第864話 炎と炎と炎と

サタンとルシフェルが行っただろう方へ歩くうち、兄は冷静さを取り戻してきた。


『ごめん、おとーと……取り乱して。おとーと、君は僕のおとーとだね?』


アルミサエルの力を使うのをやめて兄の顔をじっと見上げる。弟……僕は彼が産まれたのと同じ男女の間に六年後に産まれた、確かに彼は僕の兄だ。


『うん、にいさま、にいさまはにいさまだよ』


頭の上に手が伸びる。何をする気だろうと思っていると頭を撫でられた。なるほど、頭の上に手が来たら頭を傾けたりして撫でられる準備を整えた方がいいらしい。


『……あのさ、さっきの……忘れて欲しいんだけど』


『何? トールさんのことお母さんだと思ってたこと?』


『…………記憶消していい?』


僕の頭を撫でている兄の手に魔法陣が浮かんだのでその手を掴んで頭からどかした。


『ダメ、別に誰にも言わないから気にしないで。にしても……僕が見えてたのアルだからさ、母親と恋人混同しているのかって感じでさ、僕はもちろん気持ち悪いけど、にいさまもかなり気持ち悪いよね』


拗ねたように顔を背ける兄を見ていると何だか楽しくなって、もっと言ってやりたくなる。


『まぁほら、アルは母性系じゃん。僕のこと守ってくれてたし、可愛がってくれてたし、色々と……お母さんってこんな感じなんだろーなーって思えてたから、アルミサエルがアルになっても納得じゃん……トールさん、そういう人じゃないでしよ?』


『…………トールは、こっちから話さないとずーっと黙ったままだったし、表情変わらなかったし、力加減できなかったし感電させてきたし、薄らでかいから場所取ったし……でも、どれだけ鬱陶しがっても気にかけてくれてたから……お父さんかお母さんって本当はこんな感じかなーって』


