第564話 半神

バアルはわざと速度を落とし、僕に与え続ける損傷の度合いは落とさず、雷を落としている王に向かって叫ぶ。


『全ての天気を御することが出来てこその豊穣神です! 嵐がどうとかいうのはあくまでも特技の話、だけとは言ってませんよ! だーかーらー……雷なんざ効くわけねぇーだろぉがよぉ小バエ!』


もう僕には魔物使いの力を使うことも豊穣の神に教わった術を使うこともライアーを喚ぶことすらも出来ない。身体は削れて激痛に支配され、思考すらままならない。神具の使い過ぎなのか座り込んだ王の隣で呆然と僕を眺める兄に無意識に手を伸ばす。


『にぃ……さ、たすけ…………』


『あっはははははっ! 無様ですねクソ鬱陶しかった小バエさん! ほーらほぅらウジ虫さーん、貴方の弟さん? が呼んでますよー?』


兄が放った魔法を片手で弾き、バアルはまたケタケタと笑った。


『ヘルっ……ヘル、ヘル……やだ、嫌だ、返して…………ねぇまだ使えるでしょ!? 何とかしてよ、ヘルを助けて! ヘルがっ……ヘルが、僕の弟が死んじゃう!』


兄は座り込んだ王の胸倉を掴んで振り回す。


「……あの石まだあるか」


『…………蓄電石のこと? ある……けど、もうあんまり』


「貸してみろ、これで一発デカいの落としてやる。これで無理なら……もう無理だ」


バアルの速さに追い付けるのは雷くらいのものだ。だが、バアルには属性の問題で雷が大して効かない。


『デカいの、ね。いいでしょう、受けてあげますよ。それを弾けばいくら下賎な小バエさん達でも私には勝てないって学習しますよね? 大人しく負けを認めて私を信仰しなさいな』


王が兄から受け取った蓄電石を上空に放り投げる。それは黒雲に溜まっていた電気と反応し、空が光り始める。


「全能神の──」


『お願い……』


それに王の神具の力が合わさり、先程兄が放った雷槍を上回る力が生まれ、強大な神力によって空間が捻れる。


「──雷霆!」


『……ヘルを助けて!』


バアルは余裕の笑みを浮かべて見上げていた。ゴッ、と鈍い音が鳴り、バアルは僕を掴んだまま地面に叩き付けられた。


「…………やった……か?」


『よくやった王様! ヘル!』


兄の声が遠くに響く。バアル今の衝撃で地面にめり込んでいるが、僕もそれに巻き込まれた。

割れた白のタイルとその下の茶色い土、それを覆うように広がった翠の髪。それだけを見ながら僕は激痛に耐えていた。『黒』の力を使うにも豊穣神から教わった術を使うにも集中しなければ傷の再生や痛覚の麻痺は出来ず、またこの激痛のために集中は出来ない。僕は身動き一つ取れない状態で、声も上げられない状態で、兄を待った。


『……弟、か?』


磨り減った背骨にトンと硬い物が当たる。すると僕の傷は一瞬で癒えた。


『上のだな。雰囲気が変わったが分かったぞ』


魔法よりも速い治癒に驚いていると大きな手に首根っこを掴まれ、持ち上げられた。


『ヘル! 大丈夫!?』


魔法で風を操って土煙を吹き飛ばし、兄が目の前に現れる。


『…………え、君……』


『エア、弟を助けたぞ』


兄は投げられた僕を抱きとめ、崩れ落ち、声を殺して泣き始めた。


『…………にいさま』


『ヘルっ、ヘルぅっ……よかった……ほんとに、死んじゃうかもって……』


『エア、俺に何か言うことは』


僕を抱き締めて子供のように泣きじゃくる兄の顔を覗き込む金髪に金眼の男。彼は分厚いグローブをはめた手に柄の短い槌を持っていた。


「……強力な神性の気配が増えたが……敵ではなさそうだな」


『誰だ』


「…………トリニテート・ハイリッヒ、この国の王。人間の分際で貴神の目に映る無礼をお許しください、正当さを一切持たず、なおも最強を誇る雷神様」


どうにか兄を宥め、涙を止めさせ、立ち上がらせる。


『エア、起きたか。何か言うことは』


『…………トール』


『名前覚えてたのか』


『……ありがとう。でも…………遅くない? 今の今まで何してたの君、充電するって言ってからどれくらい経ったと思ってるの?』


僕を背に庇うと兄はいつもの調子を取り戻し、トールの胸を人差し指でつついて嫌味を続けた。


『窮地に格好良く登場しつもりだろうけど、怠けずに早く戻って来てたら窮地は訪れなかったってことを自覚してよね。君がもっと早く帰ってきてたらヘルが痛めつけられたりなんてしなかったのに。僕も随分情けないところ見せたよ、自力で弟を助けられないなんてさ』


