第784話 交流の場

毛布を運んでいる従業員を見つけ、何となく気になって後を追う。彼が毛布を渡したのはヘルメスだった。


「どーも。あ、にぃにもあげてくれる? 向こうで潰れてるはずだから」


アポロンを指差し、緩く円を描くソファに寝転がる。その隣にはベルフェゴールが居た。


『ヘルメスさん、寝るんですか?』


「ん? いや、俺は全然眠くないんだけど……」


ベルフェゴールはヘルメスの頭を抱き締めてその豊満な胸に彼の後頭部を押し付ける。


「……ベルフェゴールさん、眠り姫って感じでさぁ。さっきはちょっと話盛り上がったんだけどね……」


目を腕で隠されてしまっているが、ヘルメスはいつもの調子で話している……いや、口元が妙に緩んでいる。後ろ頭に感じている幸せの弾力のおかげだろうか。


『…………あ、しょうねーん。やっほ。この子友達なんだって? 少年結婚しちゃったしぃ、この子もらうねー?』


「俺の全部もらってください!」


『んー、可愛い可愛い。ちょっとでかいけど十代ならよきよき』


「あと二年……!?」


こっちは上手くいったようだ、二年後の破局は避けられなさそうだけれど。アルテミスもブランシュと上手くいってくれれば──いや、ブランシュと上手くいってもホスト通いになるだけか、まぁそれはそれで幸せだろう。

幸せそうなヘルメスの元を離れ、錬金術師達の元へ。メイラは疲れたような顔をしていたが、セツナは珍しくも無邪気な笑顔を浮かべていた。


『嬉しそうですね、セツナさん。何かありました?』


「あぁ、おめでとう魔物使い君。これを見てくれ」


セツナはスーツケースを開け、中に並んだ指のように細く小さな容器を見せた。


「君の知り合いはみんな優しいね、血をくれって言ったら理由も聞かずに腕を出して注射を受けてくれたよ」


「……悪い、魔物使い。止められなかった」


ほくほく顔のセツナの隣、メイラが顔色を悪くして謝る。


「これで強くて可愛い我が子が増えるよ」


我が子と言うと人形──いや、ホムンクルスのことか。生命を創り出すことになるから禁忌だと言われているけれど、科学の国よりはよほどマシな趣味だ。


「……ぁ、君の血も貰えないかな」


『すいません、これ以上兄弟が増えるのは困るので』


「おや、残念。君の兄弟達からは採取できなかったから君のは欲しかったんだけどな」


兄とフェルの血は採取して数分後に黒く変わり容器を割って出ていった。ライアーの血は採取直後に砂に変わった。セツナは残念そうな顔をしてそう語った。


「そんなことより! 魔物使い、お前に聞きたいことがあったんだ。最初、お前の横に座ってた黄色い布被った気味の悪い奴、アイツは、スメラギ……じゃないよな」


ハスターはスメラギという男の身体を使っているが、今は違う。白い仮面に黄色い布という格好は同じだけれど。


『……違いますけど、関係はあります。でも、知らない方がいいと思います。それと、スメラギさんは……もう』


帰ってこないと思った方がいい。その言葉が出てこない。死んではいないとは思うけれど、ハスターが別の人間に移ったり自身だけで人界に居られるようになっても、解放されたスメラギはきっと元には戻らない。


「…………そうか。俺達は禁忌に挑む錬金術師だ、本当に触れちゃいけないものの危険性は分かってる。人間は好奇心を抑えられない生き物だけれど、俺は長生きしたいし、もう……危険は冒したくない」


メイラは机の下でセツナの手をぎゅっと握り、振り払われた。


「……狂わずに、壊れずに、セツナと一緒に生きていたいんだ。だからな、魔物使い。俺は危険な橋はもう二度と渡らねぇ。だから……お前にも多分あんまり協力できない」


僕に協力すると危険と狂気がつきまとうと? 流石は天才、よく分かっている。


「…………ホムンクルスを作ってだとか、賢者の石の修理なら請け負うよ」


「あぁ、武器に魔石を組み込むとか、その魔石の調節くらいならやってやるよ」


ジェスチャーで「代金に色を付けるなら」と息ぴったりに示してくる。まぁ、頼む時が来たら料金の割増くらいしてやってもいいだろう。


『今のところは大丈夫です。何かあったら連絡しますね』


当たり障りのない挨拶をして席を立ち、また別の懐かしい顔の元へ。


『あ! えっと……魔物使い君』


『この度は結婚おめでとうございます、少年』


『……とりあえずおめでとう!』


名前を思い出せないことに戸惑っているのかステーキを切る手を止めたマルコシアスに、無表情のまま淡々と祝いの言葉を述べるアガリアレプト、そしてワイン片手に笑顔で僕を祝うマルコシアス……あれ? マルコシアスが二人居る。


