第426話 敬愛される兄になりたい

リンは魔物達に自宅に乗り込まれることを防ぐ為、場所と値段を加味して手頃な店に彼らを誘導した。

大部屋を貸し切り、大騒ぎする鬼達を奥に座らせ、リンはその反対側に陣取った。


『リン、生肉を頼んでくれ』


「そんなのメニューにないよ」


『だから、頼んでくれ』


「俺そういうの苦手なのに……」


何かあればすぐに逃げられるようにと扉の近くに座ったが、この位置は皆の注文を集めて店員に伝えなければならない位置だ。


「……何食べる?」


『要らない』

『僕も』


人肉以外では味も栄養も得られない二人が食事を取る意味は皆無だ。

リンは自分と同じ理由で席を選んだエアを隣に気まずい沈黙に襲われた。



入店から数時間、部屋の中は酷い有様だった。台拭きや上着が床に散乱し、料理の飾りや食べられない骨や殻が机に散乱している。何より酷いのは酔っ払った酒呑とアルの悪絡み、程よく酔ったベルゼブブの罵声、それに対抗する茨木だ。


「……ちょっと外の空気吸ってくる」


『僕ちょっと外に……は?』


惨状に耐えかねたリンとエアは同時に立ち上がった。リンはエアに睨まれながらも外に出た。


『はぁ……外も最悪』


「わざわざ隣に並ばなくても……」


店の外、壁を背に並ぶ。満天の星空と輝く月、遠い喧騒と澄んだ空気。その全てが美しく、だからこそリンは居心地が悪かった。


「…………か、科学の国って空あんまり綺麗じゃなくてねー、その点この国は空気が綺麗で……はは」


沈黙を嫌いながら会話も嫌う。

ポケットをまさぐると煙草を見つけた。リンは「これを咥えていれば喋らなくて済む」と急いで火をつけた。


『……君、煙草とか吸うんだ』


「え、ぁ……き、嫌い?」


リンの目論見は失敗に終わる。かえって話の種を撒くことになった。


『……一本くれる?』


「あ、吸うんだ……」


何日もポケットに入れっぱなしだったからか、煙草は縒れていた。


「……っと、火……」


ライターを取り出し、エアの方を向くとエアはもう火の付いた煙草を咥えていた。


『…………魔法の国ではさ、薬用だったから……めちゃくちゃ不味くて。これは美味しいのかな、ダメだね、煙草の味も分かんないや』


「俺は美味いと思うよ、それめちゃくちゃ有害だから。人体に害があるものは大体美味しいんだよ」


『違いない。体に良いものは不味いんだよ』


エアは軽く口を尖らせ、輪のような煙を吐く。煙草のおかげが珍しくも機嫌が良いらしく、くつくつと笑っている。


「魔法の国って……滅びたんだよね? ヘル君は滅びた日に逃げたって言ってたけど、お兄さんはいつ出たの?」


『十八……かな? 親の許可無しで就労許可証が発行出来る年……ヘルは身分証が作れるようになったら国から連れ出そうと思ってて…………その為に軍に入って、お金貯めて……無駄になったけどね』


「……あんな国って?」


『魔法の国は魔法が全て。魔法が使えない者に居場所は無い。天才の弟だろうと……あの国では価値が無い』


「お兄さん、ちゃんとヘル君のこと考えてたんだね。誤解してたよ、フェル君の扱いが酷いから……」


リンはエアがヘルの為だけに三年間働き続けていたと知り、彼への認識を改めた。きっと前の認識の方が本質には近かっただろうけど。


『僕の、だったのに』


「……お兄さん?」


『僕のだったのに! あの狼が、あの蝿がっ! アイツらが、僕からヘルを奪ったんだよ!』


「ちょ、ちょっと落ち着いて……何急に……」


火が付いたままの煙草を握り締め、その手を壁に打ち付ける。何度も何度も。皮が剥がれるまで、骨が砕けるまで、肉が潰れるまで、繰り返す。幼い頃に痛覚を消したエアは八つ当たりの加減が出来ない。


『…………父も、母も、魔法の国の全てがヘルを必要としなかったから。ヘルも自分から目を背ける全てを拒絶したから。ヘルを求めるのは、ヘルが求めるのは、僕だけだった。ヘルは僕がこの世で初めて手に入れた物なんだ、なのに……盗られた』