『長いな……何だ、怒ってるのか?』


『……感謝はしてるよ』


『ならいい』


トールには兄の不満は伝わっていない。兄は文句を言えただけで多少は気が晴れたのか、ただ諦めただけなのか、トールから離れて結界内に治癒と蘇生魔法をかけ始めた。

バアルが呼んだ暴風によって多くの死傷者が出た。結界が割れてさえいなければ魂が外に出ることはなく、蘇生の制限時間がほぼ無限に伸ばせる。ひとまず安心だ。

僕は兄のローブの中からトールに手招きをした。


『何だ、弟』


トールは僕の前で屈み、僕と視線の高さを合わせる。


「……まず、助けてくれてありがとう」


『頼まれたからな』


「…………こっちに来れる条件ってあったりするんですか?」


『ユグドラシルの結界とこちらの創造神の結界の二つを越えなければならない。互いに近付き、また結界が破りやすい時期でなければ来るのは難しい。本来今ではなかったんだが、雷属性の強い神力が目印になっていてな、破りやすくなった』


兄のように来るのが遅いと罵るつもりは一切ない。ただ、神具による雷に呼ばれたようなタイミングが気になっただけだ。


『……ロキが居れば自由に行き来出来るんだが』


そういえばロキはどこへ行ったのだろう。いや、今はそれよりも──


「バアル、仕留めました?」


『どうだろう、手応えは微妙だ。お前に当てないよう加減したから大した威力が出なかった』


兄でも対処できない強さを誇っていたバアルを一撃で沈めておいて、加減していた? 大した威力ではなかった? 相変わらず強い、強過ぎる。小細工無しの純粋な力……敵でなくて良かったと心底思う。


「とぉ! ちょっと外やばい!」


「あの骸骨共動き出してんのよ! それに……何か、気味の悪い神性がふらふらしてる……」


三人の神具使い達が王の傍に駆け寄る。


「また神性か……砂漠の国のか?」


「…………いえ、おそらくあの山の神性です。この騒ぎに反応したのかと」


「山か……山なぁ、獣人達で鎮められないか? まぁ……とりあえず結界で止まるだろう、今は結界内の対応だ」


地面にめり込んだ少年の身体、地上にはみ出た指先がピクリと動いた。


『ふぅ……蘇生、再生終わりっと』


「終わったか、それならあの神性を閉じ込める結界を張って欲しい」


『はいはい、行くよトール』


トールは地上にはみ出している指先を掴み、バアルの身体を引き摺り出した。手足は妙な方向に曲がっており、頭はひしゃげ、背骨らしきものが腰から突き出ていた。


『死んでないの? これ』


兄が小さな魔法陣を地面に描き、トールがその上にバアルを落とす。ぐちゃっと嫌な音がして、バアルは結界の中に閉じ込められた。


「消滅していないなら死んでいないな。さてどうするか……」


『殺すに決まってるじゃん』


「砂漠の国の話だ。船はもう来ていないが、迎撃だけでなくこちらから仕掛けるかどうか……」


『戦争だろ? 潰しなよ、遺恨が残らないよう徹底的にさ。あ、僕はもう手を貸さないからね。そこまでは関係無いし』


「攻め込む、か。気が乗らないな」


砂漠の国にはリンが居たはずだ、何度も移住させて申し訳ないが、侵攻するというのなら先にリンを連れ出さなければ。


「ねぇにいさま、リンさんを──」


僕の言葉を遮るようにバンッと結界が叩かれる。血塗れの手が内側に張り付いていた。


『…………出せ、ウジ虫』


傷は少しも癒えていない、バアルの身体は壊れたままだ。


『……エア、今気付いたが……これは半分だ』


『半分? 何が?』


『だから、これは半分しかない』


兄は何を言っているのか分からないとため息をつく。


「…………ヘルメスさんも似たようなこと言ってませんでした?」


「あぁ、うん。ねぇ、にぃ、とぉ、分かんない? 何か……完全じゃないんだよ、この神性」


「ぁー…………分からんでもない。何か半分だな」


神力を感知できない僕や兄には分からないが、バアルは何かが「半分」しかないらしい。

僕の頭には何故かベルゼブブの顔が浮かんだ。

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