『マルコシアス様、分裂とかできましたっけ?』


戸惑っていた方のマルコシアスがワインを持っている方のマルコシアスを見つけ、ステーキナイフを机に落とす。アガリアレプトは「もう祝ったからいいだろう」とでも言うように食事を再開した。


『え……誰、君』


『君こそ誰? 僕がマルコシアスだけど』


『……馬鹿を言わないで欲しいね、僕がマルコシアスだ』


二人のマルコシアスが睨み合っているけれど、間にアガリアレプトが挟まっているから無理に介入できない。

しかし、分裂ではないとするとどちらかが変身した誰かということになるが、ライアーと兄は向かいの席で談笑している。他に他者に化けられる者なんて居ただろうか、それもこんな悪戯っぽく……悪戯?


『魔物使い君! 君はどっちが本物だと思う?』


ワインを机に置いたマルコシアスが僕に判断を委ねる。この行動で何となく分かってしまったが、久しぶりだし乗ってやろう。


『……魔物使いの名の元にマルコシアスに命令する。僕の指を食いちぎれ』


右手をアガリアレプトの前に突き出すと、ステーキを食べていた方のマルコシアスが豹変し、僕の人差し指に噛み付いた。


『はっ!?』


『……君が偽物』


再生させた人差し指をワインを飲んでいた方のマルコシアスに向ける。


『は、反則だろ! もっと、こう……なんかあっただろ!』


『……見た目ややこしいから変身解いてよ』


彼女らしくないむくれた顔をして、椅子の上に立ってマルコシアスとアガリアレプトを飛び越え、僕の前に着地する。顔を上げた時にはもう切り揃えられた黒髪は左右非対称な紫に、切れ長の黒目は悪戯っぽく歪んで真っ赤に変わっていた。


『久しぶり、ロキ。来てくれたんだね、どうやって国の結界越えたのかめちゃくちゃ気になるけど……とりあえずありがとう』


『結界破りは特技だからな! 気付かなかっただろ? 穴空いてるぞ今』


『……兄さん! 兄さん、今すぐ結界確認して!』


向かいの席に居るライアーに向かって叫ぶと、彼は空中に魔法陣を展開した。数秒してから驚愕に染まった叫び声が聞こえてきたが、僕はもうロキに意識を移していた。


『なんてことするんだよ!』


『あぁ、イイ響きっ……気付いてビックリ「うわぁぁぁ」気付いて怒って「なんてことを」やっぱり反応なくっちゃやる気が出ない! この間なんかクソ分厚い結界破ったのにだーれも反応しなかったからつまんなかったぞ!』


再会に喜んでしまって忘れていた、彼はこういう奴だった。出来れば関わらない方が良い部類の神なのだ。


『ま、もう終わったことだしどうでもいいな。さて、タブリス。お前……お前も、お前も狼の父だな!』


『え……?』


ロキの腕の中には真っ白い仔狼が居た。額に生えた赤い角が店の証明を反射して輝いている。


『いやぁ俺様のフェンリルと違ってちっこくて可愛いな、フェンリル産んだ時から俺よりデカかったからなー』


お前が産んだのか、自分より大きいならどうやって出したんだ、そんな言葉を望んでいるのだろうが今の僕にはどうでもいい。


『返せっ……!』


『ぅおっ……とぉ!』


ロキの腕の中のクラールに手を伸ばす。しかし、触れた途端にそれは一塊の肉に変わった。


『驚いたか? お祝いだ、クダンモドキの肉の一番いいとこ──おい? タブリス? 何か色々生えてるぞ?』


『……ク、ラー……ル』


手に伝わる肉の弾力、冷たい感触。僕の手のひらに当たるのは生のない肉塊。


『お、この角娘に遺伝してたやつだな。光輪と羽と……ぉ? おぉ、頭から腕生えた……っ!?』


篦鹿の角が、いや、黒い液体にまみれた腕がロキの首を掴み、絞める。


『……どったのタブたん、顔怖ーい』


首の骨が軋んでいるのにヘラヘラと笑っているロキの不気味さが僕の激情を僅かに冷ます。


『これお前の娘じゃないぞ? 流石にそんなサイコな真似しねぇって、ちょっと化かしただけじゃん、そんな怒んなよ』


僅かに冷静になった頭にロキの言葉が入ってきて、放出していた魔力が萎む。視線を移し、遠い席に居るアルの隣、カルコスの鬣に絡まって遊ぶクラールを捉えられた。


『ぁ…………ごめ……いや今のは君のせいだろ!?』


『えー?』


『えーじゃない! この空気なんとかしろよ!』


僕が憤怒と憎悪に満ちた高濃度の魔力を放出し、異形を顕にしたせいか店内の空気は重く沈んでいる。

怯えと困惑の視線がロキの胸倉を掴んで揺さぶる僕に注がれていた。

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