第550話 親愛なる悪友

ベッドに寝転がって数分、アルの寝息が聞こえてくるようになり、目を開ける。上体を起こし、アルが目を覚まさないことを確認し、洗面所に向かう。

顔を洗い髪を整え、ベッドを覗きアルの熟睡を確認し、音を立てないよう壁をすり抜けて外に出た。


『なんっか寝れないなー……」


部屋から離れ、ここなら聞こえないだろうと独り言を呟き、静かな邸内に想像以上に響いたことに驚く。


「……暇、だな」


『イイね、何する?』


気配すら無かったのに耳のすぐ後ろで囁かれ、慌てて振り返るが誰も居ない。


『久しぶりに遊ぼうぜ! タブリス!』


腕を掴まれ、浮遊感があって──景色が邸内から酒色の国の街並みに変わる。


『変だと思ってたんだよな。お前の様子がおかしくなって! 気配変わって! 力使ってくれて助かったぜ、どうも確証持てなくてな!』


「ロ、ロキ!? 何してんの!? 高っ……お、下ろせよ!」


『妖鬼の国で会った時、ショックだったぜ? 俺を覚えてねーんだもんよ! ま、あんときゃ俺も名前は忘れてたけど……それでも遊んだ覚えはあった!』


「くっ、『黒』のこと!? 僕には関係ない、離せよっ!」


目深に被ったフード、唯一見える口元が邪悪に歪む。


『オッケー!』


おどけたようにパッと頭の横で手を開く。


「えっ……? うわぁあぁぁあっ!?」


『はっはははっ! 新鮮な反応はイイもんだなぁ! 初々しいぜぇ、姫さんよぉ!』


何故こんな……いや、今まで偶然協力してくれてばかりだっただけで、ロキはこういう奴だ。植物の国に攻め込まれる原因を作ったし、ウェナトリアに深手を負わせたし、兵器の国では敵対したとはいえ平気で人を殺した。


「やばっ…………くっ……自由意志の──痛ぁっ!?』


両手両足を使い、蛙のように着地する。もう少し格好付けて着地したかった。いや、翼を広げて落下速度を抑え、姿を消してすり抜ければよかった。地面に埋まってしまっても翼を羽ばたかせれば空と同じように上がれるのだから。

舗装された地面に手首足首を埋め、衆目を集めることなんてなかった。


『はっはははっ、派手な着地ぃ! イカすぜ姫さん!』


咄嗟に使えたのは鬼の力だけだった。咄嗟にすり抜けられなければ意味が無い。すぐに返す気でいる力とはいえ、有事の際のため使いこなさなければ。


『そう怖い顔すんなよ。遊ぼうぜ、二代目』


『……僕は君と違ってやることがいっぱいあるんだよ』


『昼寝してたくせに。いいだろちょっとくらい、恩返しだと思え』


『………………分かったよ。でも、場所は僕が決める』


今度こそ翼を広げて飛び立った。鮮やかな街並みを越え、獣人の国との国境付近、山の麓に降りた。


『こんな何もないとこで遊ぶのか?』


ロキは正直について来て何の警戒もなく僕の背後に立つ。影から引きずり出して胸の前に隠してあった刀を脇を通して彼に突き刺した。


『……っと、はははっ! なかなかイイ不意打ちだ、そういうの好きだぜ』


感触はあったし、すぐに振り向いて見たロキのシャツには血のシミが広がっていた。しかし、彼が痛がった様子はない。


『さっき落としたお返し』


『にしては深いな』


『…………痛い?』


『いや?』


ロキは赤く染まったシャツを捲り、生白い腹を見せる。そこに傷はなく、ニッと笑って整えたシャツは元の薄紫色に戻っていた。


『幻術で当たったように見せた、幻術で治ったように見せた、どっちでしょう』


治ったように見せただけで大怪我をしているのなら、ぴょんぴょんと飛び跳ねて笑ったりは出来ないだろう。


『……当たったように見せた』


『正解! 感触もしっかりあったろ? さっすがは俺様神様ロキ様って感じになるよなぁ! で、何して遊ぶ?』


『人間に被害が出ないものなら何でもいいけど』


魔眼が揃った状態で結界が無いまま魔物使いとして外に居る訳にはいかない。僕は翼や角などの異形の部分を隠し、視覚や触覚以外での感知を拒絶した。これで僕は天界の捜索にも引っかからない、天使がこの上を飛んだとしても、僕のことは何の変哲もないただの人間だと思うだろう。僕の集中力が途切れない間は。


