第804話 希少鉱石の国の立ち位置

たとえナイに汚染を受けていたとしてもフェルに抱いた苛立ちは僕のものだ。過去の僕と同じフェルの見た目が嫌いなのも、声と喋り方が癪に障るのも、態度が腹立たしいのも、確かに僕が抱いた感情なのだ。


『フェル、ごめんね、その……』


『いいよ、お兄ちゃんの意思じゃなかったんでしょ』


違う。違うけれど、違うと言えばフェルは傷付く。本当に兄に嫌われている訳ではないとフェルに安心を与えてやらなければならない、真実を話すのが優しさとは思えない。僕は兄としてフェルのために苦悩を抱え込むべきだ、口に出したからと言ってフェルに抱く苛立ちが消える訳でもないのだから、言ったところで今一瞬の爽快感が得られるだけなのだから、その後は僕もフェルも一生痛み続ける傷になるのだから、言うべきではない。


『うん……自分でもなんでこんなことするんだって、やめたかったのに……身体が上手く動かなくて』


これは嘘ではない。疑問を抱いていたのも、やめたかったのも本当だ。


『本当にごめん……僕の本心じゃないって分かってもさっきのがなくなる訳じゃないんだから、謝らせて、挽回させてよ、フェル。何すればお兄ちゃんを許してくれる?』


『…………朝ごはん、ちゃんと食べて』


その慈愛に満ちた微笑みは僕のものではない。僕はそんな笑顔は作れない。昔の僕の姿をしているけれど、フェルはヘルシャフトではない。


『……うんと甘いのがいいな』


分かったとの元気な返事も、キッチンに向かう足取りも、僕を呼ぶ声の調子も、昔の僕よりもずっと健康的じゃないか。

あれ……? フェルには苛立つはずなのに弟として可愛らしく思えた。


『自由意志の名の元に宣言する。僕は全てからの干渉を拒絶する』


ボソリと呟いて壁を抜け、キッチンに向かう。光も大気も結界すらも僕を捉えられない。きっと兄が落とし切れなかったナイの痕跡も消えたはずだ。透過を解いて調理中のフェルの横顔を覗き込む。


『わ……! きゅ、急に横に来ないでよ、危ないよ?』


『フェル……』


『何?』


『君……めちゃくちゃ可愛くない?』


『………………ナルシスト』


それだけは世界が終わったとしても否定させてもらう。


『違う! 僕に似てないところが際立ってきてて可愛さが増してるんだよ』


『えー……じゃあ何、僕見た目変えた方がいいの』


パンケーキを綺麗に引っくり返しながら元気のない声で話す。面倒臭がっているようだ、この声は僕に似ていて好きじゃない。


『うーん……でもあんまり見た目変えられても困るし。右眼黒にして、髪型変えるとか、筋肉か脂肪付けるとか、そういうので個性出していこうよ』


『お兄ちゃんはどんな髪型が好きなの?』


『セミロングかな』


『それ好きな女の人のタイプだよね?』


『いや、好きな女の人のタイプはダブルコート』


『それ毛の生え方だよね、犬だよね』


フライパンから皿の上に移されたパンケーキの縁がホイップクリームで飾られ、真ん中にチョコレートで「Lieber Bruder」と書かれた。最後に苺を乗せて完成。


『……本っ当にもう可愛い弟だなぁ!』


『引っ付かないで! 僕これからフライパン洗うんだから!』


『欲しい物あったら言うんだよ、なんでも買ってあげるからね!』


『可愛がり方が独身の叔父さん!』


せっかく親愛なる兄がハグしてやろうとしたのに足まで使って拒絶された。少々落ち込みつつパンケーキを頬張り、洗い物中のフェルの背中を眺める。


『まぁ、欲しい物って言ったらやっぱり家事に協力的な同居人達とかかなー』


『あー……じゃあ今度全員集まった時に暗示かけるよ』


『ごめん今の嫌味! 仲間を洗脳するのに積極的ってどうなの。僕は……えっと、その……服欲しいな。にいさまが用意したやつしか着てないからさ、肩とか臍とか出るんだよねー……』


