第740話 最期の宴会

目を覚ましたクラールに食事を与えているうちに宴会の中心は食事から酒に変わった。夜も更けてグロルに交代した小さな身体は床に横たわっている。セネカなんて座ったまま眠ってしまっていた。


『ぴぃー、ぴりりり……』


食事を終えたクラールの口を拭いていると手にドッペル達が絡み付いてきた。酔っ払いに絡まれるのも嫌だし、リビングに移動しよう。

珍しく酒を飲んでいないアルを誘ってリビングに移動してしばらく、フェルが土産の帽子を被ってやって来た。


『お菓子作ってみたけど、食べる?』


『前はクッキー食べたけど……クラール、ドッペル、ハルプ、お菓子だって』


お菓子と聞いたクラールはソファに座った僕の膝の上で飛び跳ね、ドッペル達は隣に座ったフェルの元へ飛んだ。


『わっ、わ、わ……お、お兄ちゃん』


フェルは腕の中に落ちてきたドッペル達を受け止めはしたが、触れているのも恐ろしいと僕を見つめてくる。


『可愛い甥っ子だろ? 抱いてあげてよ』


『う、うん……えっと、ドッペルちゃんとハルプちゃん? 叔父さんだよ……ぁ、何かおじさんって言うの嫌だな……』


腕に力を全く入れず、ドッペル達が動くままにさせている。小さなものに触れる恐怖はよく分かる、僕も始めはろくに抱いていられなかった。


『おとーたん、くぅーき、くっ……きぃー』


『クッキー? フェル、作ってきたお菓子ってクッキーなの?』


クラールはクッキーを欲しがって僕の胸元を引っ掻いている。


『え、チーズケーキだけど……ダメだったかな』


『あ、いや、ダメとかじゃないんだけど。クラールがクッキー欲しがってて』


『ケーキ、ダメかな……』


お菓子を位付けするならケーキはクッキーの上に当たると個人的には思うのだが、クラールは食感を重視するのかもしれない。


『……とりあえず食べさせたらどうだ』


『そ、そうだね……クラール、ケーキはどうかな。ぁ、フェル、ドッペルとハルプお願いできる?』


『が、頑張る!』


そう気張らなくてもいいとは思うけれど、フェルは慣れていないのだから仕方ない。子供達だけでなく弟の成長も楽しもう。


『クラール、ほら、チーズケーキだって。美味しいよ?』


三角に切られたケーキが乗った皿をクラールの顔の前に持っていくと、鼻を鳴らして近寄って舌を伸ばした。舌先での味見を終えたクラールはケーキに勢いよくかぶりついた。


『……気に入ったみたい。ありがと、フェル』


フェルに視線をやればケーキの中に潜り込んで食べているドッペル達の対応に困って目を潤ませていた。


『おとーた、おとーたん、もっとー!』


『まだ欲しいの? フェル……』


『あ、うん、まだあるよ』


おかわりの皿を目の前に置くとクラールは再び勢いよくかぶりつき、僕の膝の上を食べカスで汚していく。


『また貴方はそうやって甘やかす……』


『食べたいって言ってるんだからいいじゃん。ね、美味しいよね、クラール?』


わん! と元気に返すクラールの口の周りはケーキの欠片まみれでとても汚い。


『クラール、他に食べたい物ない? お父さんクッキー買ってこようか』


『お兄ちゃん、あんまりお菓子ばっかりあげちゃ良くないんじゃないの?』


『いいのいいの』


どうせ、もうすぐ……


『おとーたぁ、おかーたん……?』


嫌な想像を振り切り、二つ目のケーキを食べ終えたクラールが首を傾げているのに気付く。


『お母さん? アル……お母さんここだよ、どうしたの?』


クラールはアルの元に行きたいようだった。床に座っていたアルが僕の膝に頭を寄せるとクラールは食べカスまみれの身体のままソファに飛び降り、アルの口元に擦り寄った。


『アル? クラール何が言いたいの?』


『……私にこの食べカスを取って欲しいようだ』


そう言うとアルは大きな口の隙間から舌を出し、クラールの毛繕いを始めた。獣にとって毛繕いはとても大事なスキンシップだと言うけれど、僕には流石に我が子を舐め回すことは出来ない。出来たとしても下手くそだろうし、アルに任せた方がいい。


『きゃふっ、わぅわぅ! おかーたん、おかーたぁ、すきー!』


『……ドッペル、ハルプ、食べ終わった? 君もお母さんに毛繕いしてもらう?』


皿の上のドッペル達を手に絡ませ、その細長い身体や翼に付着したチーズケーキの破片を眺める。毛皮や羽根は厳しいが、鱗なら舐めても……いや、でも……


『ヘル、ハルプとドッペルを寄越せ』


『ぁ、う、うん……』


しっとりと濡れたクラールを受け取り、ドッペル達を渡す。本来なら蛇は体を舐めたりするのだろうか、鳥は羽根を整える姿をよく見るけれど、蛇をじっくりと観察した経験はない。


