第761話 一緒には暮らせないの

数ヶ月前、この大陸の人間によって竜狩りが行われた。魚を群れ単位で食ったり漁網を破ったり、近海に棲む竜は害獣だったのだ。とはいえ竜を殺すのは並大抵の者では不可能。漁村の者が困り果てていた時、流浪の大剣士がやって来た。竜が居ることなど知らず、本当に偶然やって来たという大剣を扱う旅人は、年端も行かぬ少女だったという。


何隻も船を出し、鯨用の銛を使い、船に向かってきたらその首に少女が大剣を叩き込む。それほど強い竜ではなかったため、鱗は少しずつ裂けていった。

それを数週間続けてようやく漁業の邪魔になっていた巨大な竜は死に、砂浜に流れ着いた。大剣使いの少女と村人はそれから三日三晩宴を楽しんでいた。


『──というのがこの近くの漁村の話だ』


『……狼関係なくない? 倒されたのは大きな竜でしょ?』


『あぁ、狼が竜に関わるのはここからだ』


狼は竜狩りの様子や砂浜に流れ着いた竜の死体、漁村の宴の様子などをただ見ていただけだった。自分達に影響はなさそうだと判断し、普段通りの生活に戻った。

そしてある日雨が降った。この群れの頭の子供はまだ小さく、妻は産後の肥立ちが悪い。雨風を凌げる場所は絶対に必要だった。頭の妻子を洞窟に案内し、入り口を若い狼と古株の二頭で見張らせた。頭は他の雄狼を三頭連れて洞窟に危険が無いかの探索、余りの狼は妻子の周りに着かせた。


『へぇー……リーダー出来てるね、参考になるなぁ』


『…………話、続けていいか?』


『あ、うん、ごめんごめん』


頭のグループは洞窟の奥が海と繋がっている事を知り、雨足が強まればこの洞窟も危険かもしれないと判断し、他の場所を探しておこうと相談した。引き返そうとしたその時、パキッと何かが割れる音を聞いた。よく探してみれば頭ほどの大きさの卵があった。


『待って頭って狼基準?』


『だろうな、そこに大量にあるだろう。それに卵の大きさはそれ程重要ではない』


『可愛いよね……ち、違う、そういう意味じゃなくて……ごめんね。でも、アルは唸ってる声も怒ってる顔も可愛いよね』


『………………馬鹿。話、続けるぞ』


どうやら先日殺された竜は竜狩りから卵を守ろうとこの洞窟に隠したようだった。卵を割って出て来た小さな竜はぷるぷると震えていて酷く弱そうに見えた。


『水棲竜なのに卵水中じゃないの?』


『……竜の生態なぞ知らん』


『海の中に棲むなら産まれてすぐある程度動けると思うけど……ぁ、この子肺呼吸っぽい。うーん……両生……? いや、爬虫類……』


『続けるぞー……』


竜に危険は感じなかった。湧いて出た好奇心を満たすため匂いを嗅ごうと顔を近付けると竜は首を持ち上げて口元に頭を擦り付けてきた。なので思わず吐いてしまった。


『いや、待って、なんで?』


『子育て中だからな。前にも言っただろう、狼は吐くと。餌を求める仔狼は親の口周りを舐めるからな、口元に刺激があるとつい……待て待て私は雌だ、吐かん。やめろ』


『雄がしっかり子育てするって珍しくない? 鳥とかも吐くの雌の方だよね?』


『鳥は両方やる種も多い……他の動物も協力する種は多いぞ? 貴方は獅子の印象が強いのかもな。虫は交尾後に喰うこともあると聞くが…………話、戻っていいか?』


餌を与えてしまった竜にはすっかり懐かれた。刷り込みになってしまったのだろう。水棲竜は鱗が乾いてはいけない、人目につけば狙われる。だから何とか洞窟の中に留めて、近くの川で魚を採って与えていた。鹿や兎でも食べたが、やはり魚の方が食い付きがよかったし、元々食べる物でなければどんな不具合があるか分からないので無理矢理でも魚を採っていた。


『優しいね。なでなで……し、しませんしません……僕はアルとクラールしか撫でません……』


親は魚群を丸ごと呑むような巨竜だった。幼竜とはいえ食べる量は凄まじく、だが未だに自力で獲物を捕えられない。竜にばかり構っている訳にもいかない、けれど見捨てるなんて出来やしない。

今日の分の魚を与えて、痩せた身体を舐めていたら、砂浜の方から母親を求める狼の遠吠えがあった。近くに別の群れはない、自分の子供でもない、けれど子供が母親を探している。行かない訳にはいかない。


