第617話 顔を埋めるなら

触角に始まり四枚の翅に四本の腕、そして複眼。人間に比べて部品が多いが、頭を撫でられて嬉しそうにする子供の笑顔はどんな姿をしていても可愛らしく思えるものだ。


『えっと……それで、ウェナトリアさん。ベルフェゴールの居場所は見当もつきませんか? 契約したされた同士は何となく相手の同行が掴めるはずなんですけど……』


「そうなのか? よく分からないな……何も感じないよ」


ベルフェゴールが既に消失してしまっているから……なんて話ではないだろうな、ウェナトリアが鈍いだけという平和な結末を願っておこう。


「そんな悪魔より強い神様が来てくれたんだぜ! もう悪魔に寿命吸われなくていいんだぜ、王様!」


『……寿命?』


「ぁ、あぁ……この島に戻ってきたら呪いの影響を受けてね、ナハトファルター族の子達もだ。悪魔様

はバラバラに解除するのは手間がかかるから……と、ね。その為の魔力を寿命を削って絞り出したんだ」


魔力だけではないが魔力は生命力だ、貯蓄量以上に吸えば寿命を削る結果になる。


『…………気を付けてくださいね』


魔力を渡すなは契約違反だし、寿命を削るなも僕が口出ししていいものではない。


『……それで、悪魔より強い神様って何かな?』


「でっかくって強くて口が大っきいんだぜ! 俺、卵の中で神様に会って、腕貰ったんだぜ!」


「……待て、腕を貰った……だと? その余分な腕か?」


自由自在に動かせるのなら便利だろうし余分とは言えないと思うけれど。


「…………調べた方が良さそうだな。なぁ、えっと……あれ? すまない、君、名前は……」


『ヘルシャフト・ルーラー、覚えられなければ魔物使いでいいですよ』


忘れられたことを忘れられてしまいがちだが、僕という人間の存在はこの世界の誰も覚えられない。魔物使いとして、自由意志を司る天使として、だとかなら覚えていられるようだが、ヘルシャフト・ルーラーはすっかり消えてしまった。


「…………魔物使い君。契約相手を喚ぶ方法とかはないかな、悪魔というのは元来そういうものなんだろう?」


『ぁー……そういうのは、アル?』


悪魔の生態だとかには詳しくない。アルに視線を移すと簡単な召喚陣と呪文を教えてもらえた。


『こんなのあったんだ……』


「これだけでいいのか?」


枝で地面に召喚陣を描き、訝しげに尋ねる。


『……後は血や肉があればいい。喚んだ後に魔力を要求する悪魔も居るようだから一応構えておけよ』


血や肉……か。

僕は影から刀を引き出し、左腕の肘から下を切り落とした。


『やってください、ウェナトリアさん』


「なっ、何をやってるんだ!」


『へっ? ぁ、大丈夫ですよ。ほら、治りました』


「え……? いや…………治ればいいというものではない、後で説教するからな」


治るのに、痛くもないのに、損がなくて良いことづくめなのにどうして嫌がるのだろう。アルもそうだったけれど、感覚の違いで片付けていいのだろうか。


『……んー、ん? 眠ぅ……痛っ、いたたた……』


ウェナトリアが簡単な呪文を唱えると召喚陣の上から僕の腕が消え、代わりに胎児のように丸まった体勢のベルフェゴールが現れる。呑気な声に胸を撫で下ろしたのも束の間、彼女の寝間着のような服が赤黒いシミで汚れているのに気が付いた。


『ベルフェゴールっ!』


『ん? んん? おぉ……いつかのかぁーいい少年……今際の際ってイイもん見れるんだなー、これが走馬灯かぁ。なら無茶なお願いもオッケー? おねーさんが死ぬまで添い寝してよー』


『僕は幻覚じゃないよ、どうしたのその怪我! 何があったの!』


はだけた寝間着の胸倉を掴んで上体を起こさせると、右腕の欠損と左足の粉砕骨折が分かった。


『ちょっ、ちょっと魔物使い君、乱暴だよ!』


セネカに手を剥がされる。支えを失ったベルフェゴールは再び地面に横たわり、胸倉を掴んだせいか寝間着は更にはだけて胸部が完全に露出した。


『わっ、わーっ!? ボクのせいじゃないよね!? ボクのせいじゃないよね!?』


『うるさっ……ちょっとセネカさん落ち着いてください! 羽と尻尾振り回さないでください危ないですって!』


セネカは反射的に焦ったようだが、見て照れたり生唾を飲んだりするような裸ではない。皮膚が剥がれたりちぎれた筋肉が零れていたり肋骨が飛び出ていたり……別の意味で目を覆いたい。


