第519話 最強の魔物使いが出来るまで

前世の僕はうさぎのぬいぐるみを抱き締めて泣き叫んでいる。その声の端々には「お母さん」「お父さん」が聞こえた。


『彼は両親に可愛がられていました』


「へー……羨ましい」


ぬいぐるみも両親からの贈り物だったりするのだろうか。


『はーい泣かない泣かなーい。ほぉらワンちゃんだよー』


前世の僕を宥めようとしているのはマンモンだ、すぐに声を荒らげる彼には不適当な役だと思う。彼は黒い狼の首根っこを掴んでいた、その狼には鷹のような翼と蛇の尾があり、アルに似ている。マルコシアスだろうか。


『子供は動物好きだよなぁ。ほらマル。ワン、だ、ワン。オラ鳴け』


狼は渋々といった様子でワンと鳴き、僕の前世はさらに怯えてひきつけを起こした。


『てめぇもっと可愛く鳴きやがれ! クソっ……何か子供が泣き止みそうなもの……』


部屋を見回し、マンモンは天才的な閃きをしたと言わんばかりの表情で前世の僕を抱き上げると狼の背に乗せた。


『お、泣き止んだぞ』


『かなり危険な状態だと思うなぁ』


狼は美しい黒髪の女に姿を変え、痙攣しているように見える子供を抱き上げる。綺麗に切り揃えられた髪や切れ長の瞳には見覚えがある、やはりマルコシアスだ。


『このくらいの歳ならまだ吸うかな?』


シャツのボタンを外し──目を逸らしておこう。


『全然興味を示さないだって……!?』


『無駄じゃねぇか無駄にでけぇのぶら下げやがってこの無駄乳!』


『子供とも男とも思えない……このサイズに反応しないなんて……』


抱き締められて温まったのか、少し呼吸が整ったように聞こえる。


「ウムルさん……マルコシアス様は服着ましたか?」


僕が今見ているのは繊細な絵画が描かれた壁だ。


『……着ていますよ』


「どうも。ところでウムルさんって女性ですか?」


『どちらかと言えば男になりますかね』


ナイが甥っ子だとか呼んでいたな。振り向きながら「それなら見るのはどうかと……」と注意しようとしたが、神に言っても無意味な気がしてやめた。

このまま悪魔達が慌てふためく姿を見ているのも面白いだろう、飛ばさずに眺めよう。僕はランプが置かれた棚に腰を下ろした。


『ちょっと、そろそろ泣き止ませてくださいよ』


どこからか僕の前世の泣き声に機嫌を損ねたベルゼブブが現れる。


『よぅ便所蝿、そう言うならお前がやりやがれ』


『仕方ありませんねぇ……いいですか、まず顔を隠すでしょ。いないいなーい……』


ベルゼブブは両手で顔を隠す。前世の僕はうさぎの耳を咥えながらもベルゼブブに興味を引かれたようだった。


『ばぁ! って言って顔を出します。すると泣き止み……うるさいです、耳が痛いんですよ! 癪に障る泣き声してっ……!』


顔を出した途端に火がついたように泣き出した。当たり前だ、口から出た舌が棘の生えた黒く長いもので、しかもそれが何本も出てきて顔に触れたのだ。僕だって泣く。


『落ち着いてよベルゼブブ様、殴ったら逆効果だって』


『くっ……子育て上手な悪魔は居ないんですか!』


『孕ませるだけ孕ませる奴なら大量に居るけどな』


『無責任ですね! たいへん悪魔らしいんですが私はそういうの嫌いですよ』


抱き方からして不慣れだが、マルコシアスは背中を撫でて何とか大声を止めるまでは出来るようになった。


『ぐすぐすぐすぐす気になるんですよねー……何か食べさせないと死んじゃいますし。この状態じゃ食べませんよね?』


『ここ魔界だぜ? 何食わせんだよ』


『それなんですよね。私が変換した物じゃ変質したり死んだりしそうですし……人界から運び込むしかありませんね。それも含めてサタンに言いに行きましょ』


ベルゼブブを先頭に三人はサタンの元へ向かった。部屋でゆったりと過ごしている様子の彼を見るのは初めてだ。


『リリスは居ないんですか? 今だけは居て欲しいんですけど』


『数日前から旅行中だ。何か用か、ブブよ』


ソファに座って背を向けたまま興味無さげに言った。


『魔物使いを見つけたんですけど、子供なんですよね……力が目覚めてるからって誰かさんが先走っちゃってねぇ』


ベルゼブブはじとっとした視線をマンモンに向けるが、彼は全く気にしていない。


『魔物使いだと? ほぅ……見せろ、寄越せ』


声色が変わり、興味津々と言った具合の顔で振り返る。


『ぁ、ちょっとダメですよ。貴方みたいな厳つい顔のが近付いたら呼吸困難で死んじゃいます』


