第634話 うたうもの

食事に戻り片手間に仔犬をじゃれつかせていると、隣にツァールロスが座った。


「よ、昨日は途中で帰って悪かったな。ちょっと呼び出されてさ」


そういえばツァールロスは僕が仔犬を抱えて飛び出して、部屋に戻ったら居なかったな。


『呼び出しって?』


「ウェナトリアとカルディナール。兵隊共が帰ってこないんだとよ。小隊三つに様子見の三人編成が四つ、だから……えっと、五十一人帰ってこないんだ」


『五十一……!? ただ事じゃないよ』


神虫が動いたら知らせるようにとライアーに頼んでいる。常に探知魔法で見張っているはずだ、ということは神虫に喰われた訳ではない。


「だからウェナトリアが今朝から見に行ってんだ、何があっても正午には戻るって言ってたんだけど……帰ってこないんだよな」


『ウェナトリアさんまで? 大変じゃないか』


「うん、だからお前に個人的に頼みに来た。報酬はこのケーキ」


ツァールロスは机にケーキが入っているらしい蓋を閉めた皿を置いた。少し覗けば昨日作ったケーキが変わらぬ姿で出迎えた。


『……一緒に作ったやつだよね?』


「ウェナトリアの危機だ、報酬無しでも動いてくれるよな?」


『うん……動くよ、動くけどさ、渡す気ないなら報酬の話しないで?』


「ところでそのちっさいの何?」


『息子か娘…………娘だった』


こんな形で性別確認したくなかった。ツァールロスからの質問を全て遮り、仲間を連れてウェナトリアが調査に向かったという方面に出向いた。


『やぁーだぁー……歩くの面倒臭いぃ、しょーぅーねーん……も、やだー』


叩き起されたベルフェゴールは起きた瞬間からこの調子で、アルメー宅から少し離れた森を歩いている今も続いている。とうとう限界が来たと僕に覆い被さって来たので、無意識に殴ってしまった。


『お、女の子殴るとかサイテー! 酷いよしょーねん! でも……ドメスでバイオな少年ってそれはそれで……うぅん、キツイな。少年でもキツい……』


『ごめんなさい……僕の意思じゃないんです』


『えっ、じゃあ何』


『…………本能? 条件反射? 的な……生物の不思議です。娘抱いてるので……本当にごめんなさい、僕に触らないでください』


ベルフェゴールは納得していない様子だったが僕の返答の意味が全く分からなかったらしく、黙り込んだ。


『……何か聞こえる』


先頭に立つ案内役のツァールロスを守るため、隣に寄り添っていたカルコスが足を止める。クリューソスとアルも耳をぴくぴくと揺らし、何か音を拾っているようだった。


『……酒呑、茨木、セネカさん、兄さん』


『なんも聞こえへん』


『うちも』


『ボクも』


『同じく……なんでお兄ちゃん最後だったの?』


魔物は人間より身体能力が優れている、五感の鋭さもだ。だが、人型の魔物と獣型の魔物では違いが出る、どれほどの差なのかは分からないけれど。


「何が聞こえるんだ?」


『……歌?』


『のように聞こえるな』


『……賛美歌に似ている』


賛美歌……正義の国から何か来たのか? 賛美歌を眉を顰めることなく最後まで聴けるのはクリューソスだけだろうな。


「…………何か居るみたいだし、静かに行こうな。ライオン、聞こえるならそっち行ってみてくれ」


目線を送り合い、呼吸すらも制限するような緊張の中、足音を気にして下を見ながら進む。歌が鬼達とセネカにも聞こえるようになった頃、腕の中でうつらうつらしていた仔犬が身体を起こした。


『ぁうー……ぁぅあうあぅ、ぁぅー……』


寝惚けているのか何かを話すように甲高い鳴き声を上げる。鳴き止ませようと腕を揺らしながら歩いていると、仔犬は不意に姿勢を正し、遠吠えを始めた。


『ぁうー…………あぉーーん……わぅー……』


『こ、こら、ダメ! 遠吠え禁止、ダメ!』


抱いたまま飛び跳ねても腕を揺らしても効果はない。まるで何かに呼応しているかのように遠吠えを繰り返している。皆の視線が集中する──いや、アルだけは先を見て、そのまま足を進めている。


