第509話 愛しい人に誓う

薄暗い曇天、轟く遠雷、行軍する魔物共。

僕は──僕の前世は木組みの箱の中に居た。箱と言っても天板はない、底には柔らかい布が敷き詰められていた。


『……魔物使いくん? 寝てないわよねぇ?』


ぷらぷらと足を揺らしながら退屈そうに話しかけてくる聞き覚えのある声をした男──マンモンだ。髪型が違うし蝶を模した仮面もなく、一瞬分からなかった。


「…………起きてる」


『ならいいんだけどぉ。で、どうするの?』


「君の仲間助けるんだろ? 方法調べなきゃ」


箱はオーク達が運んでおり、退屈ではあるが移動は楽だ。全くいいご身分で……っと、これは僕の前世だったな。


『仲間……まぁ、人間の感覚ならそうなるのかしら』


「サタン……だっけ? 君もだけど、何で魔界から出たいの? 人界は君達には住みにくいんでしょ?」


『こっちの方が色々と楽しいのよ。サタンは……神を殺したいみたいねぇ。魔界から神界に行くには人界通らなきゃなのよ。でも、槍に最奥に縫い止められてちゃって動けないの。ちょっと前の小競り合いで天界の留置所から落ちてきたリリスとやらが話し相手になってるみたいだけど……きっと暇よねぇ、可哀想に』


可哀想だなんて心の片隅にすらない言葉を紡ぎ、マンモンは箱の中に倒れてくる。


『……サタンを解放するとなると、天界と戦争になるかもねぇ』


「………………少し戦争した方がいいよ。魔物の立場は悪過ぎる……対等とまではいかなくても、もう少し扱いを改善したいよ。だって……ここに居るみんな、人間と天使に虐げられてきたんだよ? 多過ぎる……酷過ぎるよ」


『貴方って本当、お人好しねぇ。魔物なんて魔力封印の枷をつければ使い減りしにくい良い労働力なのに、奴隷解放なんてして何が楽しいの?』


「……君は人間に恨みなんてないはずなのに協力してくれてるよね。きっと、君と同じ気持ちだよ」


『…………馬鹿言わないで、楽しいことしたいだけよ』


戦争の直前なのだろうか。長蛇の列を作るこの魔物達全員が奴隷だったなんて、この数を僕がまとめ上げているなんて、信じられない。

しかし、サタンの解放か。この僕は知らないだろうけど、彼が封印状態にあるのは僕のせいだ。僕が解放するのは当然の責務だ。


『……魔物使い殿、そろそろ雲が割れます』


箱の隣に並んでいたオークが声をかける。


「ん……あぁ、じゃあ日が沈むまで休もうか。そこの岩山の麓にでも集まっておいて」


日光を嫌う魔物は多い、特に中級以下は。だが日光が平気な魔物も、昼行性の魔物も居ることには居る。


『洞窟があるわねぇ。ここ入るの?』


「……狭いね、オーク達は入れなさそうだ」


『じゃあ貴方はここに……あらぁ? 奥に何か居るみたいねぇ』


「見に行こうか。縄張りなら挨拶しないと。ついて来て」


僕はマンモンを連れて洞窟の奥へと入っていく。肩や腰周りの出張った部分が岩壁に擦れ、眼前に尖った石が現れ……そんな洞穴をしばらく進むと少し開けた場所に出た。


『……ねぇ、これ本当に原石なの?』


『だと思う。あ、その袋も開けてくれ』


『…………こんなに持ち帰ってどうするのさ』


洞窟の奥深くだと言うのに明るい。いや、何かが光っている。


『月永石は月光に当てないと意味がないからね、外に並べておかないと』


『その割に岩の中に出来るよね、変な石……』


光の元はオファニエルだ。彼女が着ている月永石の鎧が発光している。その隣には退屈そうに石を袋に詰める『黒』が居た。


「……おねーさん!」


『あっこら魔物使いくん!』


『な、なんだ!』


『…………嘘、三回目……?』


僕は脇目も振らず走り出して『黒』の胸に飛び込み、剣を抜いたオファニエルはマンモンに蹴り飛ばされた。


『はっ! ウスノロが。間抜けな天使だなぁオイ。で、何してるんのかしら魔物使いくん』


マンモンはオファニエルから奪った剣の腹で彼女の頭を殴打し、気絶させた。その手の早さには感服する。オファニエルが月光の届かない場所に昼間に居たというのもこの余裕の勝利の理由だろう。