『にいさま服の趣味おかしいからなぁ……分かった、今度ネールさん呼ぶよ』


『自分が着てるのは普通のくせにね。僕の服、市販品でいいよ?』


可愛い弟と会話を楽しみながら遅い朝食を終えた僕は兄に呼ばれてリビングに移動した。フェルと仲直りできたのかどうかを早くアルに伝えたいのだが、こちらも急用だ、仕方ない。


『じゃあ、繋ぐね』


カクンと兄の首が前に傾き、数秒経つと元気に持ち上がる。


『ター君、聞こえてる~? とっても善良な羊飼いの神様、ハスターだよ~』


『……すっごい違和感あるなぁ。えっと、ハスター? お城に呼ばれたって聞いたけど』


『え~とねぇ、内容は口外絶対禁止で破ったら死刑なんだけど~』


ハスターは今どこで話しているのだろうか。僕の目の前に居るのはハスターの口調で話す兄だ。兄の分身を通して会話しているとは思うのだが、派遣部隊の施設に居たとしたらそこで話すのはまずくないか?


『まず~、希少鉱石の国は国連への加入を決めたよ~』


『…………は!? なんで!』


『王様は~、そろそろ複数の国を巻き込む大きな戦争が始まると踏んで~、絶対に勝つって思ってる正義の国についておくことを決めたんだ~。で~、酒色の国と関わりが深いことを加入の申し入れした時に言われたらしいんだよ~、その時に~、情報かな~り売ったらしいんだよね~? それで~、まだまだ情報取れるだけ取りたいって~。だから~、国連に加入することは誰にも言っちゃダメなんだよ~?』


情報を売った? 希少鉱石の国の王に僕はどんな情報を渡した? 王だけではなく錬金術師達との会議の時の情報も渡されていると思うべきだ。あの時には政府の者が進行役を務めていた。


『……ハスター、君はその場で何か言ったの?』


『輸入どうするんですか~とか~? 正義の国と化学の国には安く売って媚び売って~、非加盟国には最近取れないって嘘ついて高く売るってさ~、初めに安くしたらその後キツいよって言ったんだけど~、信用大事だからとか言っててさ~』


身を削って忠誠心を示す必要があるということは、正義の国はまだ希少鉱石の国を信用していないということだ。当然だろう、ルシフェルの『傲慢の呪』に侵された国だ、国民は神など要らないと驕り高ぶっている、国内からの反発もあるはずだ。


『ねぇ、ハスター? 君は王様や政府に危険視されてない……信用はある。そうだよね?』


『ん~? ん~……山側は宗教色濃いからってこの件に関しては微妙なんだよね~、でも~、僕は魔石の国内シェア九十九パーセントだから~、その方面での力はあるよ~?』


九十九? 上がったのか、とんでもない手腕だな。流石神、話し方が緩いというだけで油断はできない。いや、経験則から言えばむしろ話し方が緩い奴ほど食えない奴だ。


『なら、偽の情報を王様にそれとなく渡して、正義の国を騙すこともできるよね?』


『……どんなふうに~?』


『王……僕の偽の不在日だとか、偽の関係者だとか。結界の破り方の偽情報だとか…………スパイされるなら利用しないと』


首を傾げて口の端を吊り上げ、無言で肯定と笑いを示す。ハスターは仮面を被っているから表情は分からないが、今のように兄を通せば表情も分かるようだ、こんな気味の悪い笑顔を浮かべるとは思わなかったけれど。


『……いざ戦争が始まるってなったら~、王様に化けて向こうの会議に参加して~、要人皆殺しにしてきてあげる~』


『え、ぁ、ありがとう……助かるよ』


要人……全員人間だよな? だが、正義の国の政府は天使を動かす権限を与えられているし、その使い方は酷い。被害を減らすためという言い訳もあるし、僕は今更数人の殺害を躊躇うような生き方はしていない。


