第734話 子連れの旅行

遠足、旅行、そんなふうに呼ばれる日常に程近い非日常。生命の期限が迫っていなければ家の裏の山だとかで済ますけれど、今は最高の思い出を作れる場所を探らなければならない。


『観光名所……とかでいいのかなぁ。僕はゆっくりするの好きだから温泉とか広いだけの草原とかがいいけどさぁ、子供ならもっと遊べるところの方がいいよね?』


『狼や蛇の子が人間用の施設で遊べると思うか?』


『それは……まぁ、そうだけどさ』


どうしてそうトゲのある言い方を──と言おうかどうか迷っていると、突然刺激臭が鼻腔を突いた。庭の片隅、積み重なったレンガの隙間……だろうか? レンガの辺りから霧のようなものが噴き出している。


『また来た……!』


手のひらに極小の雨雲を浮かべ、そこから雨水が固まった剣を抜く。霧の奥から実体化する形すら補足出来ない何かを迎え撃つため、とりあえず嗅覚を消す。この距離でも目眩がするのに間近であの臭いを食らっては立っていられない。


『アル、あれ前にも来た奴で対処法分かってるから僕がやるよ。下がってて……アル?』


敵襲だというのに唸り声すらも上げないアルを不審に思い、体を離してアルを観察する。


『えっ……アル? アル!? 大丈夫!?』


僕の支えを失ったアルの身体は重力に従って地面に横たわる。アルの様子を探るために屈むと猟犬とやらが飛びかかってきた。


『しまっ……た、けどよしっ!』


咄嗟に極小の雨雲を投げ付けると、ただ水が寄り集まっただけのそれをまるで小さな爆弾かのように警戒し、距離を取った。


『アル、アル起きて! アル!』


全く動かないアルを揺さぶり、視線は猟犬に注ぎアルに声をかけ続ける。

猟犬と僕達の間に帯状の雲を作り出し、向こうが影しか見えないくらいに強い雨を降らせる。剣を捨ててアルの頭を抱き上げると、猟犬は雨の中を突っ切って飛びかかってきた、その身体は酸でも浴びたかのように溶けていたように思えた。


『狂言……通り雨』


投げ捨てた剣は水溜まりになっており、そこから伸びた鋭い針が猟犬を突き刺す。帯状の雲から降った雨により地面に溜まった水からも針が伸び、猟犬は以前と同じように串刺しになった。同じ個体かどうか、個体の生物なのかすら分からないけれど、ひとまず危機は去った。


『アル……? アル、大丈夫? とりあえず……部屋、帰ろうね』


猟犬の撃退を確認し、雨雲と雨水を消す。雨は魔力によって再現された現象であり、力を収めれば短い草も土も乾く。

アルは抱きかかえて部屋に戻る途中、扉を開けるために床に下ろした時に目を覚ました。


『アル? 大丈夫?』


『ん、ぅ……ヘル? 私は一体何を……確か、庭で話して……妙な気配が、あぁ、頭が痛い……』


『アル、急に倒れたんだよ。どうしてか分かる?』


僕は猟犬に襲われたことを手短に離し、倒れた心当たりを再度尋ねた。


『……済まない、敵が来た時に倒れるなんて……理由は分からない。顔の中心に突き刺すような痛みがあって、次の瞬間には此処に……』


『敵が来たのにじゃなくてさ、来たからだったりしない?』


顔の中心と聞いて何となく察した。鼻腔を突き刺すような──滅多刺しにされたようなあの腐った刺激臭は僕でさえ意識が遠のく代物だ、ずっと優れた嗅覚を持つアルにはさぞ辛かっただろう。


『酷い臭いだったし、それで倒れたのかも』


『……臭いで倒れるのか私は。情けないな、貴方が居なければどうなっていたか』


僕が居なければ襲われなかったと思う。というか、あのまま僕が猟犬にやられたとして、その後アルも襲われたのだろうか? あの時はアルが危ないという思いもあっていつも以上の殺意を抱いていたけれど、猟犬はアルを狙わなかったかもしれない。