『……む、かぁいい少年の熱い視線を感じる。ぉ? 出ちゃってるじゃーん…………見たい? 少年』


態度は相変わらずだが、顔色は悪い。当然ライアーに頼んで傷は治してもらったが、ボタンを閉めようとする様子はない。


『んー、本調子。グロからエロに路線変更完了的な! さ、少年、いくらでも見ていいしぃ、触ってもいいよん』


『……開けっぴろげな乳に意味は無い』


『お、言うねぇ狼。じゃあ半分くらい隠れる方がそそられるのかなー? どうどう少年』


たわわな乳房を半分隠して軽く揺らし、僕に詰め寄る。


『…………ベルフェゴール様、私共は貴方様が助けを求めていると聞いて参上したのです。戯れはおやめになって状況を説明してください』


視線と返事に迷う僕に代わってアルが応対する。頼りになるなぁ。


『いやー、底で寝てたら急に虫っぽいのに齧られたから魔界に連絡して逃げ回ってたんだよねー? 虫が急に追いかけんのやめて、ちょっと落ち着いたかなーって思ってたら急に呼び出すじゃあん? もうこっちが説明欲しいくらい的なー?』


虫っぽいのと言うとやはり神虫だろうか。


『あぁでもかぁいい少年に見せつけられたからいいやぁ……』


『ぺド露出魔、ちょっといいかな』


『おっと人外レベルな美男じゃあん、十年早く出会いたかったなぁー』


『キミはあの虫に心当たりはないのかい?』


『ないっつってんジャーン……んー? いや、何千か何万かよく覚えてないけど、むかぁしにチラっと見たような……でもアレは他の悪魔にも手伝ってもらって追い出したしぃ』


その追い出した虫らしきモノが僕が過去を巡る途中で聞いた話のモノだろうか。追い出せたのなら別物……いや、戻ってきた、子孫、という可能性もある。結論はまだ出せない。


『……かぁいい少年のかぁいい考え中顔を胸にドーン!』


熟考していると後頭部に手を添えられ、引き倒される。視界が黒く塗り潰される直前に色素の薄い肌を見た。


『ベルフェゴール様やめてください! おい誰か引き剥がすのを手伝え!』


『頭領羨ましいわ……』


『せやねぇ……』


『鬼共! 後で幾らでも埋めさせてやるからヘルを引き剥がせ!』


柔らかさと弾力を兼ね備えた例えようのない感触が離れ、呼吸を整える。


『もぉー……うるさい犬だなー』


『ベルフェゴール……? さん? 次俺……』


『酒呑様なんかしたら酒臭なるわぁ。次うちにしてーな』


『ごついのにはキョーミないのー』


顔を胸に押し付けられていたのか……まぁ鬼達の気持ちは分かる、確かに良かった……いや待て、どうして茨木まで必死になっているんだ?


『ヘルぅ……』


たし、と太腿に前足が触れる。


『ぁ、あぁアル、大丈夫だよ。ちょっと息苦しかっただけだから』


『違う。この下等生物め。こうだ』


クリューソスの尾に足を払われ、膝をつく。後頭部に肉球の感触。顔はアルの首元に埋まる。


『チッ……おい雌犬、仰向けになれ、無い乳を出せ』


『何をやっているんだ貴様は! ヘルが窒息したら……ヘル?』


僕は離れようとするアルを捕まえるため抱き締め、首元の柔らかな毛に顔を埋めた。


『何だ、雌犬。他の雌に触れたのが気に入らなかったんだろ?』


『……だっ、だからと言って何故ヘルを転ばせる必要がある!』


獣臭い。だが石鹸の匂いもある。何より毛が柔らかくて気持ちいい。


『…………満足そうだぞ』


『ぅ……ヘ、ヘル…………あまり、嗅がないで……』


『良かったなぁ。浮気しそうになくて』


『黙れ傍若無人な馬鹿猫が!』


やはりアルこそ唯一無二にして至高。

僕は考えを確固たるものにし、息継ぎのついでにアルの頬に口元を移した。

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