第450話 瓶詰めの蠅
アルとベルゼブブが起こした騒ぎの後、僕は全身の激痛に耐え切れず、アルに頼んで尾で絞め落としてもらった。
その後部屋に運ばれたらしく、起きた時にはもう痛みは無かった。けれど、首を絞めさせた事で喉を少し痛めていた。
「……でよ、王様。こいつどうする?」
朝食を終えた後も全員がダイニングに集まっている。僕の膝の上にはアザゼルが乗っていて、アルは不機嫌そうだ。
しかし、視界を借りるのに一番合うのはヴェーンとアザゼルなのだから仕方ない。他の者は魔力が視え過ぎて気持ち悪くなってしまう。
「めっちゃ壁舐めてんじゃん……」
食器が片付けられた後、机の真ん中にはナッツの瓶──ベルゼブブ入りが置かれていた。昨日まではナッツが幾つか残っていて、底や壁にカスが付いていたらしいが、今は洗った後のように綺麗になっている。
「この穴から出てこねぇの?」
アザゼルは瓶を持ち、蓋に空けられた指ほどの太さの穴を指差す。この穴は腹が減ったと喚いているらしいベルゼブブの為にヴェーンが開けたもので、ジャムやジュース、酒や食べカスなどがここから入れられる。
『目玉より小さい穴から出られると思う? 太ってるし』
「それもそうだな……」
瓶詰めにされているのは可哀想だと思うが、見た目が丸々と太った気持ちの悪い蝿であるせいで、気持ち悪いとの感想しか出てこない。虫は嫌いだ。
『アルちゃんと喧嘩して、その罰として閉じ込めてる……って認識でいいんだよね?』
「いんじゃね? なぁ?」
ヴェーンがこちらを向く。僕に聞いているのか。
「よく分かんないけど……」
「お前がやったんだろ?」
「そうだっけ……」
『捕まえて瓶詰めにしたのは僕とダンピール。蝿にしたのはヘル』
そうだ、確か──アルが怪我をしているのを見て、我を失って「死ね」と願ったような──
…………死ななくて良かった。
『喧嘩の理由、本人と茨木とガキンチョに聞いてまとめたんやけど……どっちもどっちやない?』
『まぁまぁ、恋人を餌扱いされたら怒りますって。酔ってはったし、しゃーないんちゃいます? なぁ? 狼はん』
僕は喧嘩の理由なんて聞いていない。最近、僕の居ないところで話を進めたり物事を決めたりしていないか? 最近に限った話でもないが……魔物使いとして僕にはリーダーらしさが足りない。
「それはそうなんだけどよ、喧嘩両成敗って言葉もあるし、そいつにも罰いると思わねぇ?」
「へっ……? アルに何するの? ダメだよ、やめて!」
『頭領が依怙贔屓はよぅないで』
「で、でも……」
「落ち着けよ。何も鞭打ちとか言ってねぇだろ? 今日から一週間買い出し係、でどうだ? 誰もやりたがらねぇからずっと俺やってんだぜ?」
買い出し係? その程度なら構わないか。今までヴェーンに押し付けていたのも良くない。今後は交代制で、罰則としての役割も設けようか。
『私に買い物が出来るだろうか』
「出来る出来る、店番だいたい淫魔だし」
『……罰を受ける以上、私は文句は言わないが……一人で行くのか?』
アルは僕に目線をやる。視界はアザゼルのものなので、端に鼻先が見える程度だが──
どうやら僕と離れたくないらしい、可愛い。
「ガキを外に出すのは危険だぜ」
『視力はともかくとして、認知湾曲の魔法は掛けてあるよ?』
「……あのクソ淫魔、アシュメダイは魔物使いだって知ってるだろ? 今、魔物使いに見えないとしても、あいつは捕まえられる」
『協力的だと思ってたけど……』
「だろうな。淫蕩に明け暮れる馬鹿を演じて……甘い蜜を吸い尽くすのがあいつのやり方だ。ガキがこの国に来た時からずっと狙ってるんだよ」
ヴェーンは落ち着きなく辺りを見回している。
その仕草に僕も不安を覚えた、アシュの協力は善意からではない──というのは頭に留めておかなければ。
「……この国に住んでる吸鬼はみんなあいつに吸った魔力の何割かを上納してる。税みたいなもんだ。だから──あいつの魔力は、多分、今は……そこの蝿を上回ってる」
「えっ……!? そ、そんな……ベルゼブブは、最強だって……」
『今は、ね。つまり……アルちゃんの魔力をヘルが供給すれば?』
「供給し続けられるんなら蝿の方が上だろうけどよ。出来んのか?」
アルの生成速度と、僕の供給速度、それに僕の耐久力。それらが少しでも足りていなければ勝てないと。
「…………それに、この家に入れるようにしてるだろ? 気を付けろよ」
『……ヘルの部屋には入れないようになってるけど……とりあえず、結界の設定変えておくよ』
「ま、用心に越したことはないってこった。なぁガキ、お前が信用していいのは誰だ? この蝿はダメだなぁ、ずっと餌だと思って狙ってやがる。なら鬼共は? チビは? 兄弟は本当に大丈夫か? その狼も……危険だったろ? 俺もだな、お前の血が欲しくて仕方ない」