サタンはマルコシアスから前世の僕を受け取ると手馴れた様子で抱き上げ、すぐに泣き止ませて見せた。


『はっ……? 嘘……』


『余はこれでも娘が多くてな』


『人界に捨ててるじゃないですか』


『魔界の魔力濃度では生きていけんのだから仕方ないだろう。ちゃんと一人ずつ抱いてから捨てている』


ちゃんと、の意味は分からないし捨てているならどんな反論も無意味だ。


『……リリスは一度旅行に出ると数年帰らん。魔物使いの世話は余に任せろ、食料調達は任せたぞ』


サタンはそう言って三人を追い出し、扉を閉めた。誰がどうやって食料を調達するかで揉める声は次第に遠くなる。


『…………小さいな』


落ち着きはしたもののまだ怯えている様子の僕の前世をソファに下ろし、その隣に座る。


「ぁ……あのっ」


ぬいぐるみで顔を隠し、か細い声を出してサタンの袖を引く。


「お母さんと、お父さんは……? 僕、いつ……お家に……」


『あぁ……父母か』


サタンは僅かに虚空を見上げる──僕にはその仕草が嘘の物語を組み立てているものだと分かった。


『貴様は知らんかもしれんが、余は貴様の父の遠縁の親戚でな。これから貴様を育てることになった』


「しん……せき? 僕、お家に……帰れないの?」


『…………貴様の家はもうない。天使は知っているな? アレが焼いた、父母ごとな』


「お母さんと、お父さん……」


『……死んだ。悪いな、助けられたのは貴様だけだった』


バツの悪そうな笑顔を作ってみせる。僕の前世はサタンの話を信じてしまったようで、ぬいぐるみを抱き締めて泣き出した。サタンはそんな僕を膝の上に乗せ、優しく揺らしてあやす。


『ちなみに父母は元気に生きています。突然居なくなった大事な子供を探していますね』


「……やっぱり、そうなんですね」


悪魔だから仕方ないのかもしれないが、彼らの行動は身勝手なものだ。魔物使いがそんなに欲しいのだろうか。


『……今死にました』


「え? えっと……あの子、前世の僕の両親ですか?」


『はい』


今? どういうことだ、何が起こった。

死因の予想すら出来ず困惑していると不意に扉が開く。


『サタン様、失礼します』


扉を開けてから叩き、短い金髪の女が入ってくる。見覚えはないが彼女も悪魔だろうか。サタンもそうだがここでは角や翼は生やしていない、まぁソファに座るには邪魔だろう。


『おぉ……それが魔物使いですね。こんな小さな状態で見つけるとは流石サタン様!』


『……何の用だ、マスティマ』


『はい、その魔物使いが居た街をヘクセンナハトが襲撃したようです』


『…………探していて正解だったな』


どうしてナハトが魔物使いに拘る必要があるんだ、あの結界があれば悪魔も恐るるには足りないだろうに。


「くるし……」


『……あぁ、すまない』


報告を聞いてかサタンは自然と僕の前世を抱く力を強めていたようだ。『憤怒の呪』を撒き散らすだけあって激情家なのだろうか、そうは見えないけれど。


『天界はどうだ』


『……近々星辰が揃うだろうと警戒を強めております。人界に強力な悪魔を出すのはやめた方が良いかと』


『ふむ……なら食料調達はオークにでもやらせるか』


『オークでは魔界の深層まで運ぶことは……あ、バケツリレーですね? 配置しておきます!』


『魔界に住める者は人界に出るなと通達も頼む』


マスティマは元気に返事をして部屋を去って行った。側近と言ったところだろう、優秀そうだ。


『……好きな食べ物はあるか?』


「おいも……」


『嫌いな物は?』


「にんじん……嫌い」


『そうか、他にもあったら思い出した時に言うといい。作ってから抜くのは手間だからな』


好き嫌いするなとは言わないのか、珍しい育て方だ。悪魔だし、子供を抱いたことはあっても育てたことはないようだし、そう不思議でもないけれど。

子供にとっては嬉しいだろう。食わず嫌いならともかく味が苦手なものを口に突っ込まれる苦痛は耐え難い。


『そこまで好き嫌いを許さないのも珍しいかと』


「…………人の考え読まないでよ」


『いえ、考えて数秒後に話しかけてくる内容でした。読みはしていません』


確かに話しかけられなければ「僕は兄にこんな扱いを受けていた」と話していただろう。同情が手に入らないかと狙う悪い癖だ。

僕は若干の居心地悪さを感じながらも反省し、そろそろ見ていても仕方ないかと時間を飛ばした。

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