『……それがクラールと僕ってこと?』


『だな。そして……』


仔狼は人間に捕まっていたが、その人間はどうやら仔狼を守り育てているようだった。母親もすぐに来た、強力な魔獣だったようで驚いたが、強く美しいその姿に思わず息子と見合いをと誘ってしまった。


『全く失礼な話だ、私には夫も子供も居ると言うに! っと……続けるぞ』


悪い者達ではなさそうだったが、竜の巣を見つけたなんて話していたから、あの幼竜を狙っているのだと気付いた。仔狼の遠吠えも罠だった、あの洞窟を離れさせるための罠だったのだ。


『ち、違うんだよ? 本当に……』


『──と、ここまでだな。竜は非常に珍しい生き物だ。捕獲の際に殺せば剥製、生け捕りに出来たなら見世物か実験材料か……鱗は良い素材だし角や爪は薬になるなんて話もある、肉も美味いそうだ。竜を狙う者は多い、それで私達に敵意を向けている訳だ』


『んー……とりあえず、僕は竜を捕まえに来たんじゃないんだよ。信じて?』


力を使わなくとも飛びかかっては来なくなったが、唸り声はずっと聞こえている。


『その……僕は魔物使いで、今は仲間になってくれる魔物を探してるんだ。竜は強いし、是非欲しい。無理にとは言わないよ……』


血の繋がりはないとはいえ家族をバラバラにするなんて出来ない。こんなにも幼い子供を親の目の前で無理矢理連れ去るなんて子持ちの僕には不可能だ。


『…………待て。貴様等、この竜を持て余しているのだろう? この竜も貴様等も痩せている、健康体はそこの女と子供だけだ』


睨まれた白い狼は仔狼を身体の下に入れ、姿勢を更に低くする。頭の妻だろう。


『主食の魚は狼には集め難い、その上要求量は段々と増えていく。共倒れか捨てるか、その道しか見えていなかったのだろう?』


頭の狼は気まずそうに目を逸らす。


『……私に、いや、私の旦那様に竜を渡せ。満腹にして、好きなだけ泳がせて、狩人や漁師から守ってやれる。貴様等に出来ない親らしい事全て熟して見せる……だろう? ヘル』


『えっ? ぁ、うん、頑張る……』


頭の狼がゆっくりと僕の前に歩み出る。僕をしばらく眺めた後、幼竜に額を寄せてぐるぐると唸り始めた。


『…………きゅい? きゅう! きゅぅうっ!』


僕にしがみついていた幼竜はその鉤爪と水掻きのある手を頭の狼の身体にへばりつかせた。尾を巻きつけて全身でしがみついている、僕の時とは必死さが違う。


『……アル? 何となく分かるけど……』


『別れを説明し、駄々を捏ねられているな』


『…………あの、別に今生の別れって訳じゃないよ。この子が会いたいって言ったらここに連れてくるし……』


僕の言葉を遮るように頭の狼が吠える。幼竜を振り払い、腕に噛み付いた。


『えっ、ちょ、何してるの!? ダメ……』


『手を出すな、ヘル』


『で、でも……あぁほら血が出てる!』


『ヘル、黙って見ていろ』


他の狼達も寄って集って幼竜に噛み付き、頭から引き剥がす。その鱗に歯型が刻まれていく、乾いてきていた鱗が血に濡れていく。


『きゅうっ!? きゅうぅっ……きゅぅう!』


幼竜は噛まれながらも頭の狼の元に行こうとしていたが、痛みと激変した狼達の圧に耐え切れず、僕の方へ逃げてきた。狼達は誰も幼竜を追いかけるようなことはしなかった。


『ヘル、抱き上げてやれ』


『ぁ、うん、もちろん……おいでおいで……よしよし、痛いね、痛いよね……よしよし』


『…………ヘル、行こう。帰ろう。早く行ってやらなければ』


『うん、早く手当してあげないと。アル、浜まで乗せてくれる?』


幼竜を横抱きにし、その腹の上にクラールを乗せる。大人しくするよう言い付けた直後、胴に巻きついた黒蛇に内臓を圧迫されて醜い声が漏れた。

木々の枝をへし折って黒翼を揺らして飛び立ち、旋回し、海を一望する。黒い背びれを見つけてそこに降りた。


『お待たせ。酒色の国に帰る、悪いけど急いでもらえる?』


身体の大きさに似合わず高い声の返事を聞き、アルから降りて背びれに足を絡めて片手で掴まる。楽しそうなクラールの声を聞いていると恐怖が和らいだ。

陸の方から複数の狼の遠吠えが聞こえていたけれど、急いでと伝えた逆叉は速く、すぐに聞こえなくなってしまった。

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