綺麗だね。買ってきたの? すごく似合ってるよ』


茨木に無視されたことと僕が彼女を褒めたことでアルが不機嫌そうに唸った。


『ほんま? 嬉しいわぁ……ふふ、でも奥さんの前で他の女褒めたあきまへん』


『どこに女居るん』


『嫌やわぁ酒呑様、うちに決まってますやろ?』


アルの頭を撫でると顔を背けられてしまった。困っていると茨木が風呂敷を広げ、買ってきたのだろう簪などを僕に見せた。


『頭領はんも長い髪してはんねんから一本くらい持っといたら?』


『い、いや……いいよ』


『遠慮せんと。ほら、これとか似合いそう……』


茨木はザクロを模した飾りの簪を持って僕の後ろに回り、僕の髪をまとめ始めた。髪に触れられるのは気持ちがいいし、それも綺麗な女性なら尚更だ、遠慮しつつも僕は喜んでしまっていた。


『ほんま長いわぁ……キッツいてこれ……よっ、硬っ……』


『あ、あの、茨木? 髪の毛ギチギチ鳴ってない?』


『すんまへんなぁ、ここ刺したらしまいや』


簪は確か髪にさす飾りだったと思うのだが、何故かゴリッという音が響き、生臭さが鼻に届き、頭皮から首に生温かい液体が流れる感覚があった。


『五感のうち三つが怪我を教えてきてるんだけど』


『……角度間違えたみたいやねぇ。堪忍なぁ魔神王はん。でも頭蓋骨に刺さってるから絶対抜けへんし崩れもせぇへんやろ』


『直ぐに抜け馬鹿者! 私のヘルに何をしてくれるんだ!』


『そない怒らんでもええやん。半分くらいは事故やねんから』


半分くらい……? もう半分は何だ。故意に刺したのか? まぁ、治るから別にいいけど。髪と服が血で汚れるのは嫌だな。


『ほんで頭領、色々まとまったら天界? 行くんやんな』


『雲の上のお人やねぇ』


『あー、うん、でもたまに遊びに行くから』


戦争のゴタゴタで近頃はアルと過ごせていなかった。後処理に手を焼かれてアルと過ごせていなかった。娘が死んだ一番大切な時期にアルを一人にしていた。だからしばらくは二人で過ごしたい。

そんな説明はせずに微笑むと酒呑が手招きをしたので、机の横を回って彼の元へ行った。


『ここ座り』


『え、でも』


『ええから』


『わっ……な、何? 何がしたいの?』


胡座をかいていた酒呑は僕の腕を引き、僕を膝に座らせた。アルが机に顎を乗せて不機嫌そうに唸っている。


『…………頭領』


『何?』


『……一時な、頭領が頭領やない感じしとったんや。それがほんま気持ち悪くてなぁ……今も完全にその違和感が消えたわけやないんやけど、マシにはなっとるわ』


アルも似たようなことを言っていた。僕が天使を喰ってその魂の影響を受けているのを感じ取った者と感じ取らなかった者の違いは何だろう。


『寂しなるなぁ、あの家でよーさん暮らしとったんに急に茨木と二人に戻ったわ。ほすとも辞めてもうたし……毎日暇やなぁ』


酒呑が髪を撫でながら簪を刺されて流れた血の匂いを嗅いでいるのに気が付き、首を傾ける。


『お腹空いてるなら食べていいよ』


しばらく待ったが一向に口を開けない。話もしないのを不審がって見上げれば金色の瞳は不愉快そうに僕を見つめていた。


『……酒呑、これ嫌いだよね。僕美味しいのに』


『嫌に決まっとるやろ、誰が頭領喰うねん』


僕の仲間には僕が主食の者も多かった。セネカやヴェーンだけではない、兄なんて僕が寝ている間にこっそりと腕を齧っていることもあった。


『頭領はん、鬼はなぁ、嫉妬深いんよ。頭領はんみたいな美味いもん喰わしたら頭領はん全部喰うまで止まられへん』


『……僕いくらでも再生するから別に』


『ちゃうねん。腹にしまいたいんよ。なぁ? 酒呑様』


『せやな。頭領、俺は頭領のこと息子みたいに思とる。腹に戻したりたいわ』


『僕も酒呑のことお父さんみたいって思うことあるけどさぁ……それじゃお母さんじゃん』


彼の欲望はよく分からないが、金の瞳が爛々と輝き始めたので彼の膝から降りた。僕は喰われても構わないが、彼は喰いたくないのだから喰われるべきではない。


『分かるぞ、鬼。私もヘルを腹に納めたくなる時がある』


『えぇ……』


ただの食欲ではないのか? 元々人間だからよく分からないのだろうか。


『よく分かんないよ……もう僕帰るね。オロチに挨拶して帰る。アル、行こ』


『あら……怖がられてしまったんとちゃいます? 酒呑様』


カヤを呼んでオロチの元まで運んでもらおうとしたが、カヤは首を横に振った。疲れさせてしまっただろうか、オロチの住処までは近いし歩いていこうか。再び二人に挨拶をして玄関に向かい、引き戸を引いたが開かない。


『ヘル? 何をしている』


『あ、開かない……建付け悪いのかな』


『貸せ。全く……ん? 開かないな』


アルと引き戸をガタガタ鳴らしていると廊下を軋ませて酒呑が背後に迫った。


『わっ……びっくりした。酒呑、開かないんだけど』


『閉めとるからな。ここは俺の結界や、俺が許可せんと出られん』


『……出してよ』


『嫌や、言うたら?』


僕は引き戸に手を添え、深く息を吸った。


『 開 け 』


再び引くと簡単に開き、のどかな風景が僕達を迎えた。


『こうやって開けるだけだよ』


『……流石。ほなな、頭領。またええ酒入ったら言うから来てぇな』


『うん、ばいばい』


外に出て引き戸を閉めると屋敷は跡形もなく消え去った。僕にさえ力を込めなければ見えないだなんて、相当高等な術だ。


『酒呑何したかったのかな。帰って欲しくなかったとかなら悪いことしたかも、言ってくれればいいのに』


『……いや、帰って欲しかったのだろう』


『そうなの? 分かんない人だなぁ……あ、鬼か』


『今まで保護してきた気になっていた貴方が自分よりも強くなり、顔を合わせなくとも共に暮らしていた貴方が遠くに行く。それで熊のような鬼らしい独占欲が顔を出し、自らそれを否定して貴方が出て行くよう仕掛けた。と言ったところだ、あくまでも私の考えだがな。しばらくは酒盛りに誘われないだろう』


どちらにしてもよく分からない。そんなに僕が欲しいなら捕まえて引き裂いて喰えば良かったのに。擬似的だが手に入ったとは認識出来るだろうし、僕には何の損傷も残らないのだから、円満解決だったのに。

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