第822話 罪より顕れたモノ

パフェを食べ終え、三人に軽い別れの挨拶をしてサタンと共に港に向かう。マンモンやベルゼブブは来ないのだろうか、サタンと二人になるのは避けたいのだが。


『あの、サタン、何してるの……?』


彼はレストランを出て数歩歩いてからずっと僕の結髪を触っている。崩さないよう慎重に触れているから大した注意ができない。


『……最も似ているのはこの髪と瞳だからな』


原初の魔物使いの話か? 重ねるのはやめて欲しいな、僕は彼女とは全く違う。


『……………………燃やしたいな』


『や、やめてよ?』


『欲望の抑え方くらい知っている』


欲望に忠実な悪魔にそんなことを言われても信用できない。サタンは他の悪魔よりは理性的だが、その分爆発した時が酷いのだ。


『……で、港に着いたが。何をすれば?』


『ちょっと待ってて、シェリー! シェリー、おいでー!』


港の隅から海へと叫ぶ。すぐにシェリーが水面から顔を出し、僕にその大きな頭を擦り付けた。何度も往復させて悪いが──と分からないだろう謝罪もしつつ、もう一度竜の里へ行くように頼む。先程と同じように石が並べられ、その内側の空間が液状に歪む。


『よっ……と、さて、シェリー、竜を探して』


『魔物使い、魔力を寄越せ』


『ぁ、うん、ちょっと待って……ぇ、待っ、痛っ……』


首筋に噛み付かれ、慌てて痛覚を消す。ビリビリと音を立ててスーツが破れ、竜らしい黒い翼が生え、刺々しい尾が生え、瞳と同じ黄金の角が伸びた。


『…………悪いな』


口周りを濡らした僕の血を長い舌で舐め取りながらバツが悪そうな顔をする。


『余は魔力を生成できる唯一の悪魔だが……感情の起伏に左右される。本来なら貴様の世話になる必要などないのに…………すまない』


『い、いや……別にいいけど』


『……それだけ喰われてよくそんなことが言えるな』


彼に齧られた首筋は半円に抉れて、手を添えると首の骨の形が分かった。しかし今はもう再生が進んで血管からぴゅるぴゅると血が溢れているだけだ、服が汚れるのは嫌だけれど、仕方ない。


『きゅーぃっ! きゅうぃ? きゅうきゅう! きゅうー……』


竜の群れを見つけたらしく報告にきたシェリーは僕の出血に気付いたのか鼻先をいつも以上に寄せてくる。


『……きゅいっ!』


水掻きのある手で僕を持ち上げ、守るように握り、サタンを睨みつける。


『シェリー……僕は大丈夫だから、ね?』


『きゅぅううっ……』


『ごめんね、心配させて。竜達のところに案内してくれる?』


尾を揺らし、翼を広げ、後ろ足で空気を蹴る。水中のように進んでいくシェリーの腕にサタンが腰を下ろす。自前の翼で飛んで追いついたようだ。


『魔物使い、知っているかもしれんが竜は余の魔力によって産まれた種だ。魔界から溢れた魔力が余の姿に似て、人界に生き物として固定された。他の魔獣が魔界からの魔力を吸った獣であるのに対し、竜は純種と言えるだろう』


話の端々に強大さを感じる。あの広い魔界を満ちさせる魔力を放出しておきながら、人界にまで溢れさせているなんて──彼だけは従えられる気がしない。


『そして、そんな竜共は余の化身や子孫と言える訳だ。つまり、そんな竜を可愛がる貴様は余を可愛がっているのと同じという訳だ』


『……何が言いたいの?』


『余の子孫ばかりが可愛がられ、余自身は警戒される……それはとても悲しい』


妖鬼の国で会った時と同じか。悲しいだとか傷付くだとか、嘘っぽいけれど否定し難い理由を並べて僕の心を開こうとしてきている。悪魔の王として僕を手中に納めておきたいのかもしれないが、あまり接近されては警戒心は無意識に強まるものだ。


『……別に警戒してる訳じゃないんだ、ただ、ほら、雰囲気がすごいからさ』


適当な理由を並べて誤魔化し、黄金の角をそっと撫でる──尻尾が揺れているのは苛立っているからではないよな? 機嫌を良くしているんだよな?