『ふふ……ヘル、私の旦那様。貴方は私が守ると決めたけれど、貴方を守れなかった時は自分が矮小なモノに思えるけれど……貴方に守られると心臓が跳ねる』


気恥しそうに、それでも甘えるアルの頭を抱き締める。


『……ヘル、こんな姿をしておいてと、何百年も生きているのにと笑えるだろう。けれど……今、私は、貴方に抱き締められて少女のようにときめいている』


右腕を首に、左腕を翼の上に、より強くより密着して愛情を表現する。


『何言ってるの、アルは少女だろ』


『…………馬鹿を言うな。私はただの化け物だ』


『随分可愛い化け物だね。是非口付けさせて欲しいな』


左手を頬に移動させ、右手の甲で反対の頬を撫でる。慎重な愛撫に瞼を下げる仕草が可愛らしい。


『ふふ……今や一国の王となった貴方が口付けたところで私は獣のままだ。美女になんて変わらないよ』


『そりゃ元々美女だからね、キス一つで換毛なんてしないだろうし』


『…………貴方は、本当に……困った人だ』


今、僕は何か困らせるようなことを言っただろうか。むしろこういう時だけ自分を卑下するアルの方が僕を困らせている。


『アルは可愛いし格好良いし綺麗だし美人なんだからさ、もっとこう、堂々としてよ。こんな美女が目の前にいるんだぞーくらいの態度取ってよ』


『無茶を言うな……』


『謙虚過ぎると嫌味っぽいよ? こーんな美女が見た目を誇らないなんて、他の人自信なくすよ』


『…………前々から思っていたが貴方は目と頭がおかしい』


失礼だな、頭はともかく目はまともだ。

アルも自分が美しいと知っているはずなのに、それを表に出していた時期もあったのに、どうして今更変わったのだろう。


『ま、いいから。ほら、部屋入ろ』


不機嫌……いや、照れている様子のアルの頭を撫でてからドアノブに手をかける。子供達が起きないよう音をあまり立てないようにと気を付けて扉を開けたが、意味は無かった。


『ぁおー……ん、きゅーん…………ぅん、くぅ……』


『ぴー、ぴりっ……ぱぱー、ままぁー……』


扉を開ける前から起きていた。僕達が居ないことに気が付いて鳴いている。


『クラール、ドッペル、ハルプ、起きちゃった? お父さんここだよ、ほら、パパだよー』


ゆっくりとベッドに乗って声をかけると膝の上にクラールがよじ登り、顔にドッペル達が飛びついた。


『おとーた、おとーたぁ!』


『ぱぱぁ……』


側頭部を翼でべちべちと叩かれる。案外と力が強く、痛い。細長い胴を掬うように手を添えると羽ばたきをやめて手に絡みついた。


『……寂しい思いをさせてしまったようだな』


アルが僕の隣に腰を下ろし、クラールに毛繕いをする。クラールはアルに任せて僕はドッペル達を優先的に構おう。


『寂しかった? ごめんね、大丈夫だよ』


『ぱぱぁ……ぱぱー、ぴりりりっ……』


クラールとは何となく会話出来るけれど、ドッペル達とはまだ上手く話せない。話せるようになるまで彼女達はきっと生きられない。


『……ドッペル、ハルプ……好きだよ。パパは君達のこと大好き。何があったって……いつまでだって、愛してる』


死んでしまった後、霊体になった彼女達は自身の死をよく理解していたように思えたけれど、今はどうなのだろう。迫る死を悟っていたりするのだろうか、それとも苦痛が無いから分からないのだろうか。


『おかーしゃあ、わふっ、きゃふふっ……わぅ!』


『……クラール』


『わぅ?』


『………………どこにも、行かないで』


膝の上にアルの頭も乗る。クラールは毛繕いの再開を求めてアルの口元に顔を擦り寄せ、前足で踏む。しばらく要求を続け、再開は遠いと察すると今度はアルの頬を舐め始める。


『……下手だな』


そう言いながらもアルは嬉しそうに毛繕いを受け、しばらくするとクラールへの毛繕いを再開した。そのうちにクラールは寝てしまい、アルの尾によって慎重に籠の中に戻された。


『ヘル、ハルプとドッペルを……少し』


手に絡まり頬に擦り寄ってきていたドッペル達をアルの口元に下ろすと、その小さな黒翼に舌を添わせた。ドッペル達は僕の手首に巻きついたまま手の甲に二つ頭を置いて大人しくなる。僕はその二つの額を指の腹で優しく擦る。


『ぴりりっ……ままぁー、ぱぱぁ……ぴぴっ』


その鳴き声を最後にドッペル達は眠りに落ちた。眠っているだけとはいえ動かなくなった娘達の姿を見るのは辛い。本来なら慈しむべき時間なのに、心臓が破裂しそうなくらいに騒がしくなる。


『…………ヘル』


『……ん? なぁに、アル。アルも寝る?』


籠を枕元に移動させ、寝転がる。腕を伸ばすとその上にアルが顎を置く。


『ヘル、一度目は……貴方が過去に戻ったのは、何があったからなんだ?』


『……アルがね、天使に襲われて、お腹を……その』


『…………流したのか』


『僕は、アルのお腹に子供が居たことすら知らなくて、アルから聞いて、それで……過去に戻って天使を一人でやっつけたんだ。来るのは分かってたからさ』


その過程で天使の力をまた一人分得たという話は──難しいからまた今度にしよう。どうして取り込めたのかを伝えられるとは思えない。


『それで、無事に産まれて……普通に過ごしてたら血を吐いて。寿命だって聞いて、また過去に戻って天界に行って…………でも、寿命どうにも出来なくて』


あの行為に意味が無かったと思いたくはない。寿命は伸ばせなかったけれど、きっと安心して産まれてこれたはずだ。


『……にいさまに頼んでアルとクラールが巻いてるのと同じスカーフ作ってもらって、それで、苦しそうにすることはなかったんだけど……アルも知ってるよね、何の前触れもなく死んじゃって。寝てるからって油断して仕事してた僕は何も出来なくって、一人で死んだなんて可哀想過ぎて、もっと思い出作らなきゃって、今度こそ僕達で見送るんだって』


『…………ヘル』


薄い毛布の上から黒翼が僕を包む。


『一人でよく頑張ったな』


『ぁ……あっ、アルっ……アルぅっ……!』


『貴方はとても素晴らしい事をしているけれど、それは褒められるべき事だけれども、一人で背負ってはいけない。半分は私に寄越せ、それが夫婦だろう?』


『うんっ……うん、ごめんね、ごめん……大好き、アル……ありがとう』


出会った時からずっと、辛いことはアルに押し付けてばかりいた。だから一人で背負えるくらいに強くなれた今からはアルの不幸も僕が背負うと気張っていたけれど、その行為はアルにとって重荷になるらしい。

それなら、半分だといって一割程度を渡して、アルに幸福だけを与えられない自分自身を罰しながら共に歩んで行こう。

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