第457話 エスコート

晩餐会についての説明を受け終わり、そろそろ会場に向かおうと立ち上がる。そんな僕の隣に、兄に向かって、アルテミスは手を差し伸べる。


「お手を、エア様。僭越ながら、わたくしアルテミスがエスコートさせていただきます」


『……あぁ、どうも』


兄は戸惑いながらもその手に手を重ねた。


「アルテミスぅっ! それは本来君がされるべきで……というか男に触れるなぁっ! 穢れる!」


「にぃ、どうどう」


「俺は馬じゃない! ア、アルテミス、俺が君をエスコートして……」


当然ながらアポロンが騒ぎ出す。弓を取り出したりしなければいいのだが。


「……いえ、お兄様。こういった会に不慣れなエア様をエスコートしなければ」


「ダメだ! せめてヘル君なら百歩……千歩、万……一億歩譲って許そう! 結婚間際の恋人が居るそうだしな……彼の案内は俺がやる!」


譲り過ぎだ、どこまで歩く気なのだろう。


「お兄様は挨拶がありますから……御多忙でしょう?」


「くっ……ヘ、ヘルメス、君が彼を……」


ヘルメスは僕の手を取り、満面の笑みを浮かべる。


「うっ、ぅ、う……裏切り者ぉおーっ!」


ベルゼブブの視界を借りている今、手を取られなくても着いて行くことは容易なのだが──どうやらこれはこの国の文化や伝統と呼ばれるものらしい。

古い者が新しい者をもてなし、学ばせ、次の者を迎えられるようにするのだと。それなら大人しく手を引かれていようか、背後で恨めしそうな視線を送る男は放って。


「エア様は、お好きな食べ物……ございますか?」


僕の前には兄とアルテミス。兄がボロを出さないかどうかが心配で、足元が覚束無い。


『好きな食べ物か……人肉?』


終わった。


「え……じ、人肉?」


化け物ですと自己紹介したようなものだ。万が一にも食人嗜好の人間だと思われたとしても、先は暗い。


「じっ、ジンニクね! ジンニク! ジントリニンニク! ほら、知らない!? そのっ……ほっとくとどんどん広がっていく繁殖力の強いニンニクでさぁ! 薄い金属箔に巻いて焼くと良い感じに……し、知らないかな、一部地域にしか無いし……はははっ」


「へぇ、そんなニンニクあるの? 俺前にお腹壊したことあるからあんまりニンニク好きじゃないけど……ちょっと気になるなぁ」


必死に誤魔化すと図らずしてヘルメスが乗っかってくれた。後々調べられたら面倒だが、今この場を切り抜ける方が重要だ。


「繁殖力が強いのに一部地域にしかないのか?」


どうして細かいところに目を付けるのだろう。あのまま妹妹と騒いでいればよかったのに。


「と、特殊な土壌だからこその繁殖力みたいで……」


「興味深いな……」


何とか誤魔化せただろうか、要らぬ好奇心を煽ってしまったが、宝石を貰うまでくらいは誤魔化されてくれているだろう。

兄は状況を理解し、僕にしか──と言うよりベルゼブブにしか見えないように『ごめん』と口を動かした。眉尻と頭を軽く下げ、前を向く。兄が反省したなんて驚きだ。


「ニンニクがお好きなんですね……ぁ、お仕事は何を?」


『仕事? 今は……えっと、輸入関連』


そんな話聞いていない。今思いついた嘘なのか? だとしたら妥当な所に着地している、兄にしては見事だ。


「へぇ……今は、というと昔は別の事を?」


『あぁ、えぇと……十歳頃まで研究者やって、十八で国出るまで大学教授で…………軍入ったけど国滅んで……で、暫くして今ここ』


「……す、凄い……ですね?」


よく分かっていないだろうな、僕もだ。

兄の「研究者」は実験室などにこもって作業する仕事ではなく、僕への教育の片手間に編み出した新魔法を紙にまとめる事だ。次の「大学教授」は気が向いた日に特別講義に出るだけで、二ヶ月に一度行けばいいほうだった。その次の「軍人」だって、魔性を必要以上に嫌った国によって辞めさせられた。

