第809話 潜入調査

早朝、まだ眠っているアルの頬を撫でているとクラールがその手に噛み付いた。寝ぼけているらしい。


『……くぅん、おとーたん……?』


『…………お父さんこれからお仕事だから、お母さんと待っててね』


『きゅぅん……』


寂しそうな声で鳴き、不貞寝だとでも言うように身体を丸めて眠り始める。二人の睡眠の邪魔をしないように透過を使ってベッドを抜け出し、身嗜みを整えたら壁をすり抜け、兄の部屋に向かう。兄はベッドの真ん中で枕を抱えて座り、蓄電石を眺めていた。


『……トール、トール……ねぇ、頼みがあるんだ、お願いがあるんだ……聞きに来てよ、叶えに来てよ…………お父さん、お願い、助けて……』


独り言だろうか、ぶつぶつと呟いている。そっと兄の隣に座って透過を解除すると兄は驚いて飛び跳ね、ベッドから落ちた。その反応に猫を驚かせた時のようだとくだらない感想を抱き、静電気で髪を逆立たせてベッドの影から僕を見つめる兄に手を伸ばす。


『大丈夫? 昨日話した通り正義の国の潜入調査に付き合って欲しいんだけど』


『………………聞いた?』


『何を?』


『……独り言』


『何言ってるかは分かんなかったけど何か言ってるのは分かったよ』


兄がトールを父のように慕っていたのは衝撃だがさほど興味はない。どうせ邪険に扱っていたことを後悔でもしていたんだろう? 天才のくせに学習能力の低い奴だ。


『……分かってないならいい』


こんな嘘も見破られないなんて、兄の注意が散漫になっているのか僕が上達しているのか……後者だと思って自信に変えよう。


『まず神降の国に行って、零さん迎えに行きたいんだ。出身者だから色々助けてもらえるよ』


生返事を聞きながら魔法陣の構築を眺め、光の洪水に目が眩まないように瞼を閉じた。


『零さんの家は……確かこの辺、いやこっち……こっち?』


獣人の区域の入口付近にあったはずだとさまよっていると探知魔法を使った兄に腕を引かれる。鍵のかかった扉をこじ開けて中に入れば、あの悪疫の医師の格好をしたまま生首を抱えて眠る零の姿があった。


『……硬そうな服。仮面もブーツも脱がないなんて変わってるね』


分厚い手袋を摘みながら呟く兄を余所に零の肩を揺さぶって起こす。ツヅラもその揺れで起きた。


「おはよぉ……早いねぇ。ちょっと待ってねぇー……」


仮面を外すと急激に温度が下がる。薄く切ったパンを焼かず、ジャムなども塗らず、ネズミよりも小さな一口で朝食を進める零に兄は苛立ちを貯めている。


『……この生首は置いて行くの?』


『置いてってええよー、別に食わへんでも死なへんし、そない長ぅ留守するわけちゃうやろ? せやったら一人でのびのび寝とくわ』


半分眠りながらパンを食べている零に聞いても仕方ない。本人が大丈夫と言うなら大丈夫なのだろう。


『……あ、零から離れたら身体再生するかも分からんな、それはあかんわ、俺としてはええんやけど零があかん言うわ』


『再生……あぁ、凍ってるね。断面凍らせるだけなら僕がやっておくよ』


兄はツヅラの首の後ろに魔法陣を描き、断面を凍らせた。確認のために引っくり返しているのを横で見てしまった、断面を覗いてしまった。


『あんがとさん……ん? どないしたん魔物使い君、顔色悪いで』


『ぁ、いえ……ちょっと寒いなーって』


ツヅラと談笑しつつ零の食事が終わるのを待ち、並行作業として兄を宥める。外が明るくなる頃にはパンは零の腹に収まった。


「ごちそうさまぁ」


『おっそいなぁ……まぁ、いいや。行くよ』


ツヅラに別れを告げて再び空間転移。これまで散々敵対関係にあると教えられてきた正義の国の中に居ると意識すると足が震えた。


『……隠匿の魔法をかけてあるから見つかる心配はない。でも一応人混みとかでぶつからないように気を付けて』


『天使に見られたら?』


『人間に見せるってやつじゃなくて、姿を消す方だから平気。透明人間って訳。まぁそれでも見破る天使が居ないとは限らないけど、それはそういうのに特化した奴だろうから、街中には居ないんじゃない?』


