第746話 苗になった自信
アルに愛されるのには抵抗があった。
強くて優しくていつも僕を守ってくれる愛しいアル、そんなアルに愛されるのが弱くて醜い僕だなんて耐えられなかった。大好きな人の大好きな人が大嫌いな人だなんて耐えられる訳がない。
けれど、アルは僕に僕の価値も教えてくれた。魔法の国以外では無能ではなく、むしろ求められる人間だと理解させてくれた。魔物使いとしてだけでなく上位存在に成り代わった僕はアルを守れるほどに強くなったし、天使の性質を持つことで見た目は美しくなった。相も変わらず心は酷く醜いけれど、最初の頃よりはアルの隣に居るのに抵抗はなくなった。
『子供の生命を奪い、その上貴方の気遣いに気付けず貴方を罵り暴力まで振るった。合成魔獣という理由だけでなく、私は貴方に相応しくない……』
僕はアルを守れる力がある、アルを守っていい美しさもある。
『…………分かってくれて嬉しいよ、ヘル……貴方が罪悪感を抱く必要は無い。私の事なんて忘れて、もっと良い人を見つけてくれ』
僕はアルに愛されていい。
『……ヘル?』
僕はアルを愛している。けれど、アルは僕の愛を分かっていなかった。
『…………ヘル、どうしたんだ? 分かってくれたんだろう? 私は、私は……存在そのものが禁忌で……』
分からせなければ。
『ヘルっ……や、やめて、嫌だ……』
僕がアルを愛していると分かってくれたら、きっとアルも僕を愛してくれる。死にたいなんて思わなくなる。殺してなんて言わなくなる。僕を愛していたら僕の傍で生きていたいと思ってくれるはずだ。
『アル、 動 く な 』
僕から離れるなんて僕が許す訳がない、それもきっちり分からせなければ。
葬儀の翌朝のヴェーン邸は静寂に包まれていた。
死期が近いからと仕事を休んで冥土の土産の宴を開き、死んでしまったからと早退した。そんな彼らも今日は仕事に出かけたのだ。
『わぅわぅ! きゃふっ……おぃたん! わぅ!』
ダイニングでは食事中のクラールがはしゃいでいた。チキン粥を食べさせているのはヘルでもアルでもなく、フェルだった。
『にーぃーさーん、ひまー』
『……本でも読めば』
『読みかけリビングに置いてたのにリビング入れなくなってるんだよ』
『あ、そ』
『だから暇。何とかして』
ヘルが居なくても進められる仕事がなくなったのでライアーは今日は家に居た。弟かその子供にでも構おうと思っていたが、絡んできたのは弟と認めていない弟だった。
『そうそう、最近ダンピールにご飯の目あげてるんだけどさ』
ライアーの肩に頭突きをしたり、突然近況を話したりしているのはエアだ。特に感情を表に出すことなくライアーに懐いているような言動を見せている。
『……あのさ、キミなんでボクに絡んでくるわけ』
『弟に向かって酷いね。泣いたよ』
『無表情っ! キミを弟なんて言った覚えないんだけど!?』
『……ダメ?』
『あぁもう無駄にヘルに似てる! 首を傾げるな二十一歳!』
食事を終えたクラールを抱き上げて口元を拭きながら、フェルは兄達のやり取りを冷めた目で眺める。
『っていうか何でボクが兄さんなの?』
『……おとーとが兄さんって呼んでるから』
『キミは兄失格って言われただろ!? ボクが代わり、キミはただの下僕! 兄の入れ替わりであってキミ達の新しい兄弟とかじゃないからボク!』
ロープの玩具でクラールと遊びながら、フェルは冷静にエアの思考を分析する。
ライアーはナイの型を使ってヘルの魔力で作られたヘルの理想の兄だ。ナイは魔法使いにとって愛すべき神であり、ヘルはエアにとって愛すべき弟である。敬愛の形貌と溺愛の薫香……慕うとまではいかなくとも暇潰しのおふざけで懐くのは当然とも言える。
フェルは納得し、クラールの頭を撫でた。
『話戻すけどさ、眼球の美しさの基準は──』
『戻さなくていい興味無いキミと話したくない!』
『白目にシミや傷がないのが基本で』
『要らないってば!』
エアとフェルは人間しか食べられないので当然人間を食べているのだが、それに目をつけたのがヴェーンだ。獲物の眼球を家賃と称して受け取り、アシュに飼われてから増やせていなかったコレクションがまた増やせるようになったのだ。
『っていうかさ、リビング入れなくなってるって何? そっちの方が聞きたいんだけど』
『おとーとが閉めてるんだよ。部屋に魔力充満してるみたいでさ、その魔力が入ってくるなってやってるからドアノブ触れもしないんだよね』