『じゃあ……街に戻って適当に通行人の髪か袖切っていこうぜ』


『被害が出ないものって言ったよね』


それをしたとして何が楽しいんだ。


『はぁ……もういい、帰る』


『えー、つまんねー』


ロキに背を向けた瞬間、酒色の国の街中に戻って来ていた。


『………………送ってくれてどうもありがとう』


『暇だろ? どっか店入ろーぜ』


『いや、帰る。暇の方がマシ』


腕を払い、帰ろうとして──ヴェーン邸の方角すら分からないことに気が付く。周囲の店を見ても何も分からない。飛んでしまうか迷っていると足に何かが擦り寄った。


『えっ……ぅわ……何、何この可愛さ」


ズボンの裾を噛んでいた焦げ茶色の仔犬を抱き上げ、道の端に避ける。


「ふへっ……ぇへへへっ……可愛い……」


『……遊ぶ?』


「………………ロキ?」


『おぅ』


突然現れた仔犬、姿が見えなくなったロキ、この二つから導き出せる答えは一つだけ。それなのに僕は仔犬に浮かれて何も考えていなかった。


「……まぁ、この姿のままなら遊んでもいいよ」


『いぇーい』


「あんまり喋らないで」


とはいえ「遊び」は思い付かない。公園なんてものはこの国には無いだろう、ロキが公園で満足するとも思えないし。


『何か食いたくねぇ?』


「あー……そうかも。えっと、魔獣可で普通の店……」


『次の次の角曲がった先にイイ感じのあるぜ』


「詳しいね。ならそこ行こ」


完全に信用するのは危険だ、入る前には十分に用心しよう。


『ここ、この角。吸血鬼と淫魔の混血さんが店開いてんだよ』


短い尻尾を振り、小さな前足を突き出して曲がり角を示す。丸い後ろ頭に飛び出た三角の耳が堪らなく可愛い。


『……おい、どうした? 貧血か?』


角を曲がってすぐ、レンガの塀にもたれ、足を止める。


「…………首に顔埋めて匂い嗅ぎたい」


『キモいなお前』


「仔犬の匂いって独特でさ……ホント、何? 可愛い。ふざけてんの?」


『なんでちょっとキレてんだよ』


「喋るなよぉっ! ネタばらしもっと後でもよかっただろ!? ちょっと口に含んだりして堪能した後でよかっただろ!? ロキだってそっちの方が楽しかったよ、笑えるとこ増えるんだから!」


腹に顔を埋めて、耳や首周りの皮を口に含んで、喃語しか話せなくなって、肉球を見て足の力が抜けて──それくらい虜になった後でバラすべきだった。レンガを背に座り込み、つぶらな瞳を見ながら説教する。


『ネタばらし早くやってよかったぜ。いくら笑えるっつっても男に撫で回されたりすんの嫌だぜ』


「今抱かれてるのは?」


『ギリギリアウトだ』


「アウトなのかよ……」


『おぅよ、この鋭い牙をくらいやがれ変態』


無意識に頬を撫でていた指を噛まれる。大して鋭くもない牙が皮膚に当たる、仔犬のくせに牙を剥いて眉間にシワが寄っている。


『……ぉ? おい、腰抜けてんぞ。そんな強く噛んでねぇだろ』


「もう元に戻れよぉ……」


仔犬の可愛さがここまでだとは。ロキが化けているだけだと知っていても、それを差し引いても、ときめきが止まらない。


『ほらよ、これでいいな? ほら立て』


手の中から逃げた仔犬が消え、眼前に装飾過多の紫のヒールブーツが現れる。見上げればパーカーのフードを目深に被った青年が居た。


「…………仔犬返して」


『どっちだよ面倒な奴だなぁ姫さんよぉ!』


そう言いつつも先程の仔犬に再変身し、僕の手の中に登ってくる。


『歩かなくていいから割と楽なんだよなー、ぁ、俺様オススメの店は三軒目だぜ』


「……顔ちょっと食べていい?」


『お前やべぇな』


「いや、変な意味じゃなくて、一瞬だけ口に含ませて?」


『嫌に決まってんだろ。あとな、どう考えても変だぞ』


「変じゃないよ、魔獣好きはみんなやる」


見たことはないけれど。


『……じゃああの狼にもやってんのか?』


「いや、やってない。でも寝てる間にやってるみたいで口の中が毛だらけだし常に獣臭い」


『…………まぁ、俺にはやんなよ』


視線を外して会話だけに集中すれば、ロキとしか思えないので様々な欲求が下火になる。


「やっぱり仔犬とか仔猫とかが一番口に含みたくなるよね、あと吸いたくなる」


『いや分かんねぇよ』


「……ほら、赤ちゃんの頬っぺ吸う人いるじゃん」


『ぁー……いや違うだろ。お前毛ぇ見えてる?』


どうして息子が狼のくせに同意してくれないのだろう。成長過程をゼロから見守れる最高の位置にいながら、一体どうして。

解けない謎を抱え、可愛らしい仔犬を抱え、オススメの店とやらの様子を覗く。看板にも店内にも目立った不審点は無かったので、意を決して扉を抜けた。

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