視界の左端に映ったヴェーンの瞳が紅く輝く。おそらく魔力視でなければ見えない輝きだ。
「こ、怖くなること言わないでよ」
「ははっ、悪ぃ悪ぃ。じゃ、狼。早速だけど、このメモを──」
ヴェーンはアルに買い物メモを渡す。アルは財布を咥え、家を出た。
危険は無いだろうとは思うが、不安だ。
「……よし、ガキ。やるぞ」
「えっ? 何を?」
「…………お前なぁ。なんで狼に買い出し係させたか分かってんのか?」
罰だろう。聞いたばかりの話を忘れている訳がない、馬鹿にするな──と反論する。
「はぁー……ダメだな。馬鹿。狼がいちゃ話せねぇことあるだろ?」
ヴェーンは懐から折り畳んだ紙を取り出し、僕の顔の前にやって……アザゼルに渡した。そこに描かれていたのはネックレスだ。少しずつデザインが違うものが幾つかあった。
「あっ……え? だから……買い出し? 罰とかじゃなくて?」
『気付いてなかったの? しっかりしてよ、僕の弟だろ?』
『ええタイミングで喧嘩してくれたなぁ』
どうやら僕とアル以外の全員は買い出しの罰が口実であると分かっていたらしい。顔から火が出るほど恥ずかしいとはまさにこの事か。
『蝿さん、ちょっとこれ咥えて』
兄はナッツ瓶の蓋に空いた穴から触手を差し入れる。ベルゼブブはそれに飛びつき、幾本もの舌を絡めた。
兄は咳払いをし、アザゼルの顔を自分の方へ向ける。
『あー、ヘルシャフト様? 聞こえてます? いやぁ先日はすいませんね、ちょっとカッとなっちゃって……しばらくこれでいいですよ、楽ですし。あ、ご飯はちゃんと入れてくださいね』
「えっ、あ、あの、にいさま?」
『貴方様には私の声が聞こえないようなので、兄君に通訳してもらっています。さて、本題に入りますよ』
兄の口から兄の声でベルゼブブが話している──通訳と言うより、取り憑いているように見える。
『先輩の好きな物は貴方様。なので、先輩に送るべき石は……移身石です!』
「うつしみ……?」
『ええ、発掘されてすぐは透明の石で……始めに素手で触れた生き物の魔力と同じ輝きを放つようになる変わった石です。虹よりも鮮烈に、虹よりも多くを魅せる魔力、その輝きこそ先輩の理想の色!』
それなら黄だの青だのと迷わなくてもいい。僕はベルゼブブが兄の姿で話しているような違和感を拭って、どこで手に入るのかと尋ねた。
『ズバリ、神降の国! だけです』
「だ、だけ?」
『代々の国王の冠に使われるんですよ。それ以外の用途は無し、流通も無し』
そんなもの存在しないも同じではないか。
『採掘場の場所は分かってますから見張り薙ぎ倒して一欠片砕いてきましょう』
「えぇ……強盗?」
『王室にコネクションが無いんですから仕方ないでしょ。希少なものですから行って頼んでも門前払いですよ』
コネクションならある。僕は彼らの恩人だ、神具を取り返し、第二王子の生命を救った。宝石の一つや二つ要求しても構わないだろう。
柔らかい表現でそう伝えた。
『へー……なら、行ってみます? 採掘場乗り込んだ方が早いと思いますけど……』
「恨み買うのも嫌だし」
『…………ま、そうですね。創造神とは敵対、外の神とも敵対、となればアース神族や神降の連中は取り込んでおきたいところです』
兄は触手を切断し、瓶の中に残さず入れる。僕の腕を引っ張って立ち上がらせ、笑顔を貼り付けた。
『じゃあ、行こう!』
「えっ、い、今から?」
『早い方が良いよね?』
「それはっ……そうだけど」
そんな急に、と僕が戸惑っていると、兄は元気に手を挙げる。
『付いてくる人ー!』
『俺らは無理や、前やらかしたからな』
「俺は仕事あるし……」
「幼女、触手の生えたおじさんに付いて行かない」
各々の理由で断っていく。鬼達やヴェーンは仕方ないし、アザゼルは付いてこられても困る。
石を貰ってくる程度なら二人で平気だ。そう言おうとしたその時、視界が兄の手に覆い隠された。
『だ、れ、が……おじさん……?』
「痛っ、痛い痛いいだだだだっ! じょっ、冗談冗談!」
どうやら兄がアザゼルの頭を掴んでいるらしい。
『ふん、行こ。ヘル』
視界共有を切り、兄の腕に抱き着く。ガシャンと音がしたが──まさか、アザゼルを投げたのか? 流石は兄だ、二人で行きたくなくなってきた。
「……フェルは?」
『えっ? ぁ、あの……ぼ、僕は、留守番するよ……』
朝食の間もずっと黙っていた。帰って来てからフェルには元気がない。
僕は宝石を貰って戻ったらフェルとちゃんと話そうと心に決め、空間転移の浮遊感に身を任せた。
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