『……何か近付いてくるな、大勢居る』


クリューソスがそう呟くと酒呑が僕の肩を掴み、後ろに下がらせた。


『子供離しなや。茨木、殿頼むわ』


『はいはい。突っ込むん?』


『……虎、どないする』


『囲むように広がっている、突破するぞ』


クリューソスはツァールロスをすくい上げ、走り出した。ベルフェゴールと酒呑がそれに続き、僕も慌てて走り──木の根に足を引っ掛けた。派手に転ぶはずだった僕は赤銅色の翼に掬われ、カルコスの背に乗る。


『鈍臭いな、ガキ!』


『あ、ありがと……』


『それとな、ガキのガキの遠吠え……おそらく返事だ。歌と噛み合っていた』


僕にはまだ歌が聞こえない。先に行っていたアルを見つけてクリューソスが立ち止まる。流れていた緑の景色が静止すると木の影から黒い鎧に身を包んだ少女達が現れた。


「アルメーの連中だ……おいお前ら、無事だったのか? どこ行ってたんだよ」


アルは少女達を見つけたから先に行って、今は立ち止まっているのだろうか。何か言ってくれれば良かったのに。

ツァールロスがクリューソスの背を降りて少女達の元に向かうと、木の上からウェナトリアが降りてきた。


「うわっ! ウェナトリア、お前も居たのか。心配したぞ。何ともないのか?」


彼は珍しくも目隠しを外し、その八つの目を晒していた。ウェナトリアは何も言わず、少女達から両刃の剣を十本受け取った。


「ウェナトリア……? おい、大丈夫……」


手に持った二本、脚が掴んだ八本、その全てがツァールロスに向けられた。


「……じゃ、ないみたいだな」


僕には彼女が切られてしまったように見えたが、どうやら後ろに跳んで避けたらしい。


『おやおや、契約者? 女のコに武器を向けるのは感心しないなー……お前、誰だ』


ベルフェゴールは酒呑を盾にするようにして肩から顔を覗かせる。ウェナトリアの返事はなく、剣を鞘から抜く音が四方八方から聞こえてくる。


『この歌……まさか、セイレーンか!』


「なんだよそれ」


『歌で船乗りを惑わす魔物だ。いや、しかし……人を操るような力はないはず……』


操る──アルはそういった術に掛かりやすい、まさか既に術中に落ちてしまったのか、僕にはまだその歌とやらも聞こえていないのに。


『魔物なら僕が黙らせる。振り切って元を叩こう』


『……そうだな。おい悪魔、眠らせろ』


『えー……めんどくさーい、しょーがないなぁ……ちょっとだけだぞ!』


漂っていた木霊が一斉に引く。鳥や虫が木から落ちてくる。だが、ウェナトリアと少女達は船を漕ぐこともなかった。


『えっ、あ、あれ? おかしい……あれ?』


『サボるな悪魔!』


『さっ、さぼってないもん! 本気出した!』


睡眠を誘うことすら出来ないほどの深い洗脳の中に居るということか。いや、上級悪魔の呪いを振り切らせるなんて……同程度の力を持っているとでもいうのか? そんな術を使える者が居るのか? 居たとしてどうして襲ってきているんだ? まさか天使か。


『……アル! 歌ってる奴のところまで僕を運べ!』


どれほどの力を持っていようとも、魔物を操るというその一点なら僕に勝る者はいない。アルは虚ろな瞳のまま僕の元に戻り、僕を背に乗せて飛び立った。


『皆! 殺さないように戦って!』


下に向かってそう叫び、右手に仔犬を抱いて左手でアルに掴まる。眼下に広がる無数の木……進行方向にある一本が異様な揺れを見せた。


『……アル、曲がって!』


揺れていた木の上に差し掛かる直前でそう叫び、急旋回させる。飛び出してきた者とすれ違い、アルの翼が僅かに切られた。


『ウェナトリアさん……アル、もっと高く、速く!』


アルが翼を動かすよりもウェナトリアがこちらに跳ぶ方が速い。咄嗟に小烏を呼ぶと影から飛び出した刀が眼前に迫った剣を防ぎ、峰が僕の額を打った。左手で柄を掴み、二撃目を弾く。


『主君! 三方向から来ます!』


『……アル! 持って!』


ウェナトリアに向かって刀を投げ、アルから飛び降りる。弾かれた刀をアルは命令通りに咥え、ウェナトリアから離れた木の頂点近くの枝に乗った。落ちていった僕は枝に受け止められ、十本の剣に反射した陽光に目が眩んだ。


『自由意志の加護を与える!』


ぎゅっと仔犬を抱き締めてそう叫び、僕を受け止めた枝が切られる音を聞いた。

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