『おとーたん、おとーたん、おててー』


『ん……? これ手だよ?』


膝の上で僕の手のひらを踏んでいるクラールが何かを要求している。しびれを切らしたように頭を手に擦り付け始めたのを見て、撫でろと言っていたのだと気付く。


『……お父さんダメだねー。ごめんね、クラール』


『きゃう? わん! おとーた、おてて……すきー』


『…………僕の手、好き? そっか』


四足歩行の獣にとって器用な手で全身を愛撫される感覚なんて互いに身体を擦り寄せ合っても再現出来ないだろう。アルも撫でろとよく言うし、カルコスも撫でると心地良さそうにする。


『わ、な、何? お兄ちゃん……』


『……いや、喜ぶかなーって』


フェルはどうだろう、そんなふざけた思考回路で空いていた手をフェルの頭に伸ばした。


『嬉しい、けど、ちょっと……恥ずかしい』


『……そっか』


帽子と髪の隙間に差し込んだ手を引いて、両手でクラールを包んで撫で回す。


『ぁ……』


フェルは一瞬寂しそうな顔をしたが、すぐに取り繕って帽子を整えた。今は彼に構っている余裕はないけれど、また後で思い切り甘やかしてやろう。


『ぱぱー、ぱぱぁ』


小指の根元に噛み付く蛇、小指に顎を乗せる蛇。念入りな毛繕いを受けて湿った体と翼を駆使してドッペル達は僕の手の上に乗ってきた。


『どうしたの、ドッペル、ハルプ』


『ままー、ね、きぇー……ぁの』


『……アル、何言ってるか分かる?』


『ママに綺麗にしてもらった、と言いたいらしい。貴方に報告しているんだ』


僕に知らせてどうする気なのだろう。いや、聞いて欲しかっただけだろうか。クラールを撫でていた手で二つ頭をまとめて包むようにして撫でると、クラールがその手を引っ掻く。


『クラールはこっち、ほら、こっち』


頭を撫でる手に絡んだドッペル達を持ち上げ、ドッペル達を乗せていた手でクラールの頭を撫でる。


『……貴方の手は大人気だな』


『そんなに器用な訳じゃないんだけどね』


子供達は大人しくなって目を細めている、眠くなってきたのかもしれない。そろそろ寝ようかとアルに言おうとしたその時、ソファの背もたれ越しに手の中を覗き込まれた。


『ぅわっ……! ぁ、に、にいさま』


『……寝たの?』


『まだ、だけど』


兄は背もたれを乗り越えるとフェルを押しのけて僕の隣に体をねじ込み、クラールに手を伸ばして途中で止め、僕の目を見つめた。


『…………いいよ』


触ってもいいかと聞いているのだと察し、頷く。


『……わぅ? わぅっ、はむ……わぅー?』


クラールは背を撫でた知らない手に反応し、人差し指を前足で挟んで指先を口に入れた。


『お父さんのお兄ちゃん、叔父さんだよ。食べちゃダメだよ』


『おぃたん? おぃたん! ぁうー』


『……何かおじさんって呼ばれるの嫌だな』


フェルも似たようなことを言っていたな、気持ちは分かる。クラールは更に激しく兄の指を噛む、兄がそれに苛立つ様子は見られない。意外だ。


『ヘルの子はもう少しヘルに似てるものだと思ってたけど』


『んー……そのうち僕似の子も生まれるかもよ?』


『へぇ? まだ作る気? いいね、甥っ子も姪っ子ももっと欲しいよ。あ、この子は甥っ子? 姪っ子?』


『全員女の子、姪っ子だよ』


クラールが何かを噛んでいることに気付いたハルプが僕の手の中から頭を抜き、兄の手の方へ向かう。しかしドッペルは僕の手の中に居座ろうとしており、ハルプは中途半端な位置で止まってしまった。


『ぁ……にいさま、ハルプ撫でてあげて。真ん中の蛇の子』


『この子? 小さいね……プチってやっちゃいそう』


それは不慮の事故の話か? それとも加虐衝動の話か?


『……人型の子の頭を撫でてみたいな』


兄はしばらく子供達を撫で回し、そう言い残してリビングを去った。相変わらず何を考えているのかよく分からない。

今度こそ部屋に帰ろう。


『アル、そろそろ眠くない?』


『む……私は平気だが、ハルプとドッペルは眠そうだな』


『部屋、戻ろっか』


アルの賛成を聞くとほぼ同時にフェルに就寝の挨拶を告げ、子供達を抱えて部屋に向かった。大人しくはしているが先程まで寝ていたクラールの目はぱっちりと開いている、開いたって閉じたって何も見えないのに……


『お風呂はご飯の前に入ったし……どうしよう。今日はもういいかな』


寝間着に着替え、子供達をを抱いてベッドに腰掛ける。その頃にはドッペル達は静かな寝息を立てていた。

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