「おねーさん、約束ですよ、結婚してください」


『あら、婚約者様? まぁ……真面目な天使じゃなさそうだし、魔性も感じるし、祝福するわ』


『…………まさか本当に出会っちゃうなんてね』


『黒』は僕の腕の中からすり抜け、僕の背後に立つとその美しい手を僕の頬に添える。


『恋人になってあげるって言っただけで、結婚するとまでは言ってないよ』


「そんなっ……」


振り向き、『黒』の瞳に泣きそうになった前世の僕の姿を映す。


『でも、そっか。君は魔物使いだったね、それも……成熟してるのか、うん、楽しそう……』


僕の額に唇を一瞬触れさせ、今度は『黒』が僕を抱き締める。翼でも包まれ、途方もない安心感と幸福感で満たされる。


それから彼らは互いの事情について話し合った。魔物の奴隷解放を行っていることと、サタンを封印する槍を引き抜きたいことを。『黒』はロキがアスガルドに強制送還されて退屈なこと、オファニエルにつきまとわれて不愉快なこと、退屈で死にそうなことを。

目を覚ましてはまた殴られて気絶するオファニエルを僕は憐れんでいたけれど、前世の僕は何とも思っていない様子だった。


『槍かぁ……白いやつかな?』


『それよー、それそれ。あれって抜く方法あるのかしら?』


『天使以外には全く動かせないけど、天使ならどんな下級の奴でも抜けるよ』


『……簡単ながら不可能なのねぇ。サタンの解放に手を貸す天使なんて居るはずないわ』


この頃は今より敵対している様子はないが、魔物を人間が奴隷にしていたり戦争を起こそうとしていたり、穏やかでないことは確かた。マンモンの言う通り、サタンの解放は不可能だろう。

だが、僕が生きている時代にはサタンは魔界に封印されてはいるものの槍は刺さっていなかった。つまり誰かがあの槍を抜いたということだ、まさか、『黒』が──


『僕がやろうか? 戦争になるなら戦争になったで楽しそう』


あぁ、そうだ、『黒』はこういう奴だ。軽々しく「楽しそう」という理由だけで動く、何にも執着が無い無責任な奴なんだ。


『はっ……? 本気か!? 堕ちるぞ!?』


マンモンは驚きのあまり声を高く保つのを忘れ、口調を荒く変えた。


『大丈夫大丈夫、神様は僕に何も強制出来ないから』


『……どういうことぉ?』


だが次の瞬間にはまた裏声を作った。


『僕は自由意志を司る天使、魔性も神性も混ざった創造神の管理の及ばない者。正確には天使じゃないんだよ』


『そんなの居たんですか……馬鹿ですね、自分で管理出来ないもの作るなんて……』


『どこの神も魔物も人間もやりがちだよ』


マンモンは善は急げとばかりに洞窟の中に魔界への扉を作り、三人はそこに飛び込んだ。今でこそ結界が張られて自由な行き来は出来ないが、この頃はまだ扉さえ作れる悪魔が居れば出来たのだ。


『……底に到着、かな。酷い景色だね』


『魔物使いくん、自分の周りの魔力を操作することを忘れないでね。もしトチったら一瞬で燃え尽きちゃうわ』


地面を覆う黒い炎、サタンの憎悪と怒りの表象。僕が一歩前に出ると炎は僕を避けて黒い地面を晒した。


『……居た。サタン様ー!』


純白の輝く槍は炎にまとわりつかれては居るものの表面すら焦げ付かず、前に見た時と同じ角度と同じ色を僕に見せた。


『……マンモンか』


『あ、鳥。久しぶりー……? 何か用?』


『リリス、まだ生きてたのね。貴女には用はないのよ、すっこんでろ売女』


サタンに寄り添っていたリリスを引き剥がし、マンモンは僕と『黒』を彼の前に押し出した。


『……魔物使いか。転生したのか? 何回目だ?』


『さぁ? 知らないわ。転生の間隔から考えて……七回目くらいじゃないかしら?』


七回? サタンが封印されてから僕はそんなにも生まれ変わっているのか? 魔物使いの力に目覚める前に死ぬ可能性もあるとはいえ、それだけの年月僕はサタンを放置していたのか。


『…………魔物使い、眼を……あぁ、同じだな。上手く育ったようだ、よくやったなマンモンよ』


『会ったの最近なのよー』


『ねぇ、これ抜けばいいの?』


感傷に浸る悪魔達には何の興味も無いようで、『黒』は槍を握ってぐいぐいと引っ張っている。


『ぐぅっ……おい、触るな……』


槍と拡がった傷の隙間から血が零れる。『黒』は手を離し口だけで謝った。


『……本当に動いてる。これまで蹴っても動かなかったくせに……』


マンモンが槍に蹴りを入れるがビクともしない。再び『黒』が触れると簡単に動く。


「おねーさんすごいです! 結婚してください!」


『これ抜いて、人界に戻ったらね』


僕をあしらい、『黒』は槍を引き抜いた。血が溢れ出し、傷が炎に包まれて治り、サタンはゆっくりと立ち上がる。


『何千年振りだ……? ふ、やはりこの景色が一番だな』


サタンはマンモンと目の高さを合わせ、笑みを零す。


『……刺さってた方が良かったんじゃなーい?』


サタンを見下ろせなくなって残念だと言いつつもマンモンは嬉しそうな笑顔を浮かべていた。

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