第637話 給餌

食堂には長机が四つずつ五列に並んでいる。四つある長机の端の一つを横にしてそこに僕が爆散させたタコの破片が並べられていた。そして中心の一列を僕の仲間達が占領し、その両側の一列ずつを少女達が埋めていた。


『あ、ヘルシャフト君起きたの? これ気持ち悪いけど美味しいよ』


『セネカさん……どうしてそんな端の席に?』


『……後ろが女の子だろ? だから女の子にならないといけない。でも、隣か向かいは絶対男になるから……会話には参加出来てるから気にしないで』


セネカは皆から一席分開けて端に座っている。そんな彼女のささやかな努力を無駄にしないよう、僕は彼女から離れた席に座った。


『あれ、茨木。何か落ち込んでる?』


『……うちな、たこ焼きが良かってん』


それはクラーケンが生きていた時から聞いていた。


『たこ焼いたやつあるよ?』


並べられた料理には焼いたタコに何か味付けを施したものもある、味覚の鈍い僕には弾力しか楽しめないけれど。


『頭領はん、たこ焼き言うんはな、丸いんよ。生地作って、タコや小エビやキャベツや入れて……まん丸のん食べるんよ。一口で食べたら口ん中あっつぅてなぁ』


『ふぅん……? だいぶ違うみたいだね。作ってもらったら?』


『あかんあかん頭領、あんな変な鉄板妖鬼の国以外にあれへんわ』


『あ、酒呑。このタコ噛み切れないんだけど』


『水で流し込み』


説明を聞いてみれば、半円に凹んだ専用の鉄板がなければ作れないと分かった。まぁ平たい鉄板で丸を作るのは難しいと思う──丸にこだわらなければいいのではないだろうか。


『……でもそれ専用の鉄板って他に使い道ないよね』


『何言うてんねん頭領しばき回すぞ』


『平らの鉄板より出番多いわ』


『な、なんかごめん』


使い道に『ヘルシャフトを殴る』が追加されそうな気迫だ。逆鱗にソフトタッチと言ったところだろうか。


『しょーぉーねーんー……顎疲れたぁー』


空席だった右隣にベルフェゴールが移ってくる。その隣のセネカはベルフェゴールが女性の姿をしていたからか特にたじろぐこともなく食事を続けた。


『起きてるなんて珍しいね』


『少年、おねーさんとも子作りしないかい! って誘うつもりで起きてたんだよねー』


地獄の底から届いたような低い唸り声が机の下で響いている。


『……どうしようもないよねベルフェゴールって』


『いきなり辛辣じゃん少年、そういうのも割とイケるよおねーさん。ま、子作りなんてクソめんどくさいこといくらかぁいい少年とでもやりたくなーい、だから今晩は一緒に寝ようね』


だから、の意味が分からない。


『僕はクラールをあやすために歩き回るし、何時間かごとにクラールが鳴くし、僕もクラールが起きている間は喋り続ける、僕がうたた寝してしまった時にもしクラールに近付いたら安全の保証はちょっと難しいし──』


『ぁー、もういいもういい。一人で寝る』


『悪魔はん、うちと一緒に寝ぇへん?』


『あんたごついからやだ』


椅子を少し引いて、足を軽く開く。するとアルが足の間から顔を出すので、そこにクラールを置いてみる。


『クラールにも食事をやってくれ』


『ん? あぁ……噛んで』


人差し指を差し出すもアルは僕を見上げるだけで口を開かない。


『アル? クラールまだ僕の皮膚食い破れないから君が噛んでくれないと』


『…………そうではなく、タコだ。貴方の血は栄養価は申し分無いが液体だから満腹感が直ぐ薄れる。噛めるものをやってくれ』


『あぁ、分かった。せっかくのパーティだしね』


タコをクラールの一口大に切り分け、鼻先に持っていく。嗅いだことのない匂いに興奮してか後ろ足がピンと伸びていた。


『タコだよ、タコ、ターコ』


『ちゃこぉ……?』


『そう、たーこー……食べ物だよ、アーンして』


『待て、ヘル。そのままでは固い、喉に詰まる』


慌ててタコを持ち上げ、口を開けたクラールには僕の指を噛ませる。甘噛みは視覚にも触覚にも可愛らしい。


『どうすればいいの? 潰す?』


『狼の雄は吐き戻しを行う』


『……えっと?』


『噛んで、柔らかくして、吐くんだ』


『…………僕、人間』


『この子は狼だ』


鳥なんかがやるとは知っていたがまさかそれをやる獣がいるなんて、それも狼だなんて──僕にも人間の尊厳というものが一応ある。吐いたものを我が子に食わせるなんて出来ない。


