第483話 宴会と救助
皿を洗うのはフェルがやるだろうから、皿の大きさごとに分けて重ねる程度にしておこう。ソースで汚れているものは水に浸して……と、肩に黄金と黒の前足が乗る。
『何故俺の話を聞かん!』
「えっ、ぁ、いや、聞いてたよ」
席を離れたのがあからさま過ぎた。クリューソスは牙を剥いて怒っている。
『座って聞け!』
「ご、ごめん……」
長い尾に腕を絡め取られ、席に戻される。
その後長々とクリューソスの真偽不確かな武勇伝を聞き、夜は更け酒は進み、皆の声も態度も大きくなる。僕はそっと端の席のフェルと場所を交代し、椅子を更に壁に近付けた。そんな僕の前にグロルがぽてぽてと歩いてくる。
「おーさまー……」
「どうしたの? 眠い?」
「んー……」
「あんまり目を擦っちゃダメだよ。ほら、部屋に戻って、しっかり毛布を肩までかけて寝るんだよ」
頭を撫で、軽く背中を押す。ふらふらと歩いていくのは少し心配だが、まぁグロルの部屋は一階だし大丈夫だろう。
『じゃあここで酒呑君の好み発表しまーっす!』
それより酔っ払い共が羽目を外し過ぎないよう見張らなければ。
『長髪で豊満、気は弱そうで指が長い……分かりやすいなお前』
『うっさいわい。おいピンク頭、次この虎いったれ』
『ピ、ピンク頭……!? ぅ、うん、じゃあ虎君……』
セネカは明るい桃色と黒の虎に変わる。どれだけ変身しようと基本がピンクであることと翼や角は変わらないらしい。
『……予想出来とったわ』
『…………ああいうの好みなのか』
『黙れ飼い猫、いいだろうああいうの』
僕にはクリューソスとの違いは色と翼や角以外分からないが、何やら意外な好みだったようだ。
『次誰の見る?』
自己紹介で言っていた能力の活用法を早速披露しているのは一向に構わないのだが、宴会芸を出し切っていいのだろうか。
『あ、茨木ちゃんの見てみたいかも』
『おっけーメルちゃん! じゃ、茨木ちゃん行くよ!』
『好きにしぃ』
セネカは酒呑好みに変身した時と似たような姿になる。年齢や身長などは少し違うようには見えるが、ほぼ同じだ。
『……あれ、茨木ちゃんって女の子好きなの?』
『んー? せやねぇ、やらかい方が美味しいなぁ』
肉の話か? そうなってくると先程の酒呑の好みも怪しいな。
『…………二つの意味で』
『嫌やわ酒呑様、顔から何から全部下品』
『顔は上品やろ!』
セネカは主としているらしい美女の姿に戻り、二十倍に希釈した度数三パーセントの酒をちびちびと飲む。飲むと倒れると言っていた昔よりは進歩していると言えるだろう、楽しそうだし。
『……ヘル、退屈そうだな』
椅子から垂らしていた足が勝手に持ち上がり、その間からアルの顔が出る。
「どこから出てくるの……別に、楽しいよ?」
『飲むか? そうすればもっと楽しくなるぞ』
「ダメ、僕まだ未成年なの」
『この国で言えば成人済みだ』
黒蛇がワインボトルを咥え、僕の前で揺らす。
『飲め』
「ダメだってば」
『……私の酒が飲めないと?』
面倒臭い。酔っ払ったアルはあまり好きではない。わざとらしくため息をつくとアルは僕の足の下から抜け出し、太腿に前足を乗せ、顔を近付けた。呼気は酒臭い。
「……大人になるまで待ってくれるんでしょ」
『貴方はまだ子供か?』
「見たままだろ、子供だよ」
『…………今夜にでも大人にしてやろうか』
「僕人間なの、急に年取ったりしないの」
『そういう意味では無いのだが……そんな返答をする内は子供だな』
蛇がワインボトルを机に戻す。机の端に置かれたボトルはすぐに酒呑に掴まれ、開けられ、一息に飲み干された。アルは僕の胸にぴったりと顔を当て、目を閉じる──まさか、寝る気か。
「こんなとこで寝ないでよ」
『……とく、とく、とく……と、貴方の音が聞こえる』
「何、心音のこと?」
『可愛らしい、小さな音だ』
そっと顔を上げ、肩に頬を擦り付けるその仕草はとても愛らしいけれど酒臭い。
そっと首に腕を回し、頭を撫でる。心地良さそうに目を閉じて呼吸を穏やかに──寝る気だ、今度こそ寝る気だ。
酔っ払い共は心配だが、そろそろ部屋にアルを連れて帰らなければ。そう思って立ち上がろうとすると悲鳴が聞こえた。
「な、何!? ちょっとみんな! 今の聞こえたよね、見に行くから誰か一緒に来て!」