兄がこんなことを考えていたなんて知らなかった、別に知りたくもなかった。けれど無視するほど兄のことを恨んでいる訳でもないので、繋いだ手に込める力を強めた。


『……にいさまも、僕も、代わりのお母さん見つかってよかったね』


『死んじゃったけどね』


『親離れしなきゃ。僕もアルに甘えるのはやめて、夫らしくアルを守るから』


『……僕は何になって何をすればいいの?』


『にいさまは僕の兄のまま弟のお願い聞いてればいいよ』


二人でそのまましばらく歩くと突然地面が揺れた。白い世界にチカチカと黒い光が瞬いた。常に快適で温度を感じさせなかった白一色の世界の気温が僅かに上がった。


『始まってる……! にいさま、走るよ!』


『空間転移は?』


無意識に空間も時間もなさそうな天界では使えないと思い込んでしまっていた。


『使えるならお願い!』


そう叫ぶと目の前に魔法陣が現れ、それに飛び込むと目の前に真っ赤な炎が現れた。


『お、ミカエル様! 魔物使いが来たぜ、二対二が二対四だ、数に物言わせりゃ勝てるって思ってんだろうな!』


飛び退いて観察すればウリエルが放った炎の一つだと分かった。人界に降りて酒色の国を襲ったあの時と同じ見た目をしている。


『ミカエル……私を覚えているかな?』


ウリエルの隣の小さな子供、性別も定まっていないようなその子の赤い瞳はルシフェルと同じ、緩やかなウェーブがかかった柔らかそうな金髪もルシフェルと同じだ。


『ルシフェル……! ぼくの、兄!』


『ミカエル様、冷静に』


『分かってる! ルシフェルにサタン、魔物使い……と、なんか。みんな、きょうてき。ウリエル、ぼくに、いきあわせて!』


『もちろん! ミカエル様!』


ミカエルとウリエルの属性は共に火。水に驟雨、先程手に入れたばかりの雨や川あたりも有効打だ。


『ねぇ神様、サタン。ミカエルは私にやらせてくれないかな、弟なんだよ』


『いや、ミカエルは余が燃やす』


『喧嘩せず二人でやって。ウリエルは僕とにいさまでやるから』


負ける気がしない。僕はほぼ全ての天使の魂を取り込んだのだ、あらゆる属性を支配下に置くどころかあらゆる属性を持っているのだ。負ける訳がない。


『供給はほぼ無限……火属性の俺達が負ける訳がない!』


ポニーテールにした赤い長髪を揺らし、短くなった煙草を捨てる。両手の人差し指を交差させて十字を作る。


『#乱立する神の炎__CAGE CROSS__#!』


赤々と輝く炎が十字を形取り、僕達とウリエル達を囲む。半球を作り出した無数の炎の十字は半球内の気温を上げる。


『そのままたのむよ、ウリエル』


『はァいミカエル様ァ! 後でよしよししてェー!』


ウリエルの炎は魔法による結界も燃やしてしまう。時間稼ぎにはなるが、無限の供給がありミカエルも居る今はほぼ無駄と言っていい。


『にいさま、影に入って。僕の指示通りに魔法使って』


炎で囲まれて影はほとんど消えてしまっているが、服と肌の隙間や口腔の影は消えることはない。レリエルの力で兄を服の影に押し込み、ガブリエルの力で水の剣を作り出した。


『まずは……サタン!』


身の丈を越す大剣を振るってミカエルがサタンの元へ突っ込む。


『ミカエル……神に似たる天使よ……貴様ほど憎い天使は居ない!』


大剣が迫る中サタンの身は黒い焔に包まれ、膨らみ、巨大な竜となった。ウリエルが作り出した檻を破壊して翼を広げて尾を伸ばし、天井を破壊して首を持ち上げ咆哮を上げた。


『クソがァっ! それはナシだろ!』


『ウリエル、れいせいに!』


炎の十字の檻は形を崩し、火の海として床に広がっていた。焼かれてはたまらないので透過を使い、ウリエルに向けて水の剣を投げる。


『んなもん効くかァっ!』


ウリエルに肉薄することもなく水の剣は蒸発する。しかし水蒸気も操れる、このままウリエルの体内に──あれ?


『え……? す、水蒸気がない……』


『ヴァーカ、その水は水である前に魔力だろうがよォっ!』


『うわっ、と、透過っ……! してた……びっくりした……』


僕と同じように火の塊を投げてきた。透過していなかったら一瞬で灰になっていただろう。


『にいさま、アドバイスお願い』


襟の影から細い触手を引っ張り出し、耳に詰める。そうすると兄の声が直接脳に響く、兄が僕の思考を読んで助言をくれる。


『えっとね……水は水蒸気に変わるのは知ってるよね? でもそれは物質としての水の話で──』


『クソっ、透けんな! 当たれっ、クソがァっ!』


『──君が出した水は魔力を実体化させたもので本物の水じゃないから──』


『ミカエル様ァァっ! どーすんのこれェっ! 何すりゃ当たんの!?』


『──神力による炎で燃やされると魔力として焼却される……だと思うな』


兄の説明を棒立ちで聞き、ぶんぶんと腕を振るウリエルを眺める。しかし今の説明だとゼルクのアドバイスは全く役に立たないことになる。ガブリエルにラミエルの力は効果的ではなかったし、ガブリエルの力はウリエルに効果的ではないし……あの脳筋め。


『じゃあにいさま、何が聞くと思う? 透過したまま戦いたいから素手はなしね』


『せめて俺気にしろやァっ!』


『そうだねぇ……じゃあ──』


兄の助言を聞き、目をぎゅっと閉じて虹色から漆黒へ変え、ウリエルを睨む。しかしウリエルは僕の眼球が真っ黒になったのを見ると炎の壁を作り出して僕の視界を塞いだ。

先程手に入れたばかりの風の属性を使って炎の壁を炎の竜巻へと変える。


『それは火災旋風って言ってね』


『その説明は今いい、次は!』


『水や武器を実体化させて攻撃するのはダメだ、燃やされてしまう。だから高エネルギーをそのまま叩きつけるのがいい』


『つまり?』


『荷電粒子砲』


『便利だね……』


『本当。本物なら放射能をばら撒くし調整上手くやらないと砲身から爆発するから使いにくいけど、魔力なら除去は楽だし地球の丸みを計算する手間もない。ま、ここ天界だから元々ないけど』


球とする重金属を探していると兄が触手を枝分かれさせてちぎり、小さな石に変え、僕の手の中に落とした。


『狙う必要はない、辺り一帯吹き飛ばそう』


『言われなくても!』


翼に魔力を溜め、更にそれを手の中の金属へ移す。


『加速の計算式教えておくね』


『へ? ちょっ……え何これ何この記号』


『……感覚で出来てるならいいか』


一瞬記号の羅列が脳に流れ込んだが、問題ない。もう十分魔力は溜まった。


『ウリエル! たいひ!』


『え、ちょっ、待って神様……!』


兄は狙う必要はないと言ったが、一応ウリエルを狙って発射した。瞬間、閃光が巻き起こって視界が白く染まった。

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