魔物に分類されてはいないがエアも多くの魔力を持っているため、ヘルの命令には従ってしまう。
『ふーん……? まぁ別にリビング入れなくてもボクは困らないけど、理由は気になるね』
『僕は困るよ、読みかけの本置いてたのに……空間転移で引き寄せるのも無理だろ? 何とかしてよ兄さん』
『兄さんって呼ぶな! ボクにも無理!』
ヘルの魔力で作られているライアーは当然ヘルの命令に逆らうことは出来ない。たとえそれが無意識に発せられた魔力と命令であろうと、ライアーはリビングに近付くのも難しいだろう。
『クラールちゃん放ったらかしてるくらいだから相当だと思うんだよね、アルちゃんも部屋に居なかったし……リビングに一緒に居るのかな? でも入れなくする理由ないよねぇ』
『理由知りたいですか? クソ邪神もどきさん』
『うわ蠅、何、ここのご飯はキミのじゃないよ』
部屋に放置されていたクラールをフェルに渡したのはベルゼブブだ。食事のために出かけて帰ってきて、廊下でダイニングの者達を驚かせるタイミングを狙っていたのだ。狙っていた割には大した反応は得られなかったが、ベルゼブブは満足していた。
『ん? 待ってキミ理由知ってるの?』
『はい、昨日ちょっと先輩に事実叩きつけて嫌がらせしたんですが……思ったより効いて先輩出てっちゃったんですよね、もう死にたいって感じで』
『本当に性格悪いよね君』
エアもライアーもアルへの嫌がらせについては聞かないし咎めたりもしない。どちらもアルそのものには興味が無いのだ、ヘルがいなければ庇うことはない。
『で、連れ戻して今居るのがリビングなんです』
『ふぅん……ん? 入れなくする理由は?』
『おや、分かりませんか? この童貞』
『魔力と土の塊が童貞で何がおかしいの!? っていうか今関係なくない!? 童貞が男への一番の悪口だと思ってるなら見当違いも甚だしいよ!』
ベルゼブブは想像以上の罵倒の効き目への驚きを表に出さず、鼻で笑った。
『兄君は分かりました?』
『まぁね。分からせてるんだろ?』
『え、何それ』
『何があったとしても勝手に出て行くなんて許されないだろ? 人の愛情を分かってないよ、死にたいとかふざけ過ぎだ、愛情注いでやってるのに勝手に死ぬとかありえない、だから分からせないといけない』
ライアーは完結したエアの説明に続きがあると思い、真剣な顔でじっと見つめる。エアは続きがあると思われていると鋭く察し、鼻で笑って説明を詳しく変えた。
『愛情を理解してない奴に愛情を理解させるには愛情を更に注ぐしかないよね』
『うんうん、やばい考えだと思うけど、まぁヘルだしね。それで?』
『え……まだ? 本当に清らかだねぇ兄さんは』
『え……今ので分かる要素あった?』
『だから愛情注いでやってるんですよ』
『……あぁ、二人で話し合ってるの? え、童貞関係なくない?』
エアとベルゼブブは視線を交わし、ライアーを嘲り笑う。
『僕、猥談ダメだから』
『愛情確認と言えばアレしかないでしょう? まぁつまり、ぶち犯してんですよ。愛情……白いアレを注いでるんです』
『……ごめん、多分違うと思う。ヘルそんな子じゃない。キミ達の頭がおかしいと思う。ボクが童貞とか関係ないと思う』
ライアーは首を横に振りながらそう言った後、フェルを見つめた。同じ思考回路であるはずのフェルなら分かると思ったのだ。巻き込まれたフェルはため息をつきつつもライアーに応えた。
『にいさまと悪魔さんが頭おかしいのは当たり前ですよ。お姉ちゃん出てっちゃったんですよね、死にたいとか言って……なら、お兄ちゃん……えっと、僕ならぎゅーって抱き締めて、ゆっくり話します』
『これこれボクの弟これ!』
『黙りなさいさくらんぼ兄弟!』
『ねぇ酷くない!? キミ童貞に親でも殺されたの!?』
『……あ、そういえば今日さくらんぼ安売りだった。クラールちゃん食べるよね、買ってくるよ。フェル、留守番よろしく』
フェルはエアが他人のために買い物に行くことに若干の驚きを抱きつつ、クラールを抱えたまま玄関まで行って手を振った。
ダイニングに帰ろうとして、教育的でない言葉が飛び交っているので扉を閉めて、リビングに向かった。
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