『……おっ、狼は、ほら、手がないから口でやるんだろ? 僕には手があるから、手で潰すよ。ほら、汚いし……』


『…………貴方の唾液が混じることで免疫等のメリットが有るかも知れん』


無いかもしれない。


『む、虫歯とか……さ? 三歳くらいまでは食器とかキスとか気を付けろって言うよ?』


『ヘル、虫歯があるのか?』


『ないんだよねー、それが』


学校を辞めさせられるまでは僕は大切に育てられていた。親よりもやる気を出して育児書を何十冊と読み漁った兄の完全な管理下に置かれ、すくすくと育った。虫を口に詰められたことはあっても虫歯なんてある訳がない。


『……分かったよ。やればいいんだろやれば。机の下でやるからアルそっぽ向いててよ』


『何だ、恥ずかしいのか? 変な感覚だな』


『はいはい僕は変わり者ですぅー、ほらクラールおいで』


『きゃわ、り……もにょ?』


『それは覚えなくていいからね。ご飯食べよ、タコだよタコ』


机の下に潜り、代わりにアルを席に座らせる。猫はイカを食べると腰を抜かすとか聞くし、狼にタコを食わせて大丈夫なのかとか心配はあるけれど、同種で母親のアルが食わせろと言ったのなら大丈夫だろう。


『…………あーん』


『ぁーう! わぅ、わふ、わん!』


今気付いたが、クラールは前足が器用だ。猫のように曲がって僕の指を掴んでいる。掴むと言っても指を動かせば簡単に解けてしまうくらいの力だけれど。

よくよく見ればアルと親指の位置が違う、後ろ足はアルと同じなのに。変わっているな……前足の指は少し長いような……いや、そうか、これは……


『僕に似たとこ、あるんだね』


……人間寄りなのか。

僕に似たら可愛くないはずなのに、僕は醜いはずなのに、器用な手なんて人間の最も罪深い部分なのに、愛おしさが膨れ上がる。


『…………他にも、あるかなぁ。ふふ、机の下から出たら見てみよっかな』


『あぅー? わぅ、わぅ!』


『……おとーさん』


『お、ちょ? ぉしゃ?』


『そう、お父さん……おとーさん、僕のことだよ。おとーさん、呼んでごらん?』


喋れなくったっていいなんて思っていたけれど、喋れるのなら喋って欲しい。僕を呼んで、僕を求めて、僕を必要として欲しい。


『おちょー、しゃ? おとー、たん。お、ちょ、しゃん?』


『…………ふふ、可愛い、可愛い……』


『かぁ……いー?』


言葉の意味はまだ理解出来ないのだろう。ただ聞こえた音をそのまま繰り返しているだけだ。目は見えなくても耳はいいのか真似るのは上手い。


『アルのことはお母さんって呼ぶんだよ。そろそろお腹いっぱい? 戻ろっか』


机の下から這い出れば明暗差に視界が歪む。クラールの目元を手で隠し、光すらも分からないのだと思い出す。それでも机の下よりは騒がしいかと三角の耳を手で覆う。


『……ねぇ、アル』


『何だ、ヘル』


『クラールが生まれてくれて良かったね、僕すっごい幸せ。ありがとう、アル』


『…………あぁ、愛してやってくれ』


アルは俯いて声を震わせた。表情を見たくなったがアルは机の下に引っ込んでしまい、仕方なく手探りで喉元を撫でた。


『アルも愛してよね?』


『あぁ……勿論、当然だ。腹を痛めて産んだ我が子を愛さない母親など居るものか』


『……………………居るよ』


『……ヘル? 済まない、聞こえなかった。何か言ったか?』


『なんでもないよ』


包丁を振りかざした母の姿が瞼の裏に浮かんで、産まなきゃよかったと叫ぶ母の声が喧騒を消し去った。

そして指に感じた微かな痛みが僕を現実に引き戻した。

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