門番に天使が居たら気を付けた方がいい、と言ったところか。僕は自力で透過が可能だし、そう心配することはないな。


「雪華のところに行きたいんだぁ、早速でいいかなぁ?」


『あ、ならにいさまと一緒に行ってください。僕は一人でやる用事があるので』


ツヅラに獣人については零に知らせるなと念を押されている。後で兄に共有するとして、零とは別行動を取らなければ。


「え……一人じゃ危ないよぉ、急いでるなら零もそっちを先にするからぁ」


『いえ、これは僕一人じゃなきゃダメなんです。その……ほら、僕は自力で透明化できますし、カヤに言えば空間転移みたいな真似もできます、心配は要りませんよ』


「……零が心配してるのはそういうのじゃなくてぇ、君の精神状態だよぉ」


『それこそ平気ですよ、もう大丈夫ですから』


精神状態を心配されるのはなんだか恥ずかしいな。


『……じゃあ、にいさま、零さんは自力で透明化も空間転移もできないから、絶対離れないでね。後、僕の魔法は解いておいて。人と話す用事があるから』


『………………分かった』


不満たっぷりといった顔をしているが、口には出さずに了承した。所有物の自覚が出てきたようで何よりだ。兄にとっては僕に頼られたと思った直後に邪魔者扱いされた気分で相当ショックだろう、上げ落としは効き目が高いと相場が決まっている。


『じゃあ、にいさま、零さん、また後で』


そう言って別れたはいいものの肝心の獣人の居場所が分からない。ツヅラを置いてくるべきではなかったか? いや、彼の話をよく思い出せ、獣人は労働力もしくは肉欲や加虐欲の発散対象として使われており、そして零は存在そのものを知らない。つまり、自ら知ろうとしなければ知れない場所にある。


『…………とりあえず裏通りを探そ』


大通りにはないだろう。そう考えて建物の隙間を抜けていくが、どこもかしこも健全さが全面に押し出されるような逆に不自然な街だ。

性的、暴力的、そんなものが一切排除されている。酒屋すら見当たらない。酒色の国とは真逆だ。街行く者の話の内容すら健全……何故だろう、別に不健全な生活を送っている訳でもないのに居心地が悪い。

手がかりすら見つけられずに落ち込んで街を歩いていると、人集りを見つけた。透過を使って人集りの中心に行けば後ろ手に縛られている女が居た。


「……では、読み上げます」


女の隣に立っているのは格好から見て神父だ。衆目が集まったことを確認し、台に乗ると手に持っていた丸めた紙を広げ、そこに書かれた文を読み上げた。


「この女の罪状は殺人! 自分の娘の友人である幼子を殺した! その手口はまさに魔女、家に招いたその子に菓子だと言って毒を食わせた!」


民衆の怒りを煽る神父が手を軽く振ると、弟子らしき少年達が大きな箱を女と神父を中心にできた人の円の内側に並べた。その中身は握り拳程の大きさの歪な石だ。


「違う! 私があげたのは本当にただのお菓子よ、アンタだって調べてたじゃない! ただのお菓子だったでしょ!? そもそもあれは買ってきたやつだし、何かあったなら店の責任よ!」


「……聞きましたか皆さん、反省の色が全く見られない! しかしこれは事実でもある、幼子が食べたお菓子は確かにただのお菓子でした。しかし幼子の肌には異常な湿疹が起こり、嘔吐してのたうち回り、呼吸困難まで起こして苦しみの後に死に至った! これぞまさに魔女である証拠ではありませんか!」


「違うっ……違う! 私は魔女じゃない、あの子を殺す理由なんかない! 私が殺したんじゃない!」


毒物でないのに毒物のような症状を引き起こす……確かに異常だ。しかし魔女の呪いだと言えば納得はできる。


「……さぁ、どうぞ正義の心に満ちた正義の国の模範国民である皆様方でこの悪しき魔女を罰しましょう」


女の手を背で縛っていた縄を街灯に繋ぎ、神父は人集りの後ろに引いた。民衆は並べられた箱から思い思いに石を拾う。


『待って! 待ってください、ちょっと待って!』


透過を解いて女の前に出ると石を持って振りかぶった民衆の手が止まる。僕ごと……という発想がないところに正義感が伺える。


「…………どうしました、白髪の少年」


『ぁ、あの……その子が食べたのって、どんなお菓子ですか?』


「クッキーでしたよ、ピーナッツ入りの。私もよく食べている評判の店のものです。善良な店主が営む店の菓子で子供を殺すなど、店の評判まで落とす惨さ、まさに魔女と──」


『その子、アレルギーだったんじゃないですか? ピーナッツか、小麦か……それは分かりませんけど……』


「……ぁ、あぁ何と恐ろしい! この少年も悪魔の手先! しかしこの少年を悪しき道へ導いた悪魔は強大だ、教会にて適切な浄化を行わなければ!」


神父は僕の肩を掴んで集団から離す。その様子からは焦りが見えた、間違いない、この神父は無知ではない。そもそも僕がアレルギーについて聞いたのは零からだった、子供が産まれたのなら気を付けた方がいいと教えてもらった、正義の国ではアレルギーは未知であるなんて話ではない。


『…………カヤ、姿を消したままあの女の人のところへ行って、逃がしてあげて』


調査にとっては国に忠実な神父に接触できたのは好機だ、脅して色々と聞き出そう。

過失であることは間違いないにしても石打ち死刑は酷過ぎる、ひとまず彼女には隠れてもらって後で話を聞きに行こう。

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