「ま、まぁまぁ、落ち着いて落ち着いて。気持ち分からなくはないけど、ヘル君が成長したんだと思って喜べない?」


『……成長なんてしなくていい。ずっと……そうだ、八歳くらいのまま、僕だけを……ずっと』


壊れた右手をぶら下げて、輝く星々から目を背ける。


『あの狼は魔力に惚れただけ! あの蝿は食欲! あの鬼共も強い魔力に惹かれただけでっ……ヘルじゃなくてもいい! 魔物使いが別の奴だったらそっちに行ってる! 僕はっ……僕は、僕はヘルなら、魔物使いじゃなくていいのに、本当に無能でいいのに…………違う、ヘルは出来ない子じゃないとダメなんだ……』


背を壁に付けたままずるずると座り込む。ローブが壁の凸凹に引っかかって捲れ上がり、裏に刺繍された魔法陣が輝きを晒していた。


『…………悪魔なんて従えられたら、僕が一番出来ない奴になる……ヘルが、僕を捨てる……』


「飛躍し過ぎだって……ヘル君はお兄さんを邪険に扱ったりする子じゃないよ」


『ヘルの何を知って言ってるの!?』


「そんなに知らないけど! でも……優しい子だってのは分かってる」


蹲ったエアが頭を抱えて泣き出してしばらく、店の惨状に耐えられなくなったフェルが飛び出してくる。ヘルのように蹲って泣くエアを見つけ、リンの袖を引く。


『にいさまに何言ったんですか!?』


「い、いや俺は何も……一人で勝手に語り出して騒ぎ出してこうなっただけだから」


リンは煙草を壁に押し付けて消し、煙を散らす為に腕を振る。フェルをただの子供だと思っているリンらしい行動だ。


『にいさま? 大丈夫? どうしたの?』


『…………ヘル?』


『……僕はフェルだよ。お人形遊びだって分かってるならヘル扱いしてもいいけど』


「ねぇ、フェル君? 君はいつ魔法の国から出たの? さっき聞いてた話だと君が全然出てこなくて……」


フェルは心の中で「面倒な事ばかり言う奴だ」と吐き捨て、彼とは話さないと決めたことを思い出し、沈黙を貫く。


『もっと知恵と力があれば、ヘル君に兄として尊敬される──そうは思わないかい? ヘクセンナハト』


沈黙を破ったのは三人のうち誰でもない。夜闇に紛れて現れた黒い少年だった。


「だ、誰……? フェル君、知り合い?」


薄布で顔半分を隠し、豪奢な織物に身を包み、無数の宝飾を垂らし、少年はクスクスと笑う。


『この国一の預言者さ。さぁヘクセンナハト、預言が欲しいんだろう? この世の理を超えた、外なるものが、ボクの力が欲しいんだろう? 未解析、未到達、未発見、そんな混沌ボクが欲しいんだろう!』


エアはゆっくりと顔を上げ、少年の顔を見る。


「お、お兄さん? 何かヤバそうだし逃げよ? お兄さん?」


リンやフェルの位置からは少年の顔は見えない。リンはエアの腕を引っ張り、フェルを背後に庇う。

エアは重い腰を上げ、少年の前に跪く。


『……欲しい』


『よーしよしよし! それでこそキミだよヘクセンナハト!』


『…………ヘルに、心の底から……懐かれたい』


『そうだろうそうだろう! そんなくだらない欲望の為にキミは狂うんだ! さぁ、目を閉じて。キミには到底理解出来ないはずの力を自身を壊しながら振るう権限を与えてあげる!』


エアはリンの腕を振りほどき、目を閉じた。少年の手のひらがエアの額に触れ、エアに少年が持つ知識が与えられる。その量は少年にとっては僅かなものだが、人間の頭脳や精神が耐えられるものではなかった。


『この国を真綿で締め上げるのも良かったけど、キミみたいな欲望に忠実な人間で遊ぶのも悪くな……ん?』


エアは再び蹲り、唸り声を上げながら頭を掻き毟っている。それは良い、それは少年の狙い通りだった。

だが、エアの下半身がローブの下で溶け、地面に広がった液体に脳が浮いているのは予想外だった。

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