そう叫ぶも酔っ払い共は誰も振り向かない。聞こえてすらいない。
『我が行こうか、ガキ』
「カルコスっ……! 今ほど君に頼りがいを感じたことはないよ!」
呪いも毒も効かない、つまりアルコールも? 酔えないのは可哀想だが、今は助かった。カルコスにアルを引き剥がしてもらって廊下を走る。
『ガキ! そこだ!』
階段の横、影になったそこに蹲る小さな女の子……グロルだ。聞こえた声の甲高さと兄とヴェーンは悲鳴なんて上げそうにないからと彼女ではないかと思っていたが、やはりそうだった。
「グロルちゃん! グロルちゃん、何があったの?」
グロルの足にはぱっくりと開いた傷があった。廊下にはこちらに走ってくる赤い足跡がある。
『…………よし、治ったぞ』
「ありがと、カルコス。明日おやつあげるからね。で、グロルちゃん、何があったの?」
グロルはじっと押し黙ったまま僕を見上げる。その瞳孔はヤギのように横長の長方形で、表情は何かを迷っているように見えた。
「王様……あのさ、王様の兄ぃ、どうかしたのか?」
「アザゼル? よかった、君の方が話しやすいよね」
アザゼルに交代してくれたことが嬉しいと思えるなんて初めてではないだろうか。
「グロルの時だからよく分かんねぇんだけど、部屋に戻った後、水飲みにかトイレか部屋出たんだよ。そしたらいきなり足切りつけられて……痛みのショックで俺に代わって、逃げたんだ」
「切り付けられたって……」
この家には結界が張ってある、部外者の侵入はありえない。ベルゼブブが居たならアスタロトのように彼女の魔力を使って実体化した悪魔という線もあるが、今この家にベルゼブブは居ない。
「…………多分、兄ぃだよ。チラッと見えた」
「……分かった、ちょっと見てくるね。カルコス、アザゼルお願い」
「あっ、おい王様!」
アザゼルをカルコスに押し付け、足跡を辿る。だがグロルの部屋の前まで行っても兄らしき影は見当たらない。
「王様! 一人じゃ危ねぇだろ!」
『ガキ二人程度なら苦にならん、乗れ』
すぐに追いついてきたアザゼルはカルコスの背に乗せられていた。僕も彼女の後ろに跨り、アルよりも少し高い景色に新鮮さを覚えた。
「匂いとか辿れるの?」
『匂いと言うより気配だな』
アルと違って板の上でも足音は鳴らない、少しの寂しさを感じた。角を曲がると壁にもたれかかって半分溶けた兄を見つける。
「あー……多分ずるずる動いてたからどっか踏んだんだな、それでスパッとやられたんだ」
溶けて広がった液体からはぐったりと床に落ちた触手が何本も生えている。その触手の先端部分は鎌のようになっていた。
「…………に、にいさまー?」
ピク、と頭が揺れる。言語認識が怪しいと言っていたか、今はもう言葉は通じないと思った方がいい。
「カルコス、ギリギリまで手は出さないでね」
そう伝え、彼の上から降りる。廊下の軋みすら起こさないように慎重に兄に近付く。広がった液体にぴちゃりと足を浸けると途端に触手が起き上がり僕の足を切り付けた。
『ガキっ!』
「へ、平気、ズボンだけ」
本当は皮膚も少し切れていたが、大したことはない。今の反応で確信した、カルコスを近付ければ兄は暴れると。
「……にいさま」
盛り上がったスライム状の部分に膝を着く。着いた部分が開き、牙を現し、噛み付いた。
「……っ、痛いよ……」
『…………おい、ガキ』
「大丈夫、来ないで」
俯いたままでは話が出来ない。頬に指を添え、両手で包み込むように顔を持ち上げた。長く伸ばした後ろ髪が動き、僕の腕を貫いた。
「………………痛いよ、にいさま」
骨を避けて貫通した触手は髪のように細い。しかしそれは一本一本の話で、無数に突き刺されれば太い一本よりも痛みは強い。
しかし、血を流せたのは幸いだ。この血に宿る魔力で腹が膨れ兄が目を覚ましてくれるかもしれない。そんな願いを掛けて虚ろな瞳を見つめる。突き刺さった触手はその場で止まっていて、腕を動かすことは出来ない。中途半端な角度で伸ばしているのに疲れて動いてしまったら、激痛が走る。
「……っ、ぁ……うっ…………ねぇ、にいさま、起きてよ、痛いよ」
叫びを殺し、息を整え、落ち着いた声を作って呼びかける。
それを何度か繰り返すと虚ろな瞳が僕を映した。
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