『きゅういっ!』


シェリーが止まり、僕を持った腕を必死に伸ばして僕を地面に置こうとする。鱗を撫でつつ滑り降りると目の前に竜達が並んでいた、誰も彼も鎌首を持ち上げた警戒態勢だ。


『ふむ…………確かに、マンモンの報告通りだ。知能が下がっているな。だが──』


サタンの姿が黒い炎に包まれ、巨大化していく。


『──従わせるだけ、なら……ラク、なも……の』


声が野太く人から離れていく。黒い炎が消えて見えた姿はシェリーよりも大きな黒竜……あんな高いところに頭があっては僕の声は届かない。


『わ……すごい……』


警戒態勢を取っていた竜達が残らず平伏の姿勢を取ったのに思わず感嘆すると、微かに見える黒竜の頭部、口の端が僅かに歪んだ。


『……サタン? 聞こえてる? 聞こえてるなら、えっと……竜達には僕に下ってもらいたいことと、この空間を一時的に避難先にしたいって言ってくれないかな』


黒竜が低く唸る。竜達がきゅいきゅいと高く鳴く。そんな光景が数分続き、黒竜は黒炎に包まれて人の姿に戻った。スーツにはほつれ一つない。


『快諾だ』


『本当に……? なんか結構話してたけど……まぁ、信用するよ。快諾なんだね、なら避難所作らないと』


最低限の衣食住を整えなければ避難所とは呼べない。ひとまず竜の寝床から離れた草原に移り、目印として木を生やす。


『…………よし、後は兄さんに任せて完了かな』


衣食住はライアーに放り投げ……いや、任せよう。僕の役目はこれで終わり──っと危ない、一番大切なことを忘れていた。獣人達に渡した転移陣の片割れ、兄からもらったメモ帳の切れ端を木に張りつけて、今度こそ僕の役目は終わりだ。


『ふぅ……案外すぐに終わったね、ありがとうサタン。シェリー、帰ろ』


頭に生えた篦鹿の角を落とし、木の根元に並べる。水掻きのある巨大な手に掴まれて竜の里から離れる。

液体に満たされているような不思議な空間を越え、港に作った石の円の中に出る。シェリーは僕を円の外側に置くとすぐに海に飛び込んだ。


『……用事は終わりだな?』


『ぁ、うん……ありがとう』


僕の礼を聞いたかどうかも分からないうちにサタンは己を黒い炎に変えて消えた。緊張からの解放、そして簡素な別れの寂しさを覚えながら、円形に並べた石を片付ける。


「……魔物使い、その竜か?」


石を海に戻していると背後から声がかかった。


『セレナ、何?』


振り返らずに水面から頭だけを出しているシェリーの額を撫でる。


「…………その竜がアタシが殺した竜の子供なのか?」


『そうだよ、だったら何』


「……謝らせてくれ」


存外早く来たな。セレナの行動力には目を見張るものがある。


『いいよ、ほら』


どうせシェリーには言葉は分からないし、卵だったのなら母の存在も知らない。シェリーにとっては毒にも薬にもならない。僕が反対する理由はない。


「名前はあるのか?」


『シェリー』


「分かった。シェリー、あのな、お前の母さん殺したのアタシなんだ。思えば酷いやり方だった」


自分の名前は覚えているのか、シェリーは僕の方を向きながらも意識はセレナに向けている。


「……仕方なかったんだ。漁村が滅ぶか、お前の母さんが死ぬかしかなかった。だから許せなんて言うつもりはないけど、心のどっかには置いておいて欲しい。長くなったけど……悪かった! ごめんなさい! 言いたいのはこれだけなんだ、えっと……じゃあ、な? シェリー……」


真実を知らされたシェリーが激昴するとでも思っていたのか、セレナはしばらく身構えていた。しかしシェリーは話の終わりを認識すると僕に額を擦り寄せ始め、セレナを意識の外に追い出した。


「…………許してくれたのか? 魔物使い、どうなんだ?」


『……許してくれたんだと思うよ。でも、だからって忘れないでね』


「忘れるもんか。じゃあ……シェリー、魔物使い、ありがとうな、またな!」


セレナはスッキリとした顔で港を後にした。殺した者の子に謝って、爽やかな気分になれたのならよかった。いつまでも引きずっていては切れ味が鈍る、セレナの戦闘力が下がるのは僕としては避けたい。


『きゅーぅいー?』


『あぁ……僕の友達だよ。別に頻繁に来たりはしないと思うから、気にしなくていいよ』


『きゅう!』


シェリーに真実を伝える方法はあるけれど、僕は必要ではないと思う。少なくとも今は。まだまだ子供なのだから、残酷なばかりの真実なんて知らなくてもいいのだ。

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