能力はあるが長続きしないのだ。


「ヘルシャフト君は今なんかやってんの?」


「今は……何も。出来ませんし、お金にも余裕ありますから」


その金は僕のものではないけれど。


『ヘルは何もしなくていいよ。僕が養ってあげる』


「それはどうかと思うぞ。兄なら弟の自立を促すべきだ」


「そーそ。俺なんか今身ぐるみ剥がされて道端に捨てられても生きていけるよ」


アポロンの意見はもっともだが、その結果がヘルメスだとしたら僕には難題だ。


「……お兄様も似たような事を仰っていたではありませんか」


「弟と妹は違うだろう!」


兄というのは誰も身勝手なものらしい。


『…………ねぇ? ヘル。本当に……何もしなくていいからね? 僕がちゃんと面倒見てあげるから』


首だけで振り返り、微笑む。

怠惰な生活を望む僕にとってその申し出はとてもありがたい。魔物を統治し人間と共存できるよう架け橋となったら、そうしよう。



会場が近くなると自然と言い争いを止め、上品な歩き方を始める。僕も勝手に背筋が伸び、呼吸が乱れた。


「……まだ会は始まっていない。開会式まで数十分あって、それまでは食事してはいけない。水くらいなら構わないが酒はダメだ。とりあえず挨拶をして回るから、無礼な真似をせず付いて来てくれ」


無礼な真似、か。話さずに頭を下げているだけで礼儀正しく見られるのなら楽なのだが。

兄の背に隠れつつ、アポロンに付いて行く。挨拶の相手は老若男女様々だが、皆上品だという共通点がある。

挨拶と軽い世間話だけを繰り返していく──と、一人の若い男がアポロンを呼び止めた。


「君は……えぇと、今は王だったかな」


どうやら男は牢獄の国の新しい王らしい。今まで話してきた者達もどこかの王族だったのだろうか……


「少し、厄介な事がありまして……相談を、と」


彼は僕達を部屋の端に寄せ、こそこそと話し出した。


「……大神様が再臨なされました」


「なっ……!? やはり、死んではいなかったか……」


「……にぃ、おおかみさま? って何?」


「…………神を騙った怪物だ」


牢獄の国……大神様……グロルが住んでいた集落の話か。外敵から守る代わりに生贄を要求していたという。


「二百年ほど前、アポロン様に追い払っていただきまして……」


「殺せはしなかったそうだな。先代のアポロンの記録はこの国には大して残っていないが」


「にぃの弓でも?」


「死の概念が無い……もしくは違うのか、雄ではなかったか、だな。先代の力が及ばなかった……というのは考えにくい」


「あぁ、にぃの弓は男、ねぇの弓は女だっけ。面倒くさい特性あるよねぇ」


「男でなくても深手にはなるんだがな、即死は無理だ」


開会式までまだ時間はあるから、とアポロンは男に現状を聞いた。


「……前とは様子が違いまして」


続きを促すも、男の歯切れは悪い。


「前の大神様は、必要外での殺しはせず……魔物に民が襲われれば助ける、お優しい方でした」


「生贄とってたんだろ?」


「……タダで守護されるなんて有り得ませんよ」


男は自分を抱き締めるように袖を掴み、スーツに皺を寄せた。


「今は、どうなっているんだ?」


「……無差別に民を襲っています。交渉も出来ませんし、牢獄の国にはアレを討てる者は居らず……」


「魔女狩りだの錬金術師狩りだのやっていたからだ、ただでさえ天使が寄り付かない地だというのに」


「それは何百年も前のことです! 確かに愚策ではありましたが、それは私の責任では……いえ、申し訳ありません」


件の集落の住民によるランシアへの態度から考えれば、彼らに「魔女狩り」の精神が残っているのは確かだ。


「……ねぇ王様? その大神様ってどんな奴なの?」


「ヘルメス」


「何? 対策練るにも退治するにも、情報は必要だろ?」


「それはそうだが……」


アポロンは何故か男に大神様について話させるのを嫌がっているようだ。様子や過去の話には特に忌避感は見られなかったが──何か理由があるのか?


「私は大丈夫ですよ、アポロン様。お気遣い感謝します。それで、えぇと……大神様は──非常に美しい御方です」


男は声色に喜びを滲ませる。


「輝く銀色の体毛と、光を吸い込む漆黒の翼、艶やかな鱗の蛇の尾をもつ狼の姿をしておられまして──それが筆舌に尽くし難い美しさなのです。直視することすら無礼になるような、見つめられれば身を差し出してしまうような……」


「……だから嫌なんだ。おい、おい! 戻ってこい。全く、君はその神の話となると途端に饒舌になるな」


アポロンもアルテミスに関しては似たようなもの、むしろ彼より酷いと思うのだが。

それにしても──大神様の特徴、それを頭に思い描くと……愛おしいアルの姿が浮かび上がる。

像を見た時にも似ているとは思ったが、まさか色合いまで同じだとは。あの姿で悪行を働かせる訳にはいかない。早々に解決しなくては。

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