『……そうだよ、僕は魔性の王なんだから。戦争になるならとことんやらなきゃ。芽を残しちゃダメだ、子孫も思想を継ぐ者も根絶やしにしないと』


『うん……うん、いいよ、ター君、仕方ないから邪神になってあげる、邪悪の皇太子の神話的本性を晒してみせるよ』


吊り上がったままの口の端からも見開かれたままの瞳からもいつもの兄とは全く違う不気味さが醸し出されている。僕はそれに怯えつつも微笑んで頷いた。こういう関係は舐められたら終わりだ。


『……で、ハスター。聞いた? 近々クトゥルフが復活するかもって』


『へ……? 何それ聞いてない!』


『え、そ、そう……? ビヤーキーに伝言頼んだんだけど』


『コージ鯛の覇権舞台に白い長髪が行けって言ってました! って言ってきたよビヤーキーは!』


伝言の精度が低いにも程がある。

僕は自分の言い方が悪かったとビヤーキーを庇いつつ、クトゥルフ復活にナイが注力していることを改めて詳しく伝えた。ハスターは──まぁ、目の前に居るのは兄だが──ハスターは考え込むような仕草の後、ゆっくりと口を開いた。


『……うん、合理的だ。クトゥルフを起こすのが顕在化の一番の近道だ。あのテレパシーは信者獲得にとても有利だし、何よりクトゥルフは知名度が段違い』


『やっぱりテレパシーかぁ……あー、どうしよ、結界……破られたんだよなぁ……兄さんも出せなくなるし……』


『無理矢理な感じはあったけどやっぱり四大元素に当てはめた邪神は勝手に顕在しちゃうんだろうね〜。僕のお父さんは多分にゃる君が最優先したんだろうけど〜……』


『四大元素の邪神って何? 誰?』


四大元素についてくらいは僕も分かる、魔法の国でも扱っていた。火、水、風、土だ。ナイは土だとか言っていたから──ナイのような邪神が跡三柱は居るというのか、なんて恐ろしい。


『四大元素は分かる~?』


『火、水、風、土だろ?』


『そうそう、にゃる君は土ね~? 僕は風、タコ野郎は水だよ~』


『タコ野郎……』


『クトゥルフ』


『あ、うん』


何かと敵対視しているようだし、あまり話題に出さない方がいいのかもしれない。協力的とはいえハスターも邪神だ、完全に信用するのは危険だ。


『君、風だったんだ……』


『まだ制御慣れてないけどね~』


『……あれ、火は?』


『火がね~、肝なんだよ~。クトゥグア、って言ってね~、な~んでも燃やしちゃうんだよ〜。信者大事にしないし~、増やそうともしないし~、出来ても燃やすし~、他の邪神の縄張りだろうと平気で燃やすし~……まぁ、アレが苦手じゃないって奴は珍しいかな~?』


ウリエルもミカエルもそうだったが、やはり火属性の者は強力な上に扱いにくいらしい。しかしクトゥグアか……確か過去を巡った時、魔法の国で見た記憶がある。あの時は『黒』が呼び出したんだったか。


『……でも、アレは顕在化を目指してないと思うから~、使えると思うよ~? クトゥルフもにゃる君もお父さんも今は顕在確立のために協力してるんだよね~、まぁ元々敵対もしてないけどさ~……』


『なんで顕在化目指してないの?』


『何も考えてないのかそれ以上に燃やしたいのか……それは知らないよ~。とにかく、最悪信者を皆殺しにすれば神格はガタ落ちだから~……いざとなったらクトゥグア呼んで~、心中~?』


『……うーん、使いたくない手だなぁ。呼び出すんだよね、確か。あれって帰せなかったらどうなるの……?』


『あれ、知ってた~? え~とね~、星燃えるねぇ~……それは僕も困るよ~? 星だけで済むかも微妙だし~』


『…………この手段凍結! 呼ばなかったら来ないんだろ? なら凍結! 別の手考えよ!』


危険な手は難関だし、簡単な手は危険性が高い。低リスク高リターンなんて虫のいい